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諸刃の剣士は迷宮征きし白翼を追う  作者: 青空
末路:閉じた幕の裏側で
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顕現

活動報告に記載の通り、次章までの間隔週のペースで幕間を投稿します。

「……あ、──あぁ」


 それは像が蟻を踏みつぶすかのような、いともたやすく行われる当たり前の光景だった。

 けれど、握りしめたスポンジみたいに肉が潰れ、潰れた体では留められなかった血が噴き出し、鮮やかな赤が満開の薔薇のように広がっていった。

 握られた拳から聞こえる愛した誰かのかすかな悲鳴。

 その意味を解したセレンの目が絶望で光を失っていく。


 紫炎の渦から這い出た巨椀は、血肉に塗れた手で渦を押し開け、巨大な体が通り抜けるための大きさまで広げさせた。部屋の半分を飲み込むほど広がった紫炎の渦。

 今度は両手が這いだし、地面を押さえつけて体を持ち上げ始める。


 まるで、地獄の入り口を彷彿とさせる紫炎から最初にぬるりと現れたのは悪魔の頭だ。


 その大きさだけで家一軒分はあるだろうという頭部には捻じれた二本の長い角があり、口は耳元近くまで裂けている。

 さらに背中からはコウモリのような翼と皮膜で出来た大きな尻尾が伸びており、その姿を形容するならば悪魔以外になかった。

 そして、悪魔が部屋の中へと完全に姿を現したとき、背後の紫炎も消えてなくなる。


 セレンが持っていた水晶はこの悪魔を呼びつける一度限りの転移門を作り出す代物だった。

 彼女の真の目的は、この悪魔に血肉で溢れた部屋の中で尚輝く宝石──海神の涙の献上だ。

 だが、先程彼女が天使の妨害に会ったように一筋縄ではいかないことも、この悪魔は承知の上だった。だからこそ、それは保険をかけた。


 もし任務を果たせないようならこの水晶を壊せ、と。


 だが、その悪魔はセレンのことなど信用していない。

 当然だ。もとは天使(敵性存在)であった奴を利用するのだ。大人しく水晶を壊すかどうかも疑っていた。


 だから、高純度な魔力に触れると自壊するようにも水晶を作っていた。すなわち、海神の涙に近づけば自壊が始まると言うこと。

 そして、想定内ともいえる結末で水晶は自壊。這い出た悪魔がセレンを妨害していたと思われるラグロスを捻りつぶしたのだ。

 並の天使すら凌駕する魔力の質と量を内包した器。いくら堕天して歪な力を持つセレンでもこれの相手は手こずっただろうと、悪魔は手助けのつもりも込めてそれを潰したのだ。


「ご苦労だったな、セレン。あの餌も実に美味だったが、其方の手土産か?」


 潰れた血肉から質の良い魔力を得て、上機嫌になった悪魔は部屋中の大気を伝い喜びの声をあげて、セレンへ声をかけた。

 あえて手土産などと称することが出来るくらいに、その悪魔は遊びへの理解があった。

 だが、この状況に置いてその遊びは残酷なまでに皮肉と化してセレンの神経を逆撫でし、ミキサーが如く絶望を掻き立てる。

 

 希望から絶望へ乱降下する様はまるで彼女が好きだったミラクルサワーの味のようで、過激な酸味がこの場において彼女の絶望を表しているようだった。


「……なんで──」

「ぬ?」


 セレン本人から返って来たのは憎悪にすら満ちている声。

 負の感情を読み取ることに長けていたその悪魔はセレンの機微を素早く察知し、疑問の声をあげる。


「なんで、なんで出て来たの──ケイオスッ!!」

「……何故も何も、其方の邪魔をするものを潰してやっただけだ。何故そのように憤慨している?」

「──っ」


 溢れ出る感情を抑え込もうとセレンが下唇を噛む。

 堪えきれなかった激情のまま、権能に焼かれるまでは天使たちを蹂躙していた力を用い、掌から魔力の奔流を撃ち放つ。シンプルな極太の光線──馬鹿正直な力技はラグロスの全力と同じ破壊力を持って、悪魔ケイオスを滅ぼしにかかった。


「──何を血迷った」


 空気が、声が冷える。上機嫌だったはずのケイオスの声が一瞬で氷点下まで落ちるとこの場にある魔力全てが消え去った。

 ──正確には、飲み込まれた。

 器と権能を与えられただけの天使と違い、悪魔の特徴はそれを構成する何もかもが魔力で出来ていること。


 魔力における適正はそれを凌ぐものなど存在せず、上位の個体になるほど他者の魔力を自分の物へと変えることが出来る。勿論限度はあるが、ケイオスは悪魔の中でも最上位に位置する存在。

 天使たちを蹂躙したセレン一人の攻撃を喰らいつくすのも容易であった。


「…………あぁ──」

「──何を血迷ったと聞いている!」

「…………」


 実力差は明白。分かっていたが、分かっていても堪え切れられなかった衝動を吐き出し、その隔絶した力の差を改めて実感したセレンが、腰から地面に崩れ落ちる。

 がくりと項垂れ白髪で顔が隠されてしまったセレンにケイオスが尋ね返すも、彼女に応える気力はなかった。感情の落差に耐えきれなくなったセレンのひび割れた心は、崩れ落ちると共に地面で弾けて砕け散ったのだ。


「気でも狂ったか……だが、我はそれを受け止めよう。ここに居ては其方も藻屑となり果てる。外で始終を見ているがいい」


 どうせ使い捨ての駒だ。役目を果たしたのなら些事は見逃してもいいだろうと、ケイオスはセレンを紫炎の渦に取り込みこの場から消し去ると、己の目的である海神の涙へと手を伸ばした。


「…………天使、ではないな──ふん、天使と見間違うほどの人間か……紛らわしい」


 そこで、僅かに手に残っていた魂の残骸に見慣れないものが付着していることに気付く。

 そして、先程握りつぶした天使だと思っていた者が人間であることに遅れて気付いたのだ。

 どのような状況であったかなどケイオスの知る所にないが、己が潰した人間がセレンに何かしらの影響を与えていたことは想像がついた。


 まさか、天使を上回る魔力量を持つ人間などがこの場にいると思っていなかったのだ。

 だからと言って、潰してしまった物が戻る訳でもない。せっかく目的を手伝ってくれたが、何か手を尽くしてやる義理もない。


 だが、この場で魂ごとその存在を喰らいつくし、己の糧にするのは辞めた。

 血肉のついていない手で付着していたラグロスだった物を指ではじき落とし、元の場所に戻してやる。


 人間など天使にとっても悪魔にとってもゴミ未満でしかないが、蓄えた魔力量がものを言う実力主義の悪魔として、力ある者へそれなりの敬意を払ったのだ。


 どうせこの後海の藻屑になる存在。ケイオスに喰らいつくされるか、深海の底で朽ち果てるかの違いでしかないが、生命としてあるべき還り方の尊重として彼を放置する選択を取った。


「ついにだ。これがあれば我も調停者と並ぶ力を手に入れられる……! ああ、この日をどれだけ待ちわびたことか──!!」 


 歓喜に一瞬体を震わせたケイオスが、腕を振るい宝石を守り続けて来た強化ガラスごと海神の涙を手中に収める。

 多量の魔力を摂取するというのは生き物に置いて自殺と相違ない。


 閉じた箱に水を流し続ければ水圧で箱ごと自壊するように、一生命が保有できる魔力には限界がある。

 だが、こと悪魔においてその限界に大きな余裕がある。

 より多くの魔力を摂取するためには事前に自身の器も魔力を得ることで補強しておく必要があるが、他の生き物よりも多量の魔力を簡単に保有できるのだ。


 大陸中の迷宮の魔力を吸いつくし、疑似的環境をいくつも作り出す力を秘めた神の修練場──その原動力たる海神の涙。

 器の補強を繰り返したケイオスはそれを取り込むことさえできるほど強大な存在になっていた。事実、ラグロスもセレンもケイオスには手も足も出なかったことがそれを示している。


「おお! ──感じるぞ、我でさえ感じるほどの美味な刺激ッ! 血沸き肉躍るとはこういうことか!!」


 そして、そんな存在がより大きな魔力リソースを取り込めばどうなるのだろうか。

 少なくとも、終わりの撃鉄が引かれてしまったことだけは確かであった。


 さらに肥大化していくケイオスの体。

 迷宮の意思(マザーコンピューター)のために用意された大広間とも呼ぶべき中枢区画(コアエリア)すら突き破るほどに、その体は巨大になっていった。


 破壊されていく合金の天井、崩れ落ちる金属の瓦礫。

 探索者たちに試練と恵みをもたらしていた精巧な機械達が異常を察知し、警報音をけたたましく鳴らし始める。


 警鐘に答えた迷宮の意思(マザーコンピューター)が地面に穴があける。せりあがる足場から現れたのはこの場所における防衛機構、キャタピラで動く鉄人形だ。

 十体以上の鉄人形達は機関銃となっている両腕を駆動させ、大量の薬莢を吐き出しながら騒動の中心であるケイオスに向けて銃撃を開始した。


 並の存在であれば一発で破壊せしめる威力の銃弾も、今のケイオスには蠅にも満たない。

 そのまま肥大化し続けるケイオスの体に押しつぶされ、鉄人形達はその役目を欠片も果たせぬまま全滅した。


 だが、ケイオスの肥大化はそれにとどまらない。

 迷宮の最奥部を破壊し、ここが深海であることを示すかのように勢いよく海水が流れ込んでくる。中枢区画(コアエリア)が浸水しはじめ、鳴り響く警鐘が水中で反響し、眩しく輝く光警報が血肉と紛れて海水を朱く照らしていた。


 雪崩のように穴という穴から流れ落ちる海水はラグロスと天使たちの骸を飲み込み、その場を海の藻屑へと変えるべく水圧で迷宮を破壊し始めていった。

 これがシーフィルの終わりを告げる一端であることを、町の者達はまだ知らない。

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