13 揺れるこころ
この忘れ物事件があった後、私の心に対する気持ちが、ちょっぴり変わった。
「何、人の顔見てニヤニヤしてんだよ?」
エアコンの効いたリビングのソファーに、いつものように寝転がっている心が、雑誌の隙間から私を見る。
「別に」
私はにっこりとそんな『お兄ちゃん』に向かって笑いかける。
「うちのクラスの女の子たちが騒いでたよ。海のお兄さん、かっこいーって」
「ふん、そんなコドモに言われたって、別に嬉しくないね」
「無理しちゃってー、心ちゃんだって2年前まで中学生だったくせに」
私がそう言って笑った時、玄関のチャイムが響いた。
「誰だろ……」
立ち上がろうとした私を押しのけるように、心が雑誌を投げ捨て、リビングから飛び出す。
私はその素早さにあっけにとられながら、そっと玄関を覗いた。
「あ、こんにちは、海ちゃん。おじゃまします」
するとそこには長い髪をアップにした麻利が、にこやかに立っていた。
「海。俺の部屋のぞくなよ」
「の、のぞくわけないじゃん!」
心はおかしそうに笑うと、麻利の手を引き自分の部屋に向かう。
私は麻利の左手に光るリングを見つめながら、思わずつぶやいた。
「麻利さんが来たからって喜んじゃって」
「何だと?」
心が振り返り私をにらむ。私は少しビビって後ずさりをする。
心はそんな私をじっと見つめると、ニヤリと笑ってこう言った。
「そういうこと言ってると、もうたすけてやんねーぞ」
私は顔を赤くして心を見る。
「なあに?たすけるって?」
「この前このバカが、弁当忘れやがってよー」
心は笑いながら麻利の肩を抱いて、私の前を通り過ぎる。そして自分の部屋に入ると、ドアをわざとらしくバタンと閉めた。
「何よ!バカ心!」
私は閉められたドアに向かって大声で叫ぶ。
「何よ……バカ……」
ドアの向こうからかすかに二人の笑い声が聞こえ、私は黙ってその場を去った。
「どうしたの?海ちゃん。こんなところに一人で……」
あたりが薄暗くなった頃、私は和室の縁側に座り、広い庭をぼうっと見つめていた。
「あ、お父さん。原稿上がったの?」
「うーん、もうちょっと」
お父さんはそう言って伸びをすると、私の隣に腰掛ける。
夏の始まりの蒸し暑い風が、私たちの髪をそっと揺らした。
「ここからの眺めが一番いいなぁ」
お父さんは目を細めながら広い庭を眺める。
「来年の春はここでお花見しよう!」
そう言って笑うお父さんは、何だか子供みたいで可愛い。
どうしてこんなに優しいお父さんの子供が、あんなに口の悪い心なんだろう……
私はそんなことを考えながら、今までずっと聞きたかったことを聞いてみる。
「ねえ、お父さんと、心ちゃんの本当のお母さんは、離婚しちゃったの?」
「え……」
お父さんの顔色がかすかに変わる。そしてさりげなく私から目をそらすと、小さな声でつぶやいた。
「心が、そう言ったの?」
「ううん」
私は首を横に振る。
「でも、亡くなったわけじゃないんでしょ?心ちゃんがお母さんは生きてるって……」
「うん……そうだよ……」
お父さんはそうつぶやいたきり、うつむいて考え込んでしまった。
私はよっぽどまずいことを聞いてしまったと思い、あわててその場を立ち上がる。
「別にいいの!言いたくないことだったら、言わないで。私は全然気にしないから」
「海ちゃん!」
お父さんが何か言いたげに立ち上がる。
その時、心と一緒に部屋を出てきた麻利が、私たちに気づき頭を下げた。
「どうも……おじゃましました」
私はぼんやりと麻利の髪を見つめる。さっき来た時は綺麗にまとめ上げていた髪が、今はほどけて肩にかかっている。
「行くぞ、麻利!」
心が靴を履きながら麻利を呼ぶ。麻利はもう一度私とお父さんに会釈すると、心の後を追って玄関を出て行った。
「あいつ、女の子なんか部屋に連れ込んで……10年早いんだよ」
お父さんが独り言のようにつぶやき、頭をかく。
「お父さん。今ご飯作るからちょっと待っててね」
私はそんなお父さんに声をかけ、キッチンへ向かう。
「今夜はお父さんの好きな焼肉だからね!」
私がそう言って笑うと、お父さんも私に笑い返した。
だけど私の頭の中では、麻利の肩を抱く心の姿がどうしても離れなかった。