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3-21 アンジェとヨナの恋愛事情

 王女アンジェリーナの侍女として一生を捧げる決意のヨナと、王子ロイシェルドの付き人として命を捧げる決意のオルト。国も立場も違えど、出会った瞬間に惹かれ合う二人。

 国を挙げての婚姻話の裏に隠された、もう一つの恋が始まろうとしていた。

 エドガ王国は大陸から大型船でも三日ほどかかる、小さな島国でございます。周りには豊かな漁場が広がり、特産品の真珠玉は高額で取引されるともあって、国民はそれなりの暮らしを約束されております。

 幼い頃に親を亡くしたわたくしは、宿屋の主人に拾われてメイド見習いをしていましたところ、縁あって幼い王女アンジェリーナ様の侍女として働くことになりました。

 あれから十年。姫様は当時のわたくしと同じ、十八歳の乙女になりました。


「アンジェさま。朝食の準備が出来ておりますので、そろそろお召し替えを……」

「ん。そうね。はあーっ」

 姫様はすっかり成長されたその身体を起こすなり、深くため息を吐くのでした。

 それから椅子に移って嘆息。脱いだパジャマをぽいっと床に落としてまた嘆息。下着を頭から被り、麗しいお顔を出してまた嘆息。さながら壊れかけの嘆息自動人形という様子でございます。

 床のパジャマを拾い上げ合図すると、ドアの外で待ち構えていた給仕が次々と食事をテーブルに置いて去って行きます。

「さ、アンジェさま。どうぞお召し上がりください」

「はあーっ。今日もなんだか食欲がないの。ヨナが食べさせてよ」

「またお戯れを!」

 姫様が幼少のころでしたら喜んでスプーンをお口に運んで差し上げましたのに。

「「はあーっ」」

 二つのため息が重なりました。

 姫様は恋をしているのです。お相手は市井(しせい)で偶然出会ったロイという名の殿方です。

 城中で何不自由なく暮らす姫様は言わば籠の中の鳥。たまには市井に下りてみたいと仰せになるのは至極当然の話でありましょう。

 あの日、かねてより計画していたお忍び作戦を決行したのでございます――


 城内の警備はのんびりとしたもの。城内を知り尽くしたわたくしが夜の市井へお連れすることなど容易いことでした。

「わあ、ヨナ見て見て! あれは何という食べ物なの?」

「ターキ鳥の串焼きでございます」

「あれは?」

「腸詰めの肉を挟んだパンでございます」

「じゃあ、あれは?」

「あれは……さて、何でしょう?」

 港のバザールには数多の舶来物が所狭しと並べられています。市井を離れて早十年。わたくしも少々浮かれておりました。そう。気が緩んでおりました。

 わたくしの名を呼ぶ声に目を向けると、メイド見習い時代の旧友の懐かしくも柔和な笑顔が見えました。その時、駒鳥が小虫をついばむ程のほんのひととき、わたくしは姫様から目を離してしまったのです。


 わたくしは懸命に探しましたが、その時すでに姫様は路地裏へ足を運んでいらっしゃったのでございます。そこで怪しげな露天商に声をかけられ、これまた怪し気な髪飾りを手にしておられました。

「お嬢ちゃん目が高いねえ。それ本当は2万ペールは下らない値打ちモンだけども、今なら特別に半額にまけておくぜ?」

「いいわね。頂いていくわ」

 城の中では手に取った物は部屋へ持ち帰れます。

 しかし城を一歩出れば、そのような道理が通るはずがありません。

「おい、おめぇ! 持ち逃げする気か!?」

 恫喝されて、姫様はようやく事の深刻さに気づいたのですが時すでに遅し。あっという間に柄の悪い連中に取り囲まれてしまいます。

「よく見たらなかなかいい女じゃねえか。こりゃあ高く売れるぜ」

「ぐへへ、その前にちょっくら味見させてもら――あっ!? 痛てててっ!」

 姫様に手を出そうとした不埒(ふらち)な男の顔が苦痛に歪みます。背後から何者かに腕をねじり上げられていたのです。

「ああ、こんな(・・・)小さな国にも人買いの悪習があるとは驚きだねぇ。はあーっ、まったく嘆かわしいねぇ……」

 それは背が高く精悍な顔立ちの青年でした。東方訛りのあるしゃべり方で、ため息交じりに話しました。

 ところが姫様は自国を『こんな国』呼ばわりされたことに腹を立て、頬を膨らませ睨み上げます。

こんな(・・・)場所を女性が一人でうろつくのは感心しないなぁ」

 とどめの一言。姫様の堪忍袋の緒はプツンと音を立てて切れたのです。

「ぶ、無礼な人ね! あなた何様のつもり!?」

「僕はロイ。貿易商を営んでいるよ。そういうきみは?」

「えっ……わ、私は……アンよ」

 不意に問い返されて、姫様はしどろもどろに答えました。まさか身分を明かす訳には参りません。

「アンか、良い響きの名前だね。その髪飾りはアンには似合わないから店に返そうよ!」

「え? こ、これは……」 

 何か言いかけましたが、ロイは髪飾りをつまみ上げてポイっと露天商に投げました。

「ほら、ちゃんと返したよ。これで手打ちにしようじゃないか」

 ロイは白い歯を見せニッと笑います。

「ふ、ふざけるな! やっちまえ!」

 露天商のかけ声で男達は一斉に襲いかかります。ロイは喧嘩慣れした動きで応戦しますが、これでは多勢に無勢。

「逃げるよ!」

 男達の虚をついて姫様の手を引いて走り去ります。ところが日頃から走り慣れていない姫様の足はすこぶる遅い。息もすぐ切れます。ロイは名案を思いついたように、ひょいと姫様の体を抱え上げます。そして姫様を抱っこしたまま軽々と表通りの人混みを縫うように走り抜けていきました。

 一国の姫と言えども市井に出れば一人の乙女。姫様はそのような状況に置かれて頬が火照るのを感じたそうです。なんともうらやま……いえ、わたくしはとうの昔にそのような感情は捨て去りましたので何とも思いませんが。


 逃げ込んだ先は古びた食堂でした。仕事終わりの労働者たちで半分ほど席は埋まっています。カウンターの奥には強面の白髭を蓄えた店主がじろりと二人に目を向けていました。

 店内はチーズの焦げた香りが漂っていて、食いしん坊の姫様のお腹がグーと音を立てました。

「私、良いことを思いついたわ! 助けてくれたお礼に、あなたに料理を振る舞いましょう! さあ店主、すぐに用意して頂戴!」

 姫様は手近な席にストンとお尻をつけ、パンと手を叩きました。


「わあっ、私こんな美味しいスープは初めてだわ」

 姫様は初めての庶民の味に舌鼓をうちます。

「熱々のスープは最高だ」

 ロイも満足そうです。

 ところが食事を終え、いざ会計の段ともなると姫様はまたしても頭を抱えてしまいます。そこでロイは店主にある提案をしました。それは万死に値する愚策です。

 メイド姿の姫様が店に立つと、あっという間に満席となり注文が飛び交います。何しろ姫様が通った後には得も言われぬ良い香りが漂うのです。皆その魅了に取り憑かれたのでしょう。

 大繁盛のうちに約束の時間が終わると、店主はこのまま店で働かないかと持ちかけてきます。姫様はもちろん断りましたが、ロイは意外そうな表情をしていたそうです。

 彼は姫様をお金のない貧乏人と見て、働き口を世話してやろうと考えたのではないでしょうか。見込み違いも甚だしく、そして中々のやり手という両面を併せ持つ不思議な人物です。


「アンジェさまァァァー!」

 表通りをふわりふわりとした足取りで歩いている姫様を見つけて、わたくしは人目を憚らず叫んでしまいました。

「ご、ごめんなさい……」

 なんと第一声で姫様は詫びの言葉をかけてくださいました。

「何も買えなかったの」

「……はい?」

 続く言葉の意味が分からず聞き返しましたが、姫様の視線はもうわたくしには向いておりません。

 その時にはもう、姫様と一緒に歩いていたはずのロイなる青年は、人混み紛れて姿を消していたのでした。



「はあーっ」

 姫様はスプーンを置きます。すっかり冷めたスープはお気に召されないようです。

 肩を落とす姫様の後ろ姿を見つながら、わたくしは良心の呵責に苛まれています。

 あの日、市井にお連れしたことに後悔はない。でも、そのタイミングが最悪でした。

 翌日にトネガー王国の王子との縁談話が舞い込んできたのです。大陸の東方にあり、貿易拠点として重要な役割を担っている小国です。

 そう。両国の利害は一致しています。

 そんな大切な時期に、姫様のお心を迷わすことに――

「あああああああ――っ」

 わたくしは頭を抱えて叫びました。

 そう。分かっているのです。

 どう自己弁護に励んだとて元凶がわたくしにあることは明白です。

「アンジェさま、わたくしは今からお暇を頂戴致します」

「ええっ、突然何を言い出すの!?」

「止めないでくださいアンジェ様! わたくしが責任を持ってロイなる男を捜し出して城につれて参ります故に……」

「だめぇー!!」

 姫様がわたくしの背後から抱きついてきました。

「ひ、姫様ご乱心を!?」

「ヨナは絶対に城から出ては駄目! ヨナは私を勝手に城から連れ出して危険な目に遭わせたという罪で、城から出た瞬間に首を切られてしまうわ!」

「えっ……」

 わたくしの声が城中に響き渡るのでした。



「はあーっ」

 船が港から出てからも、王子は大海原に向かって何度もため息を漏らしている。

 王子にお仕えして早十四年、私はこれほどまでに思い詰めている姿を見たことはない。

「小国ながら良い国でありましたな、ロイジェ様」

「そう……だよな。エドガ王国はそれなりに豊かな国だったよね。うん。父が国交を結びたがるのも分かるよ」

 そしてまた嘆息。

 トネガー王国、王位継承第二位の身でありながら、貿易商として世界の海を渡る王子にも、ようやく身を落ち着けるべき時が来たのだ。

 しかし、どうしたことか、あの日以来、王子の様子が変だ。

「ま、まさかあの夜の娘に……」

 私の問いかけに、王子は頬を僅かに赤らめコクリと頷いた。

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