3-09 実はオレが聖女です!
「聖女にならない?」
聖女の逸話が色濃く残る村で墓守を任せられている少年、セオは聖女の意思を自称するゴーストと出会い、不可抗力的に聖女の力を授けられてしまう。
「……女になってるんだけど!?」
聖女の力で少女の体と少年の体を入れ替えられるようになってしまったセオは、聖女の意思に鍛えられて、聖女セレナとして覚醒する。
勇者候補や王子、騎士に魔法使い、魔王を騙る奇人、様々な人と出会い、交流を深めて行くが、体を入れ替えられることは誰にも言えない。
墓守の少年セオと聖女セレナの二重生活の果てに彼らと築くのは友情か、それとも愛情か!
「セオ! 今日こそ聖女にならない?」
早朝の墓地、静けさに似合わない明るい声は、空中に浮いた若い女からだ。浮いた体は透き通っていて、生きた人間ではないことは明白だった。
――ゴーストを見たときは視線を合わせたり会話をしてはいけないよ。呪われてしまうからね――
セオは無駄だと思いつつも神父の教えを心で唱えて返事もせずに清掃を開始した。
「ちょっと、セオ。返事ぐらいしても呪いはかからないわよ。私はゴーストじゃないって何度も言ってるじゃない」
ふわふわと浮いた女は、ふて腐れながらセオの周りをぐるぐる回りはじめる。そこでやっとセオは箒を持つ手を止めた。顔をあげると女の真っ黒な瞳がこちらを見ている。
「聖女の意思だって言うんだろ? だけど銅像とも絵とも全然違う姿じゃないか。聖女はもっと髪長いし目の色も違う」
セオの視界を言ったり来たりする、聖女の意思を自称するゴーストもどき。低い位置で一つに束ねた肩ぐらいの茶髪を揺らしながら、大きな黒い瞳を瞬かせている。歳はセオよりすこし上のように見えるが、実際の歳も名前もわからない。
便宜上、セオはゴーストもどきと呼んでいるがおそらく全く別の何かであろうと言うのはセオに相談された神父の考えだ。
怪しいことを除けば友好的で楽しい相手なのだが、聖女になると答えればきっと良くないことが起きるとセオは直感していた。
「そうね、確かにここの銅像とも残ってる姿絵とも違うわね」
そう言って朗らかに笑うゴーストもどきは空中でくるりと一回転してセオの肩に触れようとする。しかし肩には触れられることなく、ゴーストもどきの手の平が肩をスッと通り抜けた。
「まだ触れられないのね。はやく聖女になることを受け入れてほしいわ」
「だから、ならないって。そもそも聖女って……オレは男だぞ」
「そんなこと、大きな問題じゃないわ。重要なのは聖女の力を注ぎ込めるかどうかよ」
「はぁ、ここが聖女ユリアの墓だからって信じると思ったら大間違いだからな」
聖女ユリアは伝説で語られる勇者と共に、長き封印から蘇った魔王から国を救った人物である。勇者は魔王とともに消え、二度と戻ることはなく、残された聖女は愛していた勇者を想い、生涯喪に服したという。
勇者が国を救って消えたのは約七十年前、それから聖女は約五十年間、愛する勇者が守ったこの国を見守り続けたのだ。
聖女がこの世を去った後、聖女は王国の南西の森近くにある、自身の生まれた村の教会に弔われた。
そして、セオは一年前からその教会の墓守の仕事を任されていた。
「セオが聖女になる覚悟が出来たら、私はあなたに力を譲渡できるの。そうすればもうすぐ蘇る魔王に立ち向かう準備ができるわ」
「だから、魔王はいないんだって。勇者が倒したんだよ! 蘇ったのはもう七十年以上前!」
このゴーストはかなり昔の人物のようで、話す内容が古い。歴史に残る百年前の予言『魔王蘇る、備えよ』を魔王が消えた今も信じつづけている。
「違うわよ。勇者は魔王を倒してないわ」
「またその話かよ。それは前の勇者だろ?」
「前の勇者がどんな戦いをしたのか知らないけれど、私と一緒に戦った勇者は自分を犠牲に魔王を封印しただけ。帰ってこなかったし、私もなにも言わなかったから倒したと勘違いしているのね」
女はセオの前に指を二本立てる。
「封印の維持は私がしていた。だから私が死んでから、封印はどんどん弱まっている。もってあと二年よ」
彼女はそういつもと同じように締めくくると、早いとこ覚悟を決めなさい! と言ってどこかに飛んで行った。セオはため息を一つつくと、掃除を再開する。
小さな魔物が柵の向こう側を走り回っている。村のなかでも一番森に近いところにあるこの教会は森の魔物から村を守る結界を維持する重要なポイントでもあった。二重に張られた結界のおかげで大きな魔物は村に近づけず、小さな魔物も村に入ってくることはない。
「あのサイズなら、かわいいもんだよな」
セオは村人たちの食卓に上ることもある小さな魔物たちにそんな感想を抱きながら早朝の掃除に一段落をつける。
落ち葉や細かい砂を一カ所にまとめていると、セオは辺りの景色に数分前との違和感を覚えた。
「……消えた?」
柵の向こう側にさきほどまで、絶え間無く入れ代わりながらいつも数匹はいたはずの小型の魔物が一体も見えなくなっている。
小さな魔物が村の周囲にいるのは、天敵となる大きな魔物がいない安全地帯だから。セオは村の長老が以前話してくれたことを思い出す。
――逃げ出さないといけないほど危険?――
違和感が危機感に変わったとき、どこからともなく、あのゴーストもどきがセオの前に現れた。
「セオ! 逃げて!」
ゴーストもどきの叫び声がセオに届くか届かないかのうちに、雷鳴のような轟音が辺りに響く。
そして大きな地響きと振動が規則的に伝わってくる。それがこちらに近づいてくる何かの足音だとセオが思い至るまで時間はかからなかった。
「――――――っ!」
地響きと木をなぎ倒す音とともに柵の向こうに現れたのは、セオなんて片手で潰せてしまいそうな太い腕を持ち、二本足で立つ魔物。尖った鼻に大きな口。口からは大きな牙がのぞき、頭には太い大きな角が生えていた。
魔物は粗暴な様子で柵の方に近づき、結界の前で止まる。そして、セオを見つけると、馬鹿でかい口を大きく開けて楽しそうに笑った。
狙いを定められたのだとセオは確信する。逃げてと叫ぶゴーストもどきの声が合図になりセオは走り出した。
――教会に入れれば――
走り出したセオと同時に魔物が唸りながら結界に突進する。二、三度突進を繰り返すと魔物は結界の中に侵入を果たした。セオが教会の扉まであと五歩のところまで到達しようかというその瞬間、魔物が咆哮した。空気が揺れる。セオは耳が割れるのではないかと思うと同時に恐怖で動けなくなった。
――ここで死ぬのか――
セオはわずかに残ったプライドで振り向き、魔物と対峙する。パニックになりそうになるのをセオは必死で抑えた。死を目前にして動かない身体、その中で思考だけはやけに鮮明だ。ふと泣きそうな顔で浮いているゴーストもどきが視界に入った時、セオは藁にもすがる思いで叫ぶ。
「ゴーストもどき! 力をくれ!」
ゴーストもどきは半泣きで頷くとセオの肩にそっと触れた。触れられた場所に温もりを感じ驚いてゴーストもどきを見つめる。
「任せて!」
ゴーストもどきが叫ぶと、肩の温もりが全身に広がり、体が自分のものではないような浮遊感にのまれた。
「大丈夫、力を抜いて」
すこし驚いて体がこわばったことに気がついたのかゴーストもどきが声をかける。セオは言葉の通りに意識して体の力を抜いた。
魔物が大きな口を開けて突進してくるのが見えた。
セオにはこの突進を回避できる身体能力も、防御できるような魔法もない。ゴーストもどきは何やら詠唱中のようだ。
――間に合わない!――
強く目を閉じて、衝撃を覚悟する。鈍い衝撃音が響いた。
そして気がつく。おかしい。
衝撃がない。
恐る恐る、目を開けた。
「なんだ……これ」
眼前には、硬い壁に勢いよくぶつかったような怪我をした魔物が目を回して倒れていた。
「セオ、やっと受け入れてくれたわね!」
ゴーストもどきは嬉しそうに笑って、セオを抱きしめた。
ゴーストもどきの姿は変化して、ウェーブのかかった白銀の長髪とブルーの瞳になっており、伝説の聖女ユリアそのもののようだとセオは思った。
「ゴーストもどき、お前、姿が」
「えぇ、セオが受け入れてくれたから、私もやっと本当の姿になれた」
「やっぱりお前は……」
――聖女なのか? そこまで言おうとすると、ゴーストもどきの言葉に遮られ、それどころではなくなる。
「まぁ、姿はあなたも変わっているけれどね」
「は?」
ゴーストもどきに促されて、水辺に移動する。セオが恐る恐る水面に映る自身の姿を確認する。
「誰だよ……これ、女?」
思わず自分の顔をペタペタと触る。赤毛の髪が白銀に変わり、肩につくぐらいまで伸びている。顔のパーツも全体的に丸みを帯び、まるで少女のようだった。
「聖女の魔力って、体も作り替えちゃうのよね」
可愛らしくなったわよとたいして気にしていない様子のゴーストもどきの声。
「だから言ってたでしょ?」
「性別は大きな問題じゃない……ってか」
セオがたどり着いた答えを肯定するようにゴーストもどき、聖女ユリアの意思は笑う。
「そう! 聖女の力を受け継いだらどうせ変わっちゃうから!」
セオは助かった安堵と諸々の衝撃でだんだんと気が抜けていく。
遠くなる意識の中でセオは、やはり良くないことが起きたと考えていた。