17 4つのオムレツ
夕暮れの縁側に座り、私は見慣れた庭を眺めていた。
私の記憶には残っていないが、浴衣を着た小さな私が、死んだパパとここで花火をやっている写真を、アルバムで見たことがある。
その時私の後ろで、お父さんの足音が止まった。
「ママは?」
私が振り返りお父さんを見上げる。
「寝たよ。やっと落ち着いたみたい」
お父さんはそう言ってかすかに笑うと、私の隣に腰をおろした。
さっきまでの暑さが嘘のように、夕方の涼しい風が吹き込んでくる。
「海ちゃんには、ちゃんと話しておかないといけないね……」
静かな縁側にお父さんの寂しそうな声が響く。
私は何も言わずに夕暮れの庭を見つめる。
風は桜の木を揺らし、緑の葉が一枚ゆっくりと落ちてきた。
次の朝、私が眠い目をこすりながらキッチンへ行くと、ママが慣れない手つきで朝食を作っていた。
「おはよう、ママ」
「あ、海ちゃん、おはよう」
ママはフライパンを持ったまま振り返り、いつもの笑顔で私を見る。
「ねえ、今朝はママ、オムレツ作ってみたの。おいしいかどうか海ちゃん食べてみて?」
私はぼんやりとテーブルの上に並ぶ4つのオムレツを見る。
「心ちゃん……帰ってきたの?」
私の声にママの動きが止まり、やがて小さく首を横に振った。
「大丈夫よ、一晩ぐらい帰ってこなくても。男の子なんだし、もう17になるんだし……」
ママは自分に言い聞かせるようにそう言って、無理に明るく笑う。
私はそんなママの顔を見るのがつらくて、キッチンの隅にあったゴミ袋をつかむと、さりげなくママの前から離れた。
「海ちゃん……」
私の背中にママの不安そうな声が聞こえる。
「ゴミ、捨ててくるよ」
私はそうつぶやくと、サンダルをはき外へ出た。
玄関から一歩外へ出ると、朝だというのに真夏の日差しが私の顔に照りつけた。
私は目を細めて空を見上げると、ゴミ袋を持ち上げ道路へ出る。
ゴミ置き場のそばでは、近所のおばさんたちが立ち話をしていた。
「おはようございます」
「あら、おはよう、海ちゃん。朝から暑いわねぇ」
おばさんたちはそう言って、私に笑いかける。
私も笑ってゴミを置いたあと、こちらに向かってくる二人の人影に気づいた。
「しん……ちゃん?」
私はつぶやき立ち尽くす。不機嫌そうな顔の心が、麻利と並んで歩いてくる。
おばさんたちはそんな二人を見て、何やら言いたげに私の前から去って行った。
「おはよう、海ちゃん」
やがて私の前にやってきた麻利が、にっこり笑いかける。
「心ちゃん昨日、私のうちに泊まったの。ごめんなさいね、連絡もしなくて……この人が絶対連絡するなってうるさくて……」
麻利はそう言って心を見る。
「今日もね、帰りたくないなんて駄々こねるから、私が無理やり連れてきたの」
「コドモ扱いすんなよ」
「だってコドモじゃない?心ちゃんは」
麻利はおかしそうに笑うと、心の背中を私のほうにそっと押した。
「それじゃあ、ちゃんとご家族に引き渡しましたから」
麻利が私に向かって手を振る。
「あ、あの……」
私が声をかけようとしたが、麻利は静かに微笑んで、もと来た道を去っていった。
私と心は朝日の中で立ち尽くす。私の頭に昨日のお父さんの声がよみがえる。
『心の本当のお母さんは、海ちゃんのママなんだよ』
その時突然、心が私の手をとった。
「マジでつけてやがる……」
私は心に握られている自分の手を見つめる。その指には昨日もらった桜色のリングが、朝日を浴びて光っていた。
「バカじゃん」
心はそうつぶやくと、私から手を離しゆっくりと歩き出す。
「心ちゃん!」
そんな心の背中に私が声をかける。
「お父さんとお母さんに謝りなよ!すっごく心配してたんだからね!あんたのこと!」
心は何も答えずに、私を残して家の中へ入っていった。