近所のスーパーに行くと、先輩がカートに乗って迎えに来ます。
僕がスーパーに入店すると、必ず音楽が切り替わる。
それまで流れていた静かなクラシックから一転、情熱的なラブロマンスを思わせる曲が流れ始めるのだ。
「いやあ、いらっしゃい♡ ようこそ魅惑のスーパー、なでしこへ……」
ショッピングカートの上に寝そべり、サーッと現れたのは、一つ上の先輩で三年生の杉下撫子さんだ。
撫子さんはスーパーの店長の娘さんで、店名に娘の名前を付けるくらいに溺愛されている。
カートの上で横向きになる撫子さんは、二点で体を支えている。見るからに痛そうで震えていた。
「先輩、こんにちは」
「ああ、堅苦しい挨拶は無しサ♪ 要件を言いたまえ。君からの愛の言葉なら、いつだって大歓迎サァ♪」
「えーっと、今日はマヨネーズとスライスチーズ。それと……」
母親に渡されたメモを見ながらこたえると、撫子さんはすぐに人差し指を唇の前へと持ってきて左右に振った。
「チッチッチッ……皆まで言わなくてもいい。丁度ボクが空いていて、君は実にラッキーだ! ついてきたまえ。すぐに案内をしてあげようじゃないか!」
「えーっと……」
正直、他の人の目があるから、普通に買い物がしたい。うん。
「サァ♬」
「あ、はい。宜しくお願いします」
最早やる気満々の撫子さんを断る気にもなれず、そっと頭を下げた。
「では、押したまへ……!!」
「あ、はい」
やっぱり僕がカートを押すのか。
「マヨネーズはその先を左へ曲がってすぐを右だ」
「左……と」
撫子さんが乗ったままのカートを何故か押す僕。それが普通に重い。しかも撫子さん専用のカートは、ド派手な装飾がしてあって凄い目立つ。正直恥ずかしい。
「マヨネーズはカロリーオフかな? それとも減塩かなァ? 君の答えを聞こう!」
「普通ので」
「ハハハ! 今日はそれが安かったな! これは失礼失礼!!」
カートから手を伸ばし、撫子さんがマヨネーズを一つ、カートの下にあったかごへと入れた。
「チィィズッは乳製品コーナーだッッ……!! 突き当たりを右に行くと良い。そうだ、そのまま進め」
「あ、はい」
何が嬉しいのか、撫子さんはいつもこうだ。
僕がやって来ては買い物に乱入し、そして満足して帰って行く。
正直、撫子さんの事をイマイチ理解できていない。
「チィィズッッ……ッァ!!は、良くとろける方と若干イマイチとろけない方とあるが、君の好みはどちらかな!?」
「……安い方で、とメモにあります」
「全くとろけない方と来たかッッ!! 君の答えはいつだって私を悩ませる……!!」
撫子さんがスライスチーズを一つ、かごへ入れてくれた。
「そんな君にッッ……!! 今ならこれもオススメさ……!!」
撫子さんが賞味期限切れ間近の赤シールが貼られたプロセスチーズを指差し、ポーズを決めた。
「……余計な物は買わないように、とメモにあります」
「マイガッッ……!!」
がっくしと撫子さんが項垂れた。
まあ、いつものことなのでそのままカートを押し進める。
「最後はお肉です。豚しゃぶ肉を250gほど」
「お肉コーナーなら少し戻って角だ」
項垂れたまま、撫子さんがお肉コーナーを指差した。
お肉コーナーに着くと、なるべく脂身の少ないやつをじっくりと見定める。
「待ちたまへ!! 君に特別! 良いお肉を準備してあるのサ……!! フランケン、カモーン!!」
手を二度ほど上で叩くと、関係者以外立ち入り禁止の扉が開き、余り顔色の良くなさそうなオジサンがお肉のパックを持って現れた。
「ウガァァ……!!」
オジサンが撫子さんにパックを手渡した。
「ナイスだフランケン!! 下がってヨシ!」
「ウガァァ!!」
フランケンと呼ばれたオジサンはテコテコと、関係者以外立ち入り禁止の扉の中へと戻っていった。
「見たまへッッ……!!」
「おお」
それは脂身がほとんど無い、正に理想の豚しゃぶ肉だった。脂身は焼いた時に少し出るくらいで丁度いいのだ。
「では後はお会計だなッッ!」
「はい」
スーパーなでしこは全てがセルフレジだ。
僕は買った食材の一つ一つをレジに通してゆく。
「私を求めたまへ」
「はい?」
「見るがいい。このバーコードをッッ……!!」
撫子さんが肩口をそっと見せると、そこには手書きのバーコードがあった。
うん、お店の中で肩を出さないでほしい。寒いから風邪をひいてはいけない。
「ピッ、するのだ!」
「……」
断ると面倒なので、無言でバーコードを読み取った。
──ピッ。アイラブユー。
「君の愛は確かに受け取った……!! サァ! 行こうではないか! 二人の愛の巣へ……!!」
「……」
会計を済ませ、僕はすぐ隣にあるサービスカウンターへカートを押した。
「お返しします」
「はーい♪」
待機していた撫子さんのお母さんが、これまた嬉しそうに撫子さんが乗ったままのカートを受け取った。
そして引き換えに割引券を手渡された。
「いつもゴメンね」
「いえいえ」
ここまでがいつものやり取りだ。実に気苦労が多い。
「待ちたまへ! 私を置いてゆくのかい!?」
「先輩、また来ますから」
「フフフ、君は私との買い物を楽しみにしているようだねッッ……!! 良かろう! 次も君を満足させられるよう、私も気合いを入れねばな!! ハッハッハッ……!!」
スーパーを出て、買い物メモに再度目をやる。
買い物リストの一番下に、大きく【必ず撫子ちゃんと買い物をすること!】と、書いてある。
まあ、つまりはそういう事なのだろう。大人ってずるいな。
翌日、学校で出会う先輩は、件とは違ってかなり大人しくて控えめだ。
「先輩おはようございます」
「おはよう……」
眼鏡をかけ、地味な雰囲気が全面に現れていて、本当にスーパーで見るのと同じ人物かは疑わしいくらいだ。
「先輩、来週は月に一度のお買い得デーですよね」
「……うん」
「行ってもいいですか?」
「……好きにして」
「はい」
まあ素っ気ない返事なのだけれども、拒否の返事では無いことは確かだ。
「フハハハハ……!! よくぞ来たなッッ!? 今日は月に一度のお買い得デェェェェー!!!! 君の目を見れば分かるッッ!! 君の目は愛に飢えてる目だ! 私の愛で君のその心のカゴを満たしてやろうではないかッッ……!!」
「あ、はい……」
「では押したまへッッ!! 最初は野菜か!? 今日は玉ねぎがお買い得だぞ!!」
「玉ねぎはこの前お隣さんから貰ったから、ピーマンから良いですか?」
「ハッハッハーッ!! やはり君は私の予想を裏切らないナッ!! 良かろう! とことん君に任せるゾッッ……!!」
スーパーでカゴに乗る先輩はとても楽しそうで、一緒に居る僕も自然と笑顔があふれて嬉しくなるからだ。