所有権
グラスの中で金がかった液体がなみなみと揺れている。
机に上半身を預け、ルーツェは顔だけを持ち上げた。
彼女もよく知る飲み物、北国の憩い場で販売されているミラクルサワーだ。
ちゅー、とグラスに差し込まれたストローが液体を吸い上げ、フードの影──セレンの口元へと吸い込まれていく。
「はぁ……」
瞼を閉じて嘆息をひとつ。
白いフードの中に隠された素顔は整いに整っている。
肌なんかは太陽を知らない人みたいに白くて、そのくせ健康的な艶が見てわかる。たぶん、触ったら触れた指が滑っていくぐらい滑らかに違いない。
一番見えにくい目元だって、まつげは長いし宝石みたいな金の瞳はキラキラしてる。
作り物めいて、儚い。
リット曰くラグロスの好みだよね、と。
ひっじょーに、解せない。
こつこつ育てていた焼肉を取られた気分だ。
ついでに言えば、食べたくて乗せたタイプのやつ。
悪意があって盗んだならまだしも、本人にそんなものはないし、なんなら彼女のお陰で彼も調子を取り戻した。それどころか、メキメキと実力をつけている。
課題だったチャージ中に魔圧動けない点を解消してからはあっという間だ。
門番における制限、五人の上限を無視して、六人で中層門番──クラウディアはあっけなく突破できた。
いくら恩があるからと言って上限無視の挑戦はご法度だろうと揉めたが、ラグロスは臆せず、それなら二人で行ってくるなんて言う始末。
対策もある、可能性もある。安全マージンも取れる。
自分たちも彼女の恩恵を受けてスキルを進化させた。
反論できる所が僅かな不安しかなく、そんなものは探索者にとって日常茶飯事。
いちいち気にするほうがおかしいと言われてしまえば、リットも言い返せなかった。
トントン拍子過ぎる進歩。みんなは喜んでいるけれど、今まで牛歩の歩みで進んできたルーツェには少し早すぎた。
良いことだ。良いことなのは分かっている。ケチつける所なんてない。要はルーツェがセレンを気に食わないだけの話。
そこまで分析できているから彼女は不機嫌だった。
「元気、なさそうね」
「──」
あなたのせいでしょ。
口にまで出かけた言葉を飲み込んだ。
返す言葉を失い、気まずい沈黙を埋めるため同じく頼んでいた自身のミラクルサワーを口にする。
パチ、と口の中で弾ける酸味に思わず口をすぼめた。
「ふふ」
「なにかおかしい?」
「いえ、貴方なら飲み慣れてそうだったから以外だっただけよ」
「すっぱいのは好きじゃない」
「嫌いな人もいるのね」
こんなに美味しいのに、と副音声が聞こえてきそうな勢いで目を見開く。
出会った頃に比べれば随分と表情が豊かになった。
画材で直接描くだけでなく、色を混ぜて別の色を作ることを覚えた感じだ。
ライバルが強敵になっていく。
指をくわえて見ていることしか出来ず、なんとも歯がゆい。
「……嫌いは言ってない」
素直に認めるのも癪なので、揚げ足を取る。仮にも姉のくせして大人気ない台詞だった。
ラグロスがセレンを拾ってきてからもうひと月が経った。
彼女も宿内で白ローブの魔術師として名を馳せている。
圧倒的な手数と威力の魔術の数々はポジション的に被るチリーを泣かせたほど。
そんなチリーも色々教えてもらってセレンを師匠と呼んでいる。……懐柔されるなんてなさけない。
可愛いのは認めるが、やはり納得がいかないとルーツェは顔も机に倒した。
セレンですらため息の出る拗ねっぷりだった。
「……別に、取るつもりもないけれど」
どんな表情をしているかは彼女に分からないが、呆れとちょっぴり拗ねた雰囲気を混ぜた声が聞こえる。
「……何を」
伏せたまま尋ねた。聞くまでもなく、セレンの言いたいことは痛いほど分かっていた。
だから顔はあげなかった。分かっていても、妙な期待はしたくなかった。
「ラグロス以外の何があるのよ」
「そういう問題じゃない」
セレンが腹の底で何を考えているなんて、とりあえずどうでもいいのだ。
それよりも、ラグロスがセレンを構いっぱなしなのが問題なのである。
要は、構えよ馬鹿。と言っているだけの話。
もはや飼い主を取られて怒る猫だった。
「……ふぅん」
セレンは曖昧に頷いた。正直なんで拗ねられたのか分かっていない。
ヒトの複雑な心境など、人間生活一ヶ月の赤子に分かる訳もない。
彼女のプライドが安易に分からないを口にすることを妨げ、分かった風な相槌だけうった。
特に言葉も思い浮かばず、手元のストローを咥えた。
「──。……」
ずぞぞ、と耳障りな音が返って来た。求めていた酸味のあるジュースはない。
氷が溶けた味気ない水の味が口の中で広がった。酸味だけついた水は塩漬けしただけの携帯食料を思い出すので、あまり好きではない。フードの奥で形の良い眉がへにゃりと曲がる。
沈黙の度に飲んでいた物だから、ここへきて十分程度だと言うのにすぐになくなってしまったのだ。
「……アリエルー」
「──はーい?」
カウンターの奥からエプロン姿の店主アリエルが走って来る。
洗い物をしていたらしい彼女に今の会話は聞こえていない。
けれど、セレンだけなくなっているグラスを見て伝票を掴んだ。
「おかわり貰える?」
「はーい、かしこまりました」
突っ伏すルーツェを無視して、カウンターへ戻っていく。
自分から聞くのが嫌だったので、向こうから尋ねてきてくれないかと画策したがセレンのたくらみは失敗に終わった。
少女たちのすれ違いは放置されたまま。
唯一解決できそうな大人の女性は思いのほか早く帰って来た。
「は、おまちどうさまー」
「ありがとう」
なみなみ注がれたミラクルサワーにセレンはご満悦だ。
そんな彼女を見て微笑みを浮かべながらアリエルがエプロンを畳み、空いていた椅子に腰かける。
「仕事は?」
「お客さん、君達だけだもの。洗い物も終わったからちょっときゅーけーい」
「……そう」
だらしなく背もたれに身を預ける店主に、それでいいのかとも言えず頷くにとどめた。
人の生活にはお金が付き纏ってくるのは学んだが、この女性がどうやってお金を稼いでいるのか不思議でならない。
「ん? なーに?」
「いえ、なんでも」
「そー? じゃ、私からしつもーん。何話してたのっ」
「…………」
口にするのは少し憚られ、セレンが押し黙る。
何故かは彼女自身も上手く言葉に出来なかった。特に難しい話をしていたわけでもない。
強いて言えば、この人に言ってしまえばもう変えられない現実になってしまいそうで。
つまるところ、彼女も彼女で独占欲ぐらいはあったのだ。
「……所有権の話、かしらね」
「しょゆー、けん? 難しい話してるのねぇ。で、何の所有権?」
「……ラグロスの」
「……あらあらあら」
頬に手をあてニマニマと。すっごく楽し気だが、その顔はこちらがむかつく。
せめてもの抗議を目線に込めたが、むしろニヤニヤ顔がさらに深くなった。
「ふふっ。あの子も隅に置けないわねぇ」