親子
潮の風見鶏では今日も探索者が仕事に精を出し、すっからかんの宿は閑古鳥が鳴いている。
今日は風の踊り子が休みの日。
誰も居ないロビーでセレンは壁際のソファに腰かけ読書にいそしんでいた。
ラグロスは朝から誰かに駆り出されたし、ルーツェは昨日引っ張り出したきり拗ねているので誘うのは辞めた。
リットとチリーは二人でどっかに行ってしまったし、ドーレルは親子の時間を過ごしているらしい。
そんなわけで、セレンは暇だった。彼女のプライド的に、断じてぼっちではない。
ちょうど読んでみたい本があったから読んでいるだけだ。
誰に言うわけでもない言い訳を胸に、セレンは本の世界に没頭する。
こういった物語に触れる機会は今までなかったが、いざ触れてみれば意外と面白い。
もともと人間として彼女は感性が子供っぽく、何もかもが新鮮に映る性分だ。
娯楽を意識して作られた創作物は彼女の興味を大いに惹いた。
今彼女が手にしているのもラグロスにせがんで買ってもらったものだ。
彼も彼で、セレンにねだられては断れず、二つ返事で買い与えている。
そんなことをするからルーツェが拗ねるのだが、二人が気付くはずもない。
「……ふぅ」
今しがた最後のページをめくり終え、ぱたんと本を閉じた。
物語を最後まで見届けた後の充足感と喪失感で胸が満たされる。色んな感情でいっぱいになった息がほうと漏れて、彼女の満足感を教えてくれる。
自分の任務さえ忘れてしまいそうな感情は非常に毒だが、捨てがたかった。
──いずれ、この町もなくなってしまうからこそ、捨てがたかった。
ともかく、大いに満足はした。
それはいいのだが、セレンには一つ問題があった。
閉じた本から目線を外し、顔を上げる。
セレンが話せるような人は皆出払っている。
そして、彼女の今日の予定は今しがた読み終えてしまったこの本を読むことだ。
現在は正午を過ぎたところ。今日はまだまだ長い。
つまり、暇が出来てしまった。
話し相手といえばせっせと机を拭いている店主ぐらいか。
スキンヘッドの彼の頭部は窓から入る日光を反射して自慢げに光らせている。
何だかんだセレンも世話になり、一時は格安で部屋を提供してもらった恩がある。
だが、良くも悪くも気さくすぎる距離感はセレンにとって少し近い。
嫌いではないのだが、苦手意識が少しだけ。
「お、どうかしたか嬢ちゃん。俺の輝きに見惚れたかー? 悪いなー、俺にゃ一生を誓った相手がいるから嬢ちゃんの愛は──」
「いえ、何もないわ。──何もいってないし」
「つれねぇなぁ。そんなんじゃ友達出来ねぇぞ?」
「…………別に、そんなものを求めてここに来たわけじゃないもの」
元より、仕事で来ているようなものだ。ラグロス達だって、所詮は仕事仲間。
友達作りに来たわけじゃないのだから。
──ほんの少しだけ、ほんの少しだけ気にしてはいるけれど。
「何事もないよりはあった方がいいぞ? 俺の髪はいらねーけどな!」
「うるさい」
「ガハハ」
セレンの棘が入った言葉も店主は笑ってさらりと流す。
色んな人間を相手してるだけあって、彼にはセレンの心情などお見通しだった。
言われてはいそうですかと認めるような少女でないことも。
「…………」
つれない態度を取った自覚はある。けれど、店主も悪いでしょう。と開き直りたい──が、心の片隅で気にしてしまうセレンは返す言葉に困り、黙ってしまう。
「……んでよ。嬢ちゃん。時間はあるか?」
「……そうね。余裕はあるわ」
「じゃ、ちょっと買い出し頼まれてくれや。おーい! リュージュ!」
「は、はぁい!?」
セレンの是非を聞く前に店主が厨房へと叫ぶ。
返って来た返事は悲鳴染みていて、セレンが心配になるほどだった。
ぱたぱたと走って来た声の主は緑髪を三つ編みにしたエプロン姿の女性だ。
いつも口うるさい探索者に給仕をするそれなりに強かなはずの人である。
「よ、呼びましたかー!?」
「あぁ呼んだ。ちょっとこの嬢ちゃんと一緒に買い出し行ってくれや。探索者一人居りゃあ多少の荷物でもいけるだろうさ」
「え、えと……いいんですか? ちゃんと確認取りました?」
「いや、取ってねぇけど。嬢ちゃんも暇してたから丁度いいだろ」
「──暇とは言ってないわ」
「ほ、ほらぁ!?」
駄目じゃないですかっ。いやだって見るからに暇そうだし。
せめて確認ぐらい取りましょうよ。ううんとは言ってねぇだろ。
なんでそんな適当なんですか。男ってのぁそんなもんよ。
あーだこーだ。うんぬんかんぬん。
非常に騒がしい。リュージュと呼ばれた給仕の女性も気弱そうだがちゃんと言い返すあたり、探索者相手の仕事をしているだけあるとセレンが蚊帳の外で感心する。
元が監視者としての存在だったか、こうやって人を観察するのは地味に好きだった。
特に、興味が湧いた人間に対してはなおのこと。
そして、丁度このリュージュという人間にも彼女の好奇心が反応している。
暇つぶしにはちょうどいいだろうと内心で暇していたことを完全に認め、立ち上がる。
「別に良いわよ」
「おっ!」
「えぇ!?」
対照的な反応に、思わず目元が和らいだ。
その反応に店主と給仕もつられて笑う。なんだかんだこの謎めいた少女は密かに人気なのだ。
彼女が人見知りで高嶺の花染みているから喋りかける輩は少ないが、探索者では一際美人。
騒ぎ散らかす探索者を見て、時々くすりと笑う仕草は宿の男どものハートを軒並み撃ち抜いている。
ミステリアスな美人だが、意外と純朴で、まぁ可愛い。
男に限らず、女性人気も高い。からかいがあると、ルーツェの友人であるジェシカの感想には賛同者が大量だ。
「悪い?」
「いーやとんでもねぇ! ありがてぇ限りだわ。メモとかはリュージュに渡しとくからそいつの頼みを聞いてくれりゃそれでいい」
「分かったわ。いつ出るの?」
「す、少し待ってて下さーい!!」
まさかの降ってわいた幸運にリュージュが慌ててバックルームに駆けていく。
気が変わられては今日の彼女の苦労が段違いだ。この機を逃すわけには行かなかった。
「礼くらい先に言っていけよな、馬鹿もん」
消えていった背中に向けて店主がぼやく。
文句を言っているようだが、セレンの目には何となく愛があるように感じた。
根拠だとか、具体的にどうだとかは言えないけれど、セレンをあーだこーだからかいながらも親身になってくれたメドゥと似ていると思ったのだ。
「良いわよ。──暇、してたから」
「……おん?」
だからだろうか。思いのほかあっさりと、彼女の本音も零れ落ちる。
意地っ張りな彼女の素直さに店主も眉を持ち上げた。
「変なもんでも食ったか?」
「……失礼ね」
「ガハハ。嬢ちゃんがそんなんだとラグロス坊も調子狂うだろうさ。チューニングってやつだ」
「…………あの子は、どういう関係?」
店主の口車に付き合っているのも面倒なので、話を逸らすついでに突っ込んでみる。
彼女が他人のプライベートに踏み込んでくるのは稀なので、店主が今度は目を見開いて固まった。
「──おもしろかねぇぞ?」
「言いたくないなら聞かないわ」
「ま、隠すほどでもねぇけどな」
今しがた拭き終えた丸椅子に腰かけ、足を組む。不思議と様になっているのが面白くて、セレンも丸椅子に座ってみる。
骨格のせいだろうか足を組むのは違和感が大きくてやっぱり辞めた。
大真面目に姿勢探しをするセレンを見て、気が抜けた店主は口からぽつりと零し始める。
「へっ。──何でもねぇ話だ。つまんねえ男が女に惚れて、けど、そいつには相手がいて子供もいた。だから男は諦めた」
突拍子のない話だった。
セレンには話の大筋が理解できず、目を丸くしたまま店主の語りに聞き入った。
「女は幸せそうだった。けど、不幸にもその幸せは潰れちまった。遠くの迷宮で起きたよく分かんねぇ魔力災害とやらに巻き込まれたんだとさ。そんで、男も女も共倒れ」
「…………子供は?」
「その両親が身を張ったおかげで元気にぴーぴーないてたさ」
「…………」
子供一人が取り残される。そういう出だしはセレンも本の中でたまに見かけた。
深く考えたことはなかったが、ありふれたものとさえ思っていた。
けれど、こうやって人の口から聞くとそうは思えなくなってしまうのが不思議だった。
「俺にゃあその子供は無視できなくてな。道端に落ちてたお金よりもあっさり拾っちまった」
「……貴方の子供じゃないのに?」
「ああ。あっちからしたら顔も声も知らねぇ赤の他人だな」
「…………」
「町はボッコボコだから俺も仕事がなくなったしで、知り合いの探索者のツテ借りて子供引き連れてこっちに越してきたわけだ。あとは持ちつ持たれつで宿をやってるだけって話よ」
「物語って、あるものなのね」
「……嬢ちゃんらしい感想だな。男の未練にゃ口ださねー所も含めて」
「さぁ。私にはよく分からないもの」
本気でそう思っているのだ、とセレンは首を横に振る。
「そうね……強いて言えば──どうして、赤の他人にそこまで肩入れできるの?」
「そんなの決まってらぁ。──親子だからだよ」
「……?」
赤の他人なのに? と口にはしないが声が聞こえそうなくらい見事な首の傾けっぷりだ。
「そういう心構えだってハナシな」
「ふぅん」
よく分からないけれど、頷いておいた。
「お、お待たせしましたぁ!!」
「……ん。行きましょうか」
「おう、行ってこい。気を付けろよー」
「はぁい! 行ってきまーす!」
パタパタと走っていくリュージュを追い、セレンも歩きだす。
こういう関係もあるのだと、自分でも分からない暖かい感情を胸に秘めて。