ある落ちこぼれの日常
少し遅くなりましたが、六章の投稿を始めます。
白亜の宮殿。並び立つ白煉瓦の建造物。
日常の喧騒もなく、大理石の舗装路を叩く靴音のみが、この場を占有している。
整った歩き方で黙々と往来する天使達しかこの場にいない。
統制された秩序の世界。衣食住全てがあらかじめ用意されている天使に必需品という概念もない。
建物こそあれ、鼻をくすぐる料理の匂いも、客を寄せる張り上げた声もない。
遊びで作った砂城のように、真似ただけの張りぼてと変わりないのだ。
それに、白亜群の広さは精々村程度しかない。村に城を立てたようなちぐはぐさがここの異質さを示している。
宮殿の前には何かを探している様子もなく、ただ沈黙したまま突っ立ている長髪の天使がいた。まるで作り物のような美しい造形の顔、純白の羽。白尽くしの衣装。
どれもが神秘を匂わせる。
そこへ、同じくもう一人の天使がやってきた。どこからともなく空から現れ、飛翔に使っていた翼を折りたたみ着地する。
平行世界の巡回を行っていた天使だ。
彼らの役目は転換点の破壊、阻止、妨害である。
無駄な平行世界を産まず、収束された時間軸を作ることを命令された人形。
まさしく秩序の番人なのだ。
『交代』
『……了解』
巡回を終えた短髪の天使が長髪の天使へ引継ぎを行う。
僅か一言の思念に監視状況や連絡事項を付随さえ、情報を高速伝達させる。個としてもそこらの存在より強い力を与えられながら、集団戦闘の適性を与えられた兵士。
スムーズな伝達により長髪の天使も引継ぎを行う──はずだった。
『確認』
『悪魔』
長髪の天使が僅かに表情を曇らせ、再度交信を試みる。
女性型天使である少女には、造り手のある試みが採用されていた。
二度目の伝達で情報を会得、完了した少女が破顔する。人間ならば女性ですら見惚れる笑みなのだが、男性型天使であるそれは眉すら動かずその場を去る。
彼から得た情報は、監視地点で悪魔の出現が予測されることだった。
しかし、天使一体で十分な処理が可能と考えられるとも。
増援の必要はなし、引き続き現行体制での巡回を求めるとのこと。
驚異度が低いという情報に少女は胸を撫でおろす。あたかも、増援をよぶような事態にならなったことを安堵するように。
従来の天使はこのような行動をとらない。彼女にのみ付与された試作機能だ。
情報交換を終えた少女はその場を飛び立つ。
先程男性型天使が辿った空路をなぞるように飛翔。
目的地はとある遺跡群だ。
天使が巡回をする場所は法則性があった。
一つは魔力濃度の高い場所。魔力濃度が高いと魔力生物──いわゆる魔物が発生しやすい。
そして、地形によって魔力が狭い範囲に集まりやすい場合より強力な個体が誕生する。
この仕組みは迷宮と同じだ。
むしろ、迷宮の作り手がこの仕組みを参考に迷宮生物を生み出しているのだ。
そして、旧文明の遺物が眠っている遺跡は魔力濃度が高い傾向にある。
人間が突如現れた迷宮──迷宮生物、魔物に抗った歴史であり、人間が魔力に適応しようと抗った生き様を示していた。
その抗いようはその世界の上位存在、悪魔や天使と呼ばれる者たちを大いに驚かせた。
所詮は悪魔と天使の大戦争──ラグナロクの舞台として巻き込まれただけの存在に過ぎず、抗いようもなく絶滅するだろうと誰もが思っていたのだから。
そこで、天使の造り手はそれを興味を持った。天使を遣わせ、人間の生き様を観察した。
吹けば飛ぶような塵のような存在でありながら、連携し、成長し、台風にすら抗って見せた存在。
その根源を探るべく観察を繰り返した。
来る日も来る日も繰り返した。
造り手にとって、時間という概念はない。それが直接干渉できるのは現在だが、その気になれば尖兵たる天使を過去や未来に送り出すことも可能だからだ。
寿命で死ぬ心配がないとなれば、造り手の人生は常に退屈で襲われていたようなもの。
その退屈しのぎで得た成果の一つが感情と呼ばれるものだった。
最初は造り手も不明点どころか、転換点すら産む概念を嘲笑した。
何しろ、人形を作っているのに、その人形に自由意思を与えるどころか主への反抗すら可能にさせる概念だ。
喜怒哀楽。それは出力パラメータを大いに変動させ、上下こそすれ運命も変えられる概念だったのだ。
特に、ラグナロクが終わり魔物で溢れかえる時代では、種の存続のため自らの子供を手放した親さえいた。
どちらも共に在りたいと願いながら、願望に相反する生き方は造り手を大いに悩ませる。
しかし、その在り方だけは確かに面白いとも感じていた。
下級天使に用意されているパラメータは常に一定の出力を起こす。それ以上を発揮しようとすれば天使の力を内包する器が崩壊し、自壊する。
そうならないよう、天使は合理的に自壊を回避しながら命令を遂行している。
そこで、造り手は実験をすることにした。発揮できるパラメータの上限のみを撤廃し、感情だけを与えた天使を造り出す。
AIを搭載したロボットのようなものだ。そして、ロボットで考えれば当たり前の話だが、感情というリソースの分だけ本来の天使に求められる能力が奪われる。
従来の天使とは小さな差、だが感情による下振れを起こせばその差はさらに広がる。
周囲の天使は自分と完全に同じことが出来る前提で彼女に情報を伝達する。そして、能力差が彼女を蝕む。
結果だけを話せば、造り手としてはあまり面白くない結果に終わった。
「──」
遥か上空で少女天使が悪魔の襲撃を受ける。
生まれたばかりの名もなき悪魔。天使の権能を用いれば容易に撃破できる相手。
なのに、恐怖で足が竦んでしまいロクな行動も出来ない。
ただの魔弾の連発に翼が貫かれ墜落していく。
思うように飛べなくなるハプニングから立ち直るのも感情があれば一苦労。
──損傷。落下。飛翔。不可能、不可能、不可能!
無機質な表情の裏側で天使の感情が暴れる。人間であれば、冷や汗をかき、何か叫びでもするだろうが、彼女は天使だ。感情がないのだから表情筋など作られていないし、発汗作用もない。こみ上げた衝動で叫び出すこともない。
結果、赤子のように宙でじたばたを繰り返し、墜ちていくだけ。
人間に比べれば強固な器も、数百メートル上空の落下に耐えられるはずもない。
撃墜。くしゃりと潰れた彼女の肉塊が瓦礫に混じる。
しかし、彼女の不幸はまだ終わらない。
得た情報を死んでも持ち帰らせるため、たとえ行動不能になろうと独立して働く視界が生き続ける。次元、時間、平行世界を超えた情報伝達は出来ないので別の天使が残骸を回収することで情報も回収するのだが──
遺跡の魔物達は突然降って来た新鮮な肉に嬉々として集いだす。
生きて己の死肉を貪られる。足を食いちぎられ、腸を抉られ、頭からまるごとかぶりつかれる。体が血の風呂に沈み込む。底なし沼のようにじわじわと。嵩が増えるわけでもなく、体が貪れ、小さくなることで浸かっていく。
普通の人間なら痛みで失神でもするだろう。もしくはその前に命を絶たれこの世から去るだろう。
「あ」
跳ね上がる血飛沫。水だったなら小さな虹でもかかりそうなぐらいの散開具合だ。
見事なくの字折れ曲がる体。口元からは哀れなかすれ声が零れ落ちる。
だが、痛覚はない。邪魔だからと剥奪された。
しかし、身体が繋がっている感覚はある。その接続が淡々と断たれる感覚もある。
分離されていく恐怖。消失していく恐怖。己の体を奪い合うように集われる恐怖。
五体満足からほど遠い損傷。千切れかけの命綱のように皮や肉が辛うじて繋がり、頼りない結びつきが少女を形どっていた。
美麗だった姿は見るも無残になり果てている。
「お──……あへ?」
もはや拷問、生き地獄。
彼女にとってこの命に意義すら見いだせない状況で。それでも生きているのは彼女のためでなく、組織たる天使たちのためだ。
モノとしか見られない扱い。事実、モノとして造られている存在。
「──いぎぃ!!?」
下手に感情などを与えられたものだから、彼女の中で暴れ狂う喜怒哀楽は凄まじいの一言では片付けられない。
もとより、痛覚は危険信号で恐怖は撤退命令。
生存のために用いられたもので、決して他者をいじめるために作られたものではない。
ただ、興味本位で作られたりしなければ。きっと起こり得なかった。
後に現れる天使が駆けつけるまで、彼女の地獄が終わることはなかった。