惚れた弱みで何が悪い
エレベーターから降りたラグロスが周囲の状況を素早く把握する。
槍を構えた天使らしきローブ軍団に包囲されていること、包囲の先であられもない姿で磔にされているセレンの姿。
その傍で立っている見覚えのある体格のローブ男。
何故こちらを見て目を見開いているかまではラグロスには分かり得ぬことだが、重要なのはそこではない。
セレンの容態は遠くからでも悪いと分かるもの。それ以前に何故あんな姿にされているかも分からない。辱しめられたことだけは分かるが、そうだとするならばこいつらを八つ裂きにしようがこの恨みは晴らせないだろう。
(セレンの裸を見ていいのは俺だけだろ!)
あまりにも見当違いな憤りを露わにして、ラグロスが大剣を握る手に力を込めた。
実に馬鹿らしい憤りだが、そうでもなければわざわざ単身でこんな場所にまでやってこないだろう。
事実、ここまでやってきた助けが人間であることに天使の指揮者が言葉を失っている。
たかだか雑兵一人を倒せるかも怪しい存在が何をしにやってきたか、彼には理解不明だ。
磔にされているセレンを助けに来たであろうことは推測が付く。だが、騙されていると、協力すればこの町も滅ぶと伝えてやったのに、それでもなお駆けつけて来た。
念のため、彼の指揮下にある天使には真実を告げた後監視させており、彼はしばらく喪失していたという報告も上がっていた。
「……貴様っ! 何故ここへ来た!?」
「──んなこたぁ、アンタだって分かってるだろうよ」
答えなどとっくに決まっているラグロスは語る必要もないと、大剣を担いだ。
周囲の天使に目を配り、単体であればこちらが十分に格上だと勘で判断する。
「貴様はどれだけ愚かなことをしているのか分かっているのか? こいつを放置すれば──」
「シーフィルが滅ぶ、だろ? はんっ、んなことも分かってるさ」
「────」
当たり前だろうと鼻で笑い飛ばせば指揮者が再び言葉を失う。
たかが人間だ。ことの規模を理解できず、愚かなことをしでかすのならそれは所詮人間だと嘲笑するだけに終わっていただろう。
だが、目の前で不敵に笑っている人間は自分が何をしでかしているのか、その結果起こりうる未来も正確に把握している。
──なのにだ。この人間はそれでも構わないと言わんばかりの態度を取っている。
捻じれに捻じれていながら、折れてはいない一本の筋を持っている人間。指揮者には矛盾にすら思える思考回路もこの人間には正しいもののようだ。
目の前で荒波が暴れまわり、嵐が吹き荒れ、視界さえまともに安定しない大雨に塞がれて尚、この人間はこれが正しい道だと一切の迷いなく言い退けているのだ。
どれだけその人間にとって最良の天啓を与えようと、彼は愚かにも茨の道を進むことを辞めない。そして、どうみても無事どころか道半ばで息絶えるとしか思えないのに、勝算があると言わんばかりに自信にあふれた姿を崩さない。
その根拠のない自信が指揮者の謎の恐怖を煽った。それを愚か者だと笑い飛ばそうにも、彼はこちらを打倒しようと、してやるという意志を固く持っていた。
「話はそれだけか? 俺の相棒を勝手に甚振ってくれたんだ。──ただで返すと思うなよ?」
静かな怒りを募らせ、凄みの聞いた声を吐き出すラグロスが悠然と歩き始める。
彼を取り囲む天使など視界に入っていないと言わんばかりの余裕。
「──ま、待てッ! もう一度聞く! 何故、何故、ここへ来た!!?」
手を突き出し、指揮者が尋ねる。天使の兵にこの人間の殺害を命令することは簡単だ。
だが、彼を殺せる未来が指揮者には一片たりとも見えなかった。けれども、その存在に大きな力は感じられない。路傍の石と変わらないありふれた低位存在。
当然だ。それが人間であり、天使にとって雑草程度の存在でしかない。そうであるべきなのだ。
なのに、今の彼は宿敵と変わらぬ存在感を放っている。その矛盾に悩まされ、何か秘密があるのではないかと探す時間を作るため、同時に本当に理解できぬ行動の意思を問うために質問を投げかけた。
「……何って、相棒が──惚れた女が殺されそうになってんだ。助けに行くなんて当たり前だろう?」
さも当然のように、歩みを止めたラグロスが先程省略した答えを語った。
だが、それは指揮者にとって当然の答えではなくむしろ異端も異端の答えだ。
たかが一人を助けるために死地へ向かう人間などそうはいない。それが人間であり、天使たちもそれを否定するつもりはない。むしろ矮小な人間らしいと納得さえする。
理解不能。指揮者の頭の中を埋め尽くすのは得体のしれない者へ向けられる恐怖。
助けることへの難易度はこの際無視してもいい。頭に血が上った結果正しい判断が下せなかったのだとある種理解が出来る。
しかし、助けた後も知って尚、彼はセレンを助けに来た。
それらすべてを許容するための答えが、惚れた女が殺されそうなんてたった一文で終わらせていいものか。
「…………本気で言っているのか?」
「うっせぇな! 本気に決まってるだろ!」
「……や、やれッ!!」
怒鳴り返したラグロスが再び足を動かし始める。
感情がある故に、指揮者はその行動をやはり理解できず、わなわなと腕を振るわせながら、自信を襲う恐怖を振り払うため命令を下した。
「“チャージ”ッ!!」
天使達が動き出したのを察しながらラグロスも大剣を構え、スキルを唱えた。
彼の声に応え、ラグロスの中の魔力が胎動を始める。だが、その動きは緩慢で主たる彼を満足させられないほどに遅い。
だからスキル任せなどにせず、彼が自身で魔力を動かしていく。
かつてはこの都市に有ったセンサーで水を放出する蛇口。
スキルによるチャージは一定量で水を吐き出すそれと同じだった。
だが、ラグロスが求める蛇口はそれではない。バルブを捻り、湖を作り出すくらいの勢いのあるものが欲しいのだ。
そして、今に限って言えばバルブを捻る制限も要らない。
不敵に笑ってこそいるが、内心腸が煮えたぎるくらいに怒りに燃えている。
その思いに呼応して彼の魔力は爆発的に高まっていく。それはまるでダムが決壊するかのように、溜め込んでいた水が解き放たれたかの如くの勢いだ。
限界まで捻られたバルブがぎちぎちと悲鳴を上げ、崩壊寸前であることを訴えている。
だが、まだ足りない。まだまだ足りない。
もっと、もっと、もっと──力を寄越せとその全てを捻りだす。
悪魔のフレアに支援を頼んだ時と同じように急速に膨れ上がっていく肉体の魔力量。
目で見て分かるほど筋肉を隆起させたラグロスの存在感と気迫に感情を持たぬ天使も本能で僅かにたじろいだ。
だが、下された命令は忠実に躊躇いなく実行する。
足を止めることなく、最初にラグロスを間合いにとらえた四人の天使が一斉に槍を突き出し──
剣が咆え、槍が消える。大剣が放った風圧の嵐に飲まれてことごとく消え去った。
目に映らぬほどの速度で振るわれた刃が天使の体を両断し、次の天使の胴に突き刺さってもそのまま振り抜かれる。
全身を使った薙ぎ払いの一撃で胴体が真っ二つに割れ、四つの上半身が地に落ちた。
残った下半身も力を失って崩れ落ち、溢れ出した血飛沫の池に沈む。
「……なっ──」
たかが人間であるはず。路傍の石に等しい人間であるはずだ。
それが、天使を四体もまとめて両断出来るだろうか。
いや、出来る訳がない。そうであるはずがないと指揮者は信じたかった。
それに、あの魔力量はどういうことか。桁違いの容量と、それだけの魔力を器に使って尚壊れない肉体。まるで悪魔のような膨れ上がり方に指揮者が後ずさりをする。
そんな指揮者の恐怖もいざ知らず、天使たちは引き続き襲い掛かる。
「そんな細いのじゃあ、勝てねぇぞ!!」
取り囲む五人の天使と、遠距離から放たれる光槍の弾幕。安置など何処にもなく回避も許さぬ必死の攻撃。
それも今のラグロスにとっては口端を吊り上げる程度の戯言にしか見えない。
担ぎなおした大剣に渾身の力を込めて独楽の如く一回転。再び放たれた剛剣が天使たちを纏めて叩き潰し、天使の器たる肉体を一切の抵抗すら許さず破壊せしめる。潰れた林檎みたいに果汁を弾けさせて砕け散っていく。
五体の天使をすべて割砕き、それでもなお止まらない風圧が周囲の光槍も消し飛ばす。
天使という選りすぐりの個体を揃えてなお、抵抗どころかこちらの首にまで剣を届かす勢い。
セレンが力を振るっていたときと似た既視感を与えてくる光景に指揮者が頭を抱える。
「何故だ! 何故そこまでの力が人間にある!?」
「つまんねぇ質問だな」
薙ぎ払う。豪風が吹き荒れるたびに天使が着ていたローブと共に体を塵芥へと変え、血だまりに沈む。
絶対的な力の差。まるでラグロスが天使で彼を取り囲む天使が人間のような入れ替わりを錯覚させる。
勿論、上位存在を蹴散らすほどの力に代償がない訳がない。
大剣を振るう度、柄に力を込める度、一歩踏み込む度に彼の頭からつま先までを雷霆が駆け抜ける。
ぞくりと脈動するような痛みは常人ならばとっくに悲鳴を上げ意識を失っているだろう。
だが、今の彼にはそよ風と相違ない代物。だからどうしたと笑い飛ばしておしまいだ。
痛みがどうした。呼吸が出来て、四肢が動いて、敵を打ち砕ける。ならばそれ以外に何の問題があるのか。今までどれだけこの痛みと付き合ってきたかと思っているのか。
どうせチャージを使おうが使わまいが、クラウディアや黒騎士と戦った時の代償が彼に重くのしかかっている。まともに戦闘を行おうとするなら結局頼ることに変わりはない。
結論が同じならいくら過程で悩もうと意味はない。過程こそ大事なんてその先にある結論を許容できるからこそ成り立つ命題だ。
ともあれ、先程の質問に対する答えは一つだ。
「アンタらが俺の肉を斬れても、俺の骨を断てねぇ。俺はアンタらの骨を断てる。それ以上もそれ以下もねぇよ」
天使たちの骸が転がる中、一人立つラグロスは血肉で溢れた赤い池に大剣を突き立て、セレンを辱しめた指揮者へ強い憎悪を込めた目を向けて──そう言い放った。