10 それが親父の仕事なんだから
「なあー、確か海の新しい親父さんて、漫画家だったよなぁ?」
放課後の教室で、クラスの男子が私に言う。
「そうだけど……」
私は嫌な予感を感じながら、ゆっくりと顔を上げた。
「もしかして海の親父って『うわの空』?」
そう言って目の前の男子が、マンガ雑誌をぴらぴらさせる。
「えーマジ?お前の父ちゃん『うわの空』?」
「なあに?『うわの空』って?」
「バーカ、お前ら知らねーの?」
私のまわりにいつの間にか男子も女子も集まってくる。
「あのなー、『うわの空』ってゆうのはなー」
一人の男子がマンガ雑誌をめくろうとした時、私は思わずそれを奪い取った。
「やめて!見ないで!」
「海?」
何も知らない女の子たちは私のことを不思議そうに見つめる。
健全な?エッチ漫画家『うわの空』を知っている男子たちは、私を見てニヤニヤと笑っている。
私はマンガ雑誌をかばんの中につっこむと、逃げ出すように教室を飛び出した。
息を切らして通学路を走り抜ける。家の中に飛び込み玄関のドアを乱暴に閉める。
頭の中に、さっきの男子の笑い顔がまだ浮かんでいる。
「どうしたの?」
そんな私に声をかけたのは、あのお父さんだった。
「何でもない……」
私はつぶやくと、靴を脱いでリビングを覗いた。リビングでは心がソファーに寝転がり、テレビをつけながらマンガを読んでいる。
「海ちゃん、コーヒー飲むかい?お父さんがいれてあげるよ」
お父さんは私の背中にそう言って、キッチンへ消えていく。私は何も言わずにソファーに近寄ると、心の前で立ち止まった。
「何だ、海か……」
心が雑誌から目をそらし、私を見上げる。私は心の手からその雑誌を取り上げると、フローリングの床に投げ捨てた。
「何すんだよ?」
「このマンガがいけないんだもん……このマンガのせいで私は……」
いつの間にか私の目から涙があふれる。心は黙って床に落ちた雑誌を拾うと、そんな私にこう言った。
「お前それ、本人に言ってみな?」
私は唇をかみしめ心を見る。
「こんなくだらねえマンガのせいで、私は友達に笑われたって、『うわの空』に言ってみな?」
キッチンではお父さんが鼻歌を歌いながらコーヒーをいれている。私はちらりとそんなお父さんの背中を見た後、うつむいてつぶやいた。
「そんなこと……言えるわけない……」
「だったら我慢しろ。それが親父の仕事なんだから」
心は私にそう言うと、また雑誌を読み始めた。
「海ちゃーん、コーヒーいれたよー。一緒に飲もうかー」
お父さんがニコニコしながら、私の前にコーヒーを差し出す。
「親父……俺のは?」
「あ?お前いたの?」
「いただろーが!さっきからずっとここに!」
「うるさい!自分でいれろ!さあ、海ちゃん、こっちおいでー」
お父さんが嬉しそうに私を呼ぶ。心は雑誌を放り投げ、リビングを出て行く。
私はそんな二人を見て、いつの間にか微笑んでいた。
もう期待するのはやめた。
この人と私は生まれ育った境遇も違うし、生活習慣も違うし、考え方も違うし……
この人と私は同じだって思った私がバカだった。
私のことを思いやってくれる優しいお兄さんなんて、この世にはいないのだ。
そう思ったら少しだけ心が軽くなって、夏が始まる頃、私はこの『新しいお兄ちゃん』の意地悪も、笑顔でかわせるようになっていた。