12 わすれもの
次の朝、私は寝不足の頭のまま、ぼんやりと朝食を作り、自分の支度をして外へ出た。
頭の上では初夏の太陽が輝いている。
昨日の晩はあの名札のことが頭から離れなくて、ほとんど眠ることができなかった。
「こらー!海ー!」
その時リビングの窓が開き、パジャマ姿の心が私に怒鳴った。
「何で俺を起こさねーんだ!自分ばっかりさっさと支度しやがって!俺は完全に遅刻じゃねーか!」
私はそんな心の顔をじっと見つめる。
まさかね……まさかこいつが、あの時の男の子だなんて……
その時心の頭を、後ろからお父さんが小突いた。
「うるさいんだよ!自分で起きろって言ってるだろうが!」
そして何か言いたげな心を押しのけ、私に向かって笑顔で手を振る。
「海ちゃーん!いってらっしゃい!」
私はにっこり笑うと、お父さんに手を振り歩き出した。
「宇和野さーん」
教室に入った私に、隣のクラスの男子がニヤニヤしながら寄って来る。
こいつらの言いたいことはわかってる。だって今日は『うわの空』の載ってる雑誌の発売日だから。
「宇和野さんはいいよなー、お父さんが漫画家で」
「しかもあの『うわの空』だろー?」
そう言って一人の男子が私の前で雑誌をめくる。
そこにはお父さんの描いたマンガの、エッチな女の子が載っていた。
私は何も言わずに目をそらす。
「ちょっとあんたたち、いいかげんにしなよ!」
「そうだよ!だいたいそんな雑誌、学校に持ってきちゃいけないんでしょ!」
クラスの女の子たちが私のために怒鳴ってくれる。
「そんな雑誌とは失礼だよな?宇和野さん?」
そう言いながら私の顔を覗き込むのは、坊主頭の2組の綾瀬。私はこいつのことが1年の時から大嫌いだ。
「でもこういうマンガ描くときってさ、モデルとか必要なんじゃないの?ねえ、宇和野さん?」
綾瀬が気持ち悪い笑いを浮かべて、雑誌と私を見比べる。
私はこいつのことを殴り飛ばしたくて右手をギュッと握ったが、真っ赤になった顔を見られるのが悔しくて、うつむいたまま唇をかみしめた。
「義理の父ちゃんが『うわの空』かー、それってちょっと危なくないかい?」
綾瀬の言葉に男子たちが笑い出す。私の目から涙がこぼれそうになった時、誰かが綾瀬の手から、その雑誌を取り上げた。
「義理の父ちゃんが『うわの空』じゃ悪いかよ?」
聞き慣れたその声に私がゆっくり顔を上げると、S高の制服を着た心が笑いながら私を見ていた。
「しん……ちゃん?」
私は呆然と心を見つめる。
「な、何だ?お前」
「俺?」
綾瀬の声に、心は雑誌を放り投げ答える。
「俺は『うわの空』の息子だよ」
綾瀬たちが驚いた顔で心を見る。
「えー?じゃあ、この人が海のお兄さん!?」
「海のこと、たすけに来たんですかー?」
クラスの女の子たちがおもしろそうに騒ぎ出す。
「ぶ、誰がこんなガキ、たすけにくるか」
心は小さく噴出すと、私の頭に包みに包まれた弁当箱をポンとのせた。
「忘れもん」
私は頭の上の弁当に手を当て、ぼんやりと心を見上げる。
心はそんな私を見ておかしそうに笑うと、ポケットに手をつっこみ教室を出て行った。
「ひっでえなー、高校生が出てくるなんて」
「反則だよ」
綾瀬たちが文句を言いながら、私のまわりから去っていく。
「ねーねー、海のお兄さん、かっこいーじゃん?」
「しかもS高!頭もいいんだ」
私はそんな友人たちを見てにっこり笑うと、立ち上がって窓を開け、校庭を見下ろした。
「しんちゃーん!」
ちょうど校舎から出てきた心が立ち止まり私を見上げる。
「ありがとー!」
私が弁当箱を思い切り振ると、心は小さく笑って、校庭を出て行った。