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諸刃の剣士は迷宮征きし白翼を追う  作者: 青空
末路:閉じた幕の裏側で
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沈む港町

「──なんだ……あれ」


 シーフィルの人間で最初に異常に気付いた者達は、迷宮への入り口へ繋がる桟橋に居た者達だ。

 唐突に揺れた地面にシーフィルの人間たちの驚きと悲鳴が響く中、その地震の原因である迷宮の元から何かがせりあがって来るのを目視したのだ。


 太陽に燦々と照らされる海面、本来であればその輝きを受けて蒼く輝くはずの海が何故か暗い影に満ちている。

 そして、その影はだんだんと浮上してきているのだ。しかし、迷宮の下で浮き上がる影の存在に気付く者は少なかった。


「何か浮いてるの?」

「……壊れてる音か?」


 桟橋に居る者達の大半は迷宮に用事がある探索者だ。

 己の命をチップとして日銭を稼ぐ者達が、己の第六感が警鐘を鳴らすことに違和感を覚えつつ緊張を走らせる。


 そして、影が海面へと浮き上がる。

 だが、それを妨げるものもある。探索者たちの仕事場、神の修練場だ。

 未知の技術で出来たその外壁も容易に壊し、影が──海を割り砕いた。


 その影に持ち上げられた海水が水柱をあげながら跳ね上がり、重力に従って海へと戻っていく。自らが起こした海水の雨を浴びる影の主こと、大悪魔ケイオス。

 見る者すべてに異質であると、超常の存在であると認識させる異形の姿はその場を一瞬で混乱に陥れた。


「な、な──なんだよ!!! あいつ!!!??」

「ばけものッ!?」

「おい! どけ! 邪魔だ!!」

「誰か助けて! 装備が重くて泳げないの!」


 敵であるということはその場のすべてが一瞬で理解した。

 日々怪物である迷宮生物と戦う探索者たちは、命惜しさに一目散に逃げだした。

 たが、長い桟橋に人が何人も並べる幅はない。精々横に数人並べられる程度だ。

 そこで一目散に人が走り出せばどうなるか。押し、押され、桟橋から海へ落されるものも当然現れる。


 とにかくこの化け物から逃げないと。恐怖で支配された人間たちに周りの者を助ける余裕はない。仮に余裕がなくとも周りを助けようとする善人がいたとしても、逃げ惑う人々に押されて救助も叶わなかった。


 海面から上半身だけを晒したケイオスは城よりも大きな巨体を身じろぎさせ、逃げ惑う人間(虫たち)見下ろした。

 なんて、矮小の生き物なのだろうか。生物の本能に従い、もっとも生存が有り得る選択肢を反射で選び取った人間たちのもがき。

 そこに愛おしさすら感じたケイオスが花をめでるようにそっと岸辺を撫でた。


 城ほどの巨体の手だ。触れたものが無事で済むなど夢物語がかなうはずもなく、砂城が如く一瞬で何もかもが崩れ去る。


「ぎゃあぁぁぁ!!?」

「いッ~~────!!」

「いだい……いだいぃぃ!!?」


 混乱が恐慌へと進化する。

 悲鳴を上げられたならきっと良いほうだ。

 それすら上げられず、一瞬吐き出した空気が断末魔となった者も居れば、半身をえぐられて奇しくも生き残ってしまった者もいる。


 悪魔の巨体は器に過ぎない。本質はあまりにも高純度な魔力の塊であり、触れた低濃度の魔力を犯し、吸い取り、物質を溶かすほどの災害だ。

 元より魔力の少ない人間に抵抗など出来るはずもない。仮に出来ても巨体で潰されるのがオチだ。


 シーフィルの人間に許されたのは、大悪魔のきまぐれのまま緩やかに溶かされ、潰されていくのみである。

 隣接する海が防波堤の破壊によって町へとなだれ込み、港町だったそれを沈没都市にせんと海水で浸していった。危険を察知し、全力で背中を向けて逃亡を計ろうにも、存在規模の違いで叶わないこと必至。




 絶望と破壊で満たされるシーフィルだったが、事前に避難を行い一応の安全を手に入れた者達もいた。

 港町が阿鼻叫喚に陥るよりも前、いち早く避難を行ったのだ。


「……あれが、悪魔……」

「シーフィルが! みんなが……!」


 シーフィルからしばらく北上した丘の上で、リットとチリーが絶句している。


「ねぇルーツェちゃん。本当にラグロス君とセレンちゃんは無事なの?」

「多分──きっと」

「……心配すんナ。あいつらなら生きてるだロ」


 北国の憩い場の店主、アリエルが不安に満ちた表情でこの場に居ない常連客の心配をする。

 深海で藻屑となった誰かの末路も知らず、その誰かの武具を作っていたジエルが願望も込めた楽観視をする傍ら、ルーツェは祈るように頷いた。


 黒騎士の転移魔法で送り出されていったラグロスを追いかけていたルーツェは、突如足を止めた黒騎士にシーフィルへと送還された。


『やっぱり阻止は無理だったわね……ごめんなさいルーツェちゃん。時間が許す限り、このことを信じてくれる人を非難させて』


 氷の申し訳なさそうな謝罪と願いを一方的に聞かされ、訳の分からぬままシーフィルへ戻されたルーツェは理解が追い付かないなりに宿へと戻り、リットに相談。

 相談を受けたリットが宿の店主に伝え、彼らの人徳で詳しい説明なしに彼らに一見意味不明な非難を受け入れさせた。

 その後宿に居た者達で手分けし、各々の知人を連れ出せるだけ連れ出して時には罵詈雑言も受けながらこの丘へと逃げて来たのだ。


 結果としてルーツェの選択は間違っていなかった。行動自体に後悔は一つもない。

 シーフィルを破壊する悪魔を見て、絶句する者狂乱する者崩れ落ちる者。様々だがどの姿にしても彼女の選択を正しいと証明する材料になったことに違いはない。


 ルーツェは確かに多くの命を救ったのだ。

 けれど、迷宮の奥に残してきてしまったラグロス達の安否だけがずっと彼女の顔を曇らせている。


「ルーツェさん。貴方の出来ることはきっと尽くしました。あとは、祈ることしか出来ません」

「ん、分かってる。──わかって、る……」


 ドーレルの慰めにもルーツェは素直に頷けない。もう置いて行かれないようにと決意した彼女の意思など嘲笑うような惨劇。それを目にして落ち着いてなどいられない。

 今だって叫び出したい気持ちを何とか堪えて、走り出したい己の足を震わせて留め、必死に巨大な悪魔を睨みつけている。


 いまいち目的がつかめなかった黒騎士たちの真意も今なら推測できる。

 今起きている惨劇の阻止──結果として不可能だったそれを水面下で止めようと暗躍していたのだろう。

 ルーツェには説明のつかないことはあれど、彼女を送り返してくれたのはこの状況を見越しての物に違いない。


 黒騎士たちも戻らなかったのは不明だが、恐らく生き残る手段ないしこの状況に対する手立てがあるのだろう。

 ──そうであって欲しかった。


 願望であることなど、ルーツェ自身が百も承知。この世が願望通りに行くことなど少ない方が多い。

 けれど、今だけはこの願望に縋っていないと正気を保てなかった。


「お嬢ちゃん。元気がないねぇ」

「…………?」


 誰もが声に生気を損なわせている中、異常といっても過言でない気楽な声が彼女の意識を引いた。

 思わず暗い感情も今だけは忘れてしまう疑問に従うまま、ルーツェが視線を向ければボロボロの車椅子に腰かける老婆が彼女を見上げていた。


「誰? あなた」

「アタシかい? ヒッヒッヒ、アタシゃしがない老いぼれさね」

「……どうして笑えるの?」

「どうして。……どうしてだろうねぇ? アタシも怖くてたまらないんだ」

「…………?」


 ルーツェの頭が疑問符で埋め尽くされる。怖いなど当たり前だろう。あれを見てなんの感情も持たない方がどうかしている。人間性すら疑うに違いない。

 けれど、目の前の老婆は恐れを見せつつもどこか楽し気にも見えた。

 その姿は新たな場所へたどり着いた探索者を想像させる。安全を捨て、未知という脅威に抗いつつも、その先にある何かをつかみ取ろうとする挑戦者の姿だ。

 だからだろうか、ふざけているのかと言われても仕方がない老婆の態度にルーツェは何の怒りも湧かなかった。


「けどねぇ、同時にワクワクしてるんだよ。乗り越えられない壁を乗り越えたときの感動に、未来に、夢に──ね」

「あなたは……あれを倒せるの?」

「いーや? 逆立ちしたって出来っこないよ。当たり前だろう?」

「…………そうだけど」


 じゃあ、何故老婆のくすんだ金の瞳は輝きを失っていないのだろう。未知に燃え、全滅の危機ですら乗り越えられると信じている探索者の目を──そこに宿しているのだろう。

 誰が見たって絶望でしかないこの光景の先に何が見えているのか、ルーツェは不思議で堪らなかった。


「ヒッヒッヒ! アタシからすれば、あんたの方が不思議だよ。ここにいる奴らはみーんな暗い顔だ。ま、当然さね。あれを見て暗くならない奴の方が不思議だよ」

「それはあなただって──」

「あんたもだよ」

「…………?」


 首を傾げる。自分にそんな希望はない。夢物語を祈る願望はあれど、夢物語を掴もうとする気概など欠片もない。仮に残っていたとしても


「無理だと分かってるのに、諦めたくないって顔さね」

「そんな顔──」

「やけになってるわけでもないね。……虎視眈々ってかい? 希望を見失って絶望してるけれど、希望を探す行為は辞めないってんだからお笑い者だね──ヒヒヒ」

「──ふざけないで」


 心底ムカつく。なのに、老婆の口にしたことはルーツェも気付いていなかった彼女の心を正確に当ててみせた。どこまでも具体的で、明瞭な説明にルーツェが声を荒げる。


「ふざけてなんか、ないさ」

「……え」


 だが、ルーツェが思わず荒げた声すらもなだめるように、凛と響いた老婆の声が彼女の胸に刺さる。

 水銀のように染みわたる重み。飄々と形を変える流体でありながら生半可なことでは形を変えない金属でもあるそれが、彼女の本質を物語っていた。

 そして、水銀は固形へと変わる──ルーツェが呆気にとられるくらいに、その言葉は強い意志に満ちていたのだ。


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