11 泳げない理由(わけ)
「夏休みになったら、海に行こうか?」
私の作った夕食を食べながら、お父さんがにこやかに笑う。
「いいわねー、白浜あたりどう?」
「お、いいねー。海ちゃんと心も行くだろ?」
そう言ってお父さんが私と心の顔を見比べる。
「げ、冗談だろ?高2にもなって、誰が家族と旅行なんか行くか」
「無理すんなよ?海だぞ、海。お前海好きだろが?」
お父さんが箸を持った手で、隣の心をつつく。心はうんざりしたような顔でつぶやいた。
「海だったら、麻利と行くからいい」
その一言で和やかな家族の食卓がしんと静まる。お父さんは笑ってごまかしながら、今度は私に顔を向ける。
「海ちゃんは行くだろ?」
私はそんなお父さんを見て苦笑いをする。
「私も行かない。だって泳げないんだもん」
「えー?『海ちゃん』なのに泳げないの?」
お父さんがおかしそうに笑う。私もつられて笑いながら、お父さんに向かってこう言った。
「私子供の頃、川でおぼれかけて……それから水が怖くてダメなんだ」
私の言葉に一瞬また食卓が静まり返る。え?私何かヘンなこと言った?
「ど、どうしたの?みんな黙りこんじゃって……」
私がお父さんとママの顔を見回した時、いきなり心が立ち上がって言った。
「じゃあ泳ぎの練習でもしてくるんだな。また誰かに突き落とされても、おぼれ死なないように」
心は私を見てふっと笑うと、一人キッチンを出て行った。
私は呆然とそんな心の背中を見つめ、あの日のことを思い出す。
あれは私が小2の時、学校帰りに見知らぬ男の子が声をかけてきた。
「海ちゃん。一緒に帰ろう」
その子は隣町の小学校の名札をつけていたのに、なぜか私の名前を知っていた。
「いいよ」
私がそう言うと、その子は嬉しそうに笑い、私の手をひっぱった。
「あっちの川沿いの道を歩こうよ」
「え、でもあそこは危ないから、ママが通っちゃダメだって……」
「へいきだよ!おいで!」
私はその子に手を引かれ、引きずられるようにして川沿いを歩く。
おかしなことにその子は、私のパパが死んじゃっていないことも、私のうちに大きな桜の木があることも、何もかも知っていた。
「ねえ……どうして私のこと知ってるの?」
私が立ち止まりつぶやくと、その子はほんの少し笑ってこう言った。
「僕はお前が嫌いだから」
次の瞬間、私は背中を突き飛ばされ、川の中へ落とされた。
水が、目に耳に口に入り込み、息が苦しくなる。
たすけて……声にならない声を上げた時、土手の上から私のことをじっと見下ろしている、男の子の姿が見えた。
「ママが話したのよ、心ちゃんとセンセーに。海ちゃんが知らない子に突き落とされて、おぼれかけた話」
呆然とする私の顔をママがにっこり笑って覗き込む。
「ごめんな、海ちゃん。嫌なこと思い出させちゃったみたいでさ」
私は顔を上げ、お父さんに笑いかける。
「大丈夫だよ、あの時はすぐに大人が飛び込んで助けてくれたし……」
「しかし心のやつ、何であんな言い方するんだろな。あとでお父さんが、一発殴ってやるからな」
お父さんはそう言って私の前で力こぶを見せる。私はそんなお父さんを見て笑いながら、必死に昔の記憶を呼び戻していた。
あの子の、胸についてた小学校の名札。
全部の漢字は読めなかったけど、2年生の私が読める漢字が一つだけあったはず……
--『宇和野心』
私の頭にその4文字がぼんやりと浮かんだ。