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諸刃の剣士は迷宮征きし白翼を追う  作者: 青空
下層:諸刃の剣士は迷宮征きし黒翼を追う
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閉幕

 返り血に塗れ、文字通り鮮血の剣士になったラグロスが最後の天使を仕留め終え、その場に立ち尽くす。そして、操り人形の糸が切れたみたいにその場で崩れ落ちた。

 ラグロスに手数で押すと言う概念はなく、一撃ですべてを消し去る戦いでしか量を押し返すことは出来ない。


 だが、その戦法は単純に数で押すよりも体力を使う。あくまで大剣の一振りで発生した余波で蹴散らさなければならないため、単純に相殺するよりもコストパフォーマンスの悪い戦いを強いられていた。


 その結果、彼の体を襲っているのが度重なる高負荷のチャージを用いた戦闘の反動だ。

 体を動かそうと力むことすら出来ない虚脱感。体が鉛になるどころか、脳も動かず頭が回らない。全身の血も肉体の労働に回され、生命維持をするだけで困難になっていた。


「……ラグロスッ!!」


 指揮者が死んだことで拘束を解かれたセレンが、己の体を気にすることなく彼の元へ駆け寄った。彼女の体も磔にされていたせいで風穴を開けられている場所がいくつかあるものの、人間よりも肉体の依存度が低い元天使ならではの活動限界を生かして、四つん這いで這って来たのだ。


「…………おう、芋虫、みたいだな」


 息を吹きかけるような力の抜けた声。だが、命の危機に瀕しているほどではないようで、ふわりと微細な動きと共に微笑みをセレンへ向けた。


 その笑みを見たセレンは、無性に彼が愛おしく見えた。長いこと愛用したものへ向ける愛着のようで、でもそのもの自身が見せる何かに心を惹かれていた。

 だから、彼女の体は彼女が思考を巡らせるよりも早く動く。


「────」


 腰から崩れ落ち、胡坐が砕けた状態のラグロスの胸元へセレンが体を預けた。

 力が一つも入らないラグロスは彼女の行動に理解が追い付かないながら彼女の体重を受け止めきれず、硬い硬い金属の床に押し倒された。

 浄化の権能で彼の服は焼かれ上裸になっているのもあって、一糸も纏わぬセレンも合わさりその絵面はなんとも色気を漂わせていたが、どちらもそれに頭を使える状況ではない。


「どうしでっ、……どうしでッ──!?」


 濁音交じりの嗚咽と疑問が彼の耳を突き刺した。胸元で暖かい液体が滴るのを感じる。

 体の感覚も遠くなっているのに、彼の体に抱き着き強い疑問を訴える彼女の体温だけは嫌でも感じ取れた。

 熱いのに、熱くない。体がじんわりと芯から温められていくようで、心が目の前にいる少女への愛おしさで満たされていく。これが愛だろうかとラグロスは自身の胸元に顔をうずめる、視界一杯の白髪を見ながらぼんやりと思った。


 辛うじて動く、右腕を壊れた機械みたいにがくがくと震わせながら持ち上げる。

 これだけでも重労働で、今まで積み上げて来た無理が祟って来たのだと苦笑した。

 けれど、今目の前に居る少女に触れたいと言う思いは全身を襲い続ける虚脱感より何倍も大きく、震える腕が動けないと訴えるのをあっさりと無視して彼女の頭に手を乗せることが出来た。


 とん、と頭に何かが乗ったのを感じたセレンが一度だけ体をぶるりと震わせたが、それが何かをすぐに察すると安心したようにより彼女の体重を胸元に預けた。


「……言っただろ? 惚れた女を助けに来た──ってよ」


 ラグロスも男である。出来れば彼女をしっかりと受け止めてやりたかったが、彼に出来るのはこれだで限界だった。受け止められない代わりに、まだ動かしやすい口で彼女の疑問の答えを吐き出した。


 今まで口に出来なかった秘めたる想い。セレンがあの宝石を手に入れてしまえば終わってしまう長かったようで一月にも満たない短い旅路。その最中で種子が芽生え、育まれ、一つの答えたる花を咲かせた。


 どうせ終わってしまう恋ならばと口にしなかったラグロスが、ここに来て耐えられなくなってあっさりと自分の思いを吐露する。

 そして、ある種の開き直りを耳にしたセレンが、自分の中で同じく芽生えていた名前の知らない想いに気付かされる。


 あり得ないと自覚しかけては彼女自身で棄却していた只人が抱く不必要な感情()

 彼はともかく、天使である自分が抱くはずのない想い。その推察はある種正しい。

 だが、彼女は天使から堕ちてしまった。それによって彼女の器もまた天使という一つの完成系から逸脱し、完全から遠のいていく。


 それは不必要であった睡眠を求めるようになり、空腹という概念を頭が理解し、天使の象徴である権能を振るうこともままならず、まさしく人へと堕ちてしまった。


 その結果──彼女もまた恋に堕ちたのだ。


「…………そう」


 小さな頷きが冷たい金属の部屋で響けば、長い長い静寂が訪れる。

 それは彼らが望んだ空白で、彼らの体温が、吐息が、枯れ果てた涙が体だけでなく心までもを満たしていく。

 満腹の時のような多幸感とも違う、強いて言えばそれ以上の至福にお互いが溶けるように浸かっていく。


 その怒りとは方向性の違う激情のまま、溢れ出る愛情のまま、セレンは彼の胸板を這い、彼の口元に口づけをした。


 一日外で熾烈な戦いに身を挺していた彼の口元は乾いていて、硬い感触がセレンの唇を押し返すが、それすらも愛おしいと彼の口へ舌を入れた。彼女の生暖かい唾液が混ざった舌が、彼の乾いた口腔内を潤していく。ラグロスもまたそれを拒まず、受け入れた。


 キスはそれだけにとどまらず、ラグロスは彼女の腰に手を回し、セレンはラグロスの首に腕を回した。互いに互いを求め合い、互いの存在を感じ合う。


 二色の絵具を混ぜ、一つの色に変えてしまうようなとろける接吻。

 永遠に続いて欲しかった時間はどちらからともなく、口を離す。


「……はぁ、はぁ」

「……ふふ、はぁ──好きよ、ラグロス」

「──俺もだ」


 どれだけ息を塞がれていたのだろうか。荒い呼吸を隠すこともなく吐き出し、酸素の回らない脳がセレンに素直な言葉を零させた。それと同時に浮かべた甘く、ふやけた笑みがラグロスの言葉を奪うもすぐに彼も同じ笑みを作り、深く頷いた。


「……けど、そいつは目に毒だから下着くらいは着て欲しいな」

「あら、これでも人間には最高の体という自負はあるのだけれど」


 悪戯な笑みを浮かべたセレンが、見せつけるように豊かな双丘を彼の胸板に押し付けてやれば彼が気まずげにそっぽを向いた。

 それを見て、可愛いとふやけた笑みを浮かべるのだからラグロスにとって質が悪かった。

 彼女を愛したい気持ちも、溺れたい気持ちもきっと彼女に負けないくらい持っている自覚はラグロスにもある。


 だが、しばらくすれば彼を先に送ってくれた黒騎士達が来てしまう。

 多少の時間を共有するくらいは許されるだろうが、体で愛し合っているところを見せるのはラグロスも流石に躊躇する。


「人が来るんだよ」

「そう、──残念ね」


 心の底から悲しそうなため息が溢れ、ラグロスのさらけ出された胸板を這いずる。

 良い意味でも悪い意味でも全身の毛から立ってしまいそうな艶めかしい吐息は今のラグロスの精神力を大きく削った。

 言葉こそ返さなかったが、残念であることには内心深い同意を返しておく。


 必死に何かを耐えるようなラグロスの顔を見て、満足したセレンは艶めかしく緩ませていた顔を仕舞い、彼のよく知る凛とした佇まいを取り戻して立ち上がった。


 すでに体の傷の修復は済んでいる。堕天使であることを隠す必要がない以上、潤沢な魔力を使えば、回復に大した時間は必要ない。傷を塞いで行動できるようにしただけなので、完治からは遠いが今は問題ない。

 続けざまにいつもの白尽くしの服──ではなく、黒尽くしの服に身を包み、台座へと近づいていく。


 忘れていた。──忘れたかった彼女の目的。同時に彼に嫌われる羽目にもなりかねない終わりの引き金。

 彼女の眼下で淡く光り輝く蒼い宝石如きが、そこまでの大役を担っているとは思えない。──思いたくなかった。


「……」


 脅威は去った。他の天使の追手が直ぐに来ることは考えづらい。大軍を動かせばそれはそれで無駄な平行世界を産む種となってしまうため、天使は必要最低限の人数で動くことを求められるからだ。


 もう少し考える時間が欲しい。そう思ったセレンは服ごと剥かれたせいで、取り落としてしまっていた紫の水晶を拾いに行く。

 これはこれで厄介な代物だったが、セレンにとっての命綱でもあった。

 最悪妨害を受けても水晶さえここに運べばセレンの任務は達成。晴れて彼女が天使から追われるようなはめは無くなるだろう。


 だが、どちらにせよこの町が──町に留まらずあらゆるものを滅ぼすモノが生まれるのもまた事実。

 そして、黒騎士達はそれを止めに来ている。だから彼らが来るまでには結論を出さねばならない。


「……はぁ」


 せっかく危機を脱したと思えばこの始末。もっと平坦で素朴な幸せが欲しかったものだと心の底からため息を吐く。


 ──その時だった。


「──え?」


 ぴきり、と水晶にひびが入った。

 あり得るはずがない。これは目の前の宝石と似た高純度の魔力物質。ラグロスの全力の一撃でさえ壊れるか怪しいだろう。


 それにひびが入った。


 これが何を意味するのか、セレンは判断が遅れた。この水晶を壊せば何が起きるかは分かっていた。ひびが広がる度、セレンの顔を満たす絶望の度合いも増していく。

 だが、どうすればいいかセレンには何も思いつかない。引き金に指をかけるかどうかではない。もう、引き金は引かれている。これはもう、解き放たれた弾がどこにたどり着くかの問題だ。

 ひびは止まる所を知らず水晶全体を駆け巡り、地層がズレるように水晶はあっさりと割れた。


「……逃げて!!」


 最後まで迷ってしまったセレンは全力で水晶の残骸を遠くへ投げる。同時に反転し、唯一の逃げ道であるエレベーターへ足を踏み出そうとする。


「──!」


 突然のセレンからの警告にラグロスは反応は出来た。

 脳はその言葉に素直に従い、神経を伝って逃走の命令を送る。

 神経は筋肉へと逃走に必要な動作の信号を送り届けた。


 そして、筋肉はそれを受け入れ──何もできずに停止した。


 当然だ。彼の肉体に積もりに積もった疲労は限界を通り越していた。

 先程セレンと交わした愛も愛故に出来たこと。動かずとも肉が抉られるような痛みに襲われて黙っていられるだけでも奇跡だ。


 そして、奇跡はいつまでも続かない。もう彼の運は底をつきていた。

 割れた水晶から紫の陽炎が揺らいで溢れ出し、紫炎が渦を巻く。まるで何かの門のように渦から人間とは思えないどす黒い巨大な手が渦を掴んで這い上がり、続けざまに黒い腕が這い出してきた。


 あたかも地獄へと繋がる門のようだ。天使が居たのだ。何がいたって不思議ではない。

 だから、ラグロスはそれが地獄であっても受け入れられた。


「あ────?」


 だから、這い出した手が腕を伸ばし彼の体を握りつぶしても彼は悲鳴すら上げなかった。──上げる前に死んでしまった。

 ぴゅ、と手で作った水鉄砲のように弱い水音。彼が残した最後の命の鼓動だった。

 まるで心臓を拳で握ったみたいに、黒巨人の手から血が零れだして滴り落ちる。


 そして、ラグロスという人間の男はただの潰れた肉と化し、その命にあまりにもあっさりと幕を閉じた。


これにて、五章下層編終了です。

色々募る思いはあるかと思われますが、ここで区切りとさせていただきます。

後書きはまた本日昼頃に掲載します。

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