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諸刃の剣士は迷宮征きし白翼を追う  作者: 青空
下層:諸刃の剣士は迷宮征きし黒翼を追う
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灯火は笑う

 熱もなく燃やされたセレンの服がぷすぷすと煙を上げている。台座で静かに光り輝く宝石と見間違えそうな玉肌は火傷の痕だけを残して無事を保っていた。

 その他外傷もなく、心臓だけが破裂したかのような痛みに彼女は地面に倒れ伏せている。


「……ぅぁあ……」


 胸元を強く握りしめながらセレンが悶える。彼女の魂と呼ぶべき精神体が浄化の力によって瀕死へと追い込まれていた。呼吸困難に近い苦しみに苛まれながらも、彼女は意思だけは負けぬと顔を持ち上げ、権能を振るった天使の指揮者を睨んでいた。


「その意思だけは褒めてやる。だがな、お父様が命じた以上お前の死は絶対だ。同位存在である以上貴様を焼くほどの権能は一度しか行使できぬが……それで十分だろう」

「……一度ごときじゃ……死なないわ」

「ほざけ!」

「あヴッ──!!」


 肉体はともかく、精神が死に体にも拘わらずセレンは嘲笑が嘲笑を浮かべる。

 それに苛立ちを隠さない指揮者が彼女の腹を蹴り上げた。

 魔力ごと焼き払う権能によって、魔力で作られたセレンの服ももはや原型を留めていない。ほとんど一糸纏わぬ姿の彼女が防護もなくその蹴りを受け、硬い合金床をごろごろと転がった。


「調子に乗るのもいい加減にしろ」

「~~ッ」


 手毬を足蹴にして弄ぶが如く天使の指揮者がセレンの頭を踏みにじった。踏みつぶさないよう、それでいて出来るだけ苦しめるよう圧迫される。彼女の表情が苦悶で歪んだ。

 たとえ歪んでいても見ごたえのある美人の顔。威勢は良かった彼女が自分の足元で呻いているだけの状態に、今度は指揮者がセレンと同じ整った顔立ちを愉悦で満たした。


 指揮者が引き連れる雑兵たちにはない感情。基本的に天界から使わされる神の兵士に過ぎぬ一介の天使に何故感情が与えられているかは分からない。

 少なくともこの指揮者はその訳を解そうとはしていないし、むしろ神からの賜った褒美だと喜んでさえいる。


「もう少し良い声で鳴いてもいいぞ?」

「──誰がッ! づッ──!?」

「ふん、反抗もまた一興だ」


 故に彼は、セレンという美しい玩具を前にして心の底から楽しんでいた。

 彼女の声を封殺するように頭をぐりぐりと押し込みつつ、彼女が必死になって反抗する姿を堪能している。


「~~ッン!?」

「いいぞ、いいぞッ! 雑兵は何も語らん。確かに天使たる正しい振る舞いだがお前は違う。実にいい玩具だ」


 痛みに喘ぐ彼女の声を楽しむため、指揮者が足をさらに強く押し込んだ。

 踵で頭を踏まれたセレンが苦痛の声をあげる。踵をめり込ませ、頭蓋骨を軋ませる音が痛々しい。

 少女の悲鳴も心地よいと言わんばかりに笑いつつ、指揮者が更に体重をかけた。

 セレンが何か言おうとするたびに、その言葉を奪うように力を込めていく。

 口答えをさせて、それを言葉にさせることなく頭ごと踏みつぶす。そうやって彼女を痛めつけるのが何より楽しいらしい。

 もっとも、セレンだって好き好んで口を開きたいわけでもないが。


「さっさと……殺せばいいじゃない──それが、お父様の言葉なんでしょう?」

「ほう、随分殊勝だな。何か心変わりでもあったのか? 早く終わらせて欲しいのか?」

「…………」


 彼女の体が抵抗を見せることはない。力んだ体を震わせ、態度こそは抗いを見せているが、足蹴にされることは受け入れたままだった。

 それは彼女の体が動かないせいでもあるが、内心これでいいと諦めを見せてもいたからだ。

 指揮者の尋ねにセレンは口を開かない。素直に頷けば調子に乗り、意味のない行為を繰り返すだろうからだ。受け入れこそしても、そういう願望がある訳じゃない。相応の報いだと納得しているだけだ。


(遅かれ早かれ、私がロクな結末は迎えることはない。だから──)


 身を委ねる。力みのない彼女の様子を見た指揮者は不審に思って首を傾げていたものの、ようやく諦めがついたことに満足し、再び蹴飛ばした。

 張り付くように残っていた衣服も度重なる蹴りと地面へ擦りつけられ彼女の体は裸身と相違なくなっている。


「趣向を変えよう。──私のような感情を与えられた個体の中にはお前のように馬鹿げたことをするやつもいる。私はそういった個体を何度か痛めつけたこともある。だがな、天使は痛みに強い。お父様の力を使えば苦しめることは出来るが、不必要なことにお父様の力を使うのも馬鹿げているからな」

「…………なに、を?」


 饒舌に語る指揮者が(ルーン)を描く。セレンもよく使う光槍のルーンだ。

 貫かれればそれ相応に痛いだろう。だが、絶命までには至らないくらい天使の器は頑丈だ。


「人間は実に面白い。愚鈍で矮小だが、だからこそ同族を出し抜き下に置いたものを苛め抜く知恵に秀で居ている──やれ」

「──やめッ!?」


 それも理解している指揮者がある命令を下した。

 たった二文字でありながらも彼の兵士はその意図を理解したらしく、地面に倒れるセレンの四肢を大の字に広げさせた。隠すべき場所をさらけ出され、流石のセレンも湧き出た羞恥に強い抵抗を見せる。


「ハハハッ! これに反応するか!」

「あうっ──!?」


 その抵抗ごと刺し貫く勢いで、指揮者が光槍を撃ち放つ。両の手首と量の足首の四点を張り付ける四つの光槍が打ち付けられ、セレンの体がびくんと震えた。

 痛めつけられ体を動かすこともままならない。秘所や胸を隠すことも出来ず、羞恥心に身を焦がすしかない状態だ。

 屈辱的な姿勢を取らされ、それを鑑賞される。


「私にはこれの意図が分からない。だが、お父様の意思に歯向かうものほどこういった方向性の方が堪えるみたいでな」


 嗜虐的な笑みを深める天使と、張り付けられたまま睨み返す堕天使。大衆が抱くものとは逆の光景がそこにあった。一枚の絵としては実に反逆的ともとれる作品になるだろう。


 けれど、今セレンの周囲を取り巻いているのは現実で、殺されることもなくただ彼女の精神を甚振る拷問が悪趣味な天使によって続けさせられていた。


「で、だ。確かにお前を殺すほどの権能は使えないし、私もそのようなことに使う気もない。だがな、一度焼かれた精神などお父様の力を借りるほどのことでもないのだ」


 指揮者が再び(ルーン)を描く。先程の光槍の(ルーン)よりも随分慣れた手つきだった。

 しかし、セレンはその(ルーン)を見たことがない。どのような効果があるかすらも分からない。


「少し突くだけでいい」

「──あッ!?」


 艶めかしくも痛々しい声が響いた。その(ルーン)は精神に微弱な攻撃をする人間ですら効果の薄い低位の(ルーン)だ。だが、今やセレンの精神体は虫の息。もう一度権能による攻撃を受ければ跡形もなく吹き飛ぶほどの風前の灯火だ。


 だからこそ、微弱な風に触れるだけで灯火は大きく揺さぶられ、その命が消し去るか否かの境界で揺らされる。

 気が遠くなり体が沈んでいきそうな感覚を与えられながら、急速に覚醒させられる繰り返し。

 微睡むような快感と睡魔から叩き起こされる痛みにセレンが自身も知らない喘ぎを漏らした。


 どうしようもなく溢れ出る羞恥。

 屈辱的な姿勢を強いられているセレンは必死になって歯を食いしばり、悲鳴を押し殺す。しかし、(ルーン)が光り輝くたび、堪え切れないものもあった。

 どうしても零れ出る声を抑えようと強く噛んだ唇からは血が流れ、噛み締めた奥歯は砕けかねないほど軋んでいる。


 目尻からは涙が溢れ、身体中を汗が濡らしている。痛み故ではない。

 ただひたすらに恥ずかしいのだ。こんな無様な格好をさせられていることが。そしてそれをまじまじと見つめられていることが。


 悔しくて情けないのに何もできない。それがどうしようもなく辛かった。

 セレンの恥辱に満ちた姿を見下ろしながら指揮者が満足げに笑う。

 その視線に晒されるだけで羞恥心が増していくような気がしてセレンは顔を真っ赤にした。

 もしこんな自分をラグロスに見られたらと想像してしまえば、もう耐えられなかった。


 その想像が頬だけでなく全身まで赤く染め上げ、彼女は現実から目を背けるようにぎゅっと目を閉じて震える。

 気丈で、ある種傲慢な性格の持ち主であるセレンにとってそれは耐え難いものだった。

 だが、どれだけ耐えても終わりが来ることはない。終わらない責め苦が続くだけなのだ。


 セレンがどれほど恥じらい、怒りに身を震わせようとも指揮者にとっては些細なことに過ぎない。

 彼にとって重要なのはセレンという存在そのものが愉悦の対象となることだからだ。

 彼が望む限りセレンは苦しみ続けることになるだろう。

 例え彼女が許してくれと懇願しても聞き入れられることはない。

 指揮者が飽きるまで永遠に。セレンがどれだけ苦しもうとも、彼の嗜虐心を満足させる以外に意味などありはしない。


 だから、セレンは耐え続ける。せめて、これに一矢報いなければと今まで考えもしなかった感情が沸き立つ。

 だが、その精神の抵抗が指揮者を喜ばせてしまう。随分と手慣れているらしい指揮者が描く精神攻撃の(ルーン)はあまりにも器用だった。


「いい、いい……いい!! 最高の玩具じゃないかぁ!!」

「~~~~っぁ!」


 与える痛みの強弱を調節し、セレンに芽生える反抗心を弄ぶようあえて隙を作るように、彼女に余裕を持たせ突如威力をあげることで彼女の心を折りに行く。

 本来ならばこの程度の強弱は些事に等しい。だが、限界まで追い詰められた精神体に対してはこれ以上になく効果的だ。

 度重なる指揮者の拷問がその練度をあげているせいで尚質が悪い。


 どれだけの間、セレンは責め続けられただろうか。 既に時間の感覚など無いに等しい。天使自体が時間の感覚に疎いせいで永劫かと疑うほどだった。

 それほどまでに長時間、彼女は羞恥心に苛まれ続けていた。


 痛みと快楽の二重奏に慣れる事のない身体は、延々と高みに押し上げられる。

 意識を失いそうになるほどの刺激に翻弄されながらも、それでも、彼女の意志は未だ折れていなかった。

 セレンは必死に耐え続ける。どんなことをされても屈服しないという覚悟をもって。


「そろそろいいか」

「はぁ……ふぅうっ! …………」


 そして、終わりは唐突に訪れた。指揮者の気まぐれか光の槍も消え失せて(ルーン)を描いていた手が止まる。ようやく訪れた反撃の機会。彼女の意志は折れていない。


 だが、彼女の精神と体はとっくの昔に果てていた。夕陽のような暖かみのあった金眼もその光を陰らせている。

 一言も話す気力もなく、体が無意識に漏らす記憶が曖昧な声だけしか口から発せられていない。

 もがこうとする意識とは裏腹に、傷だらけで汗にまみれた裸体が与えられていた痛みの余韻で痙攣を繰り返すだけだった。


「……そこまでされて尚生きようと試みる意識だけは称賛しよう。だが、その体たらくではなにも出来まい」

「…………」


 一通り遊び終えて冷静に戻ったのか、指揮者の顔から悦に浸る感情は消え失せていた。

 帰って来たのは執行者として正しい天使の凛々しき顔。先程までの悦楽ぶりが嘘みたいにセレンにを冷たく見下ろしている。

 セレンは何かを口にしようと口元の筋肉を動かすが喉を震わすことさえできず、ひゅうと空気が流れ出るのみ。


「……しかし、不思議だ。そこまで抗える根拠はなんだ? 貴様一人に出来ることなどたかが知れている。少なくともお父様の意向通り行動する我らに歯向かえるはずがないなどお前もよく知っているはずだ」

「…………」


 指揮者が自身の趣味とは別として過剰に虐めていた理由の一つでもある。

 単身でここへたどり着くのは迷宮の意思もあって不可能だというのに、セレンは現地の協力者のみで奥底へたどり着いた。もしかすれば姿を隠して潜む悪魔側の協力者がいるのではと指揮者は疑っていたが、その気配すらなかったのだ。


 彼が防がなければならないのは、中枢区画(コアエリア)にある海神の涙の持ち出しだ。

 セレンだろうと悪魔だろうと許すわけにはいかない以上協力者の排除は必須である。


「まさか本当に貴様一人なのか? ……それは舐められたものだな」

「…………」

「もういい、口答えも出来んだろう。これ以上は蛇足だ」


 指揮者が死刑宣告さながら光の槍を生み出し握る。

 その様子を見て、セレンは静かに安堵したように力を抜いた。いくら意志だけは残っていようと、どうにもならない状態に彼女はもう折れかけていた。

 ようやく引導を渡してくれることに喜んでしまった己を恥じたが、もうどうでもよかった。


「お前も限界だろう。望み通り──」


 けれど、勝手に諦めるなと叫ぶように重々しい音が響いた。

 それは聞こえるはずのない音で、ここへ誰かを迎え入れるため、エレベーターが動き出したことを示している。

 起きるはずもない現象。仮に起きたのならセレンに心当たりは一人しかいない。


 だが、やはり起こりえるはずがない。セレン自身も唯一動く瞳を動揺から大きく彷徨わせた。

 その様子を見ていた指揮者が狼狽えつつも、再び愉悦の笑みを取り戻していく。


「……いるようだな。見捨てられたかと思ったが、こんなところまで駆けつけてくるとはなかなか仲間想いの悪魔じゃないか」

「…………ふふ」


 どうやら勘違いしているらしい。

 セレンを助けに来る悪魔など居るはずもない。彼女もまた悪魔にとっての捨て駒だ。

 でなければ、単身でこんなところに乗り込むはずがない。だというのに、すっかり悪魔だと思い込んでいる指揮者が面白くて、セレンが堪えきれずに掠れた笑みを零した。


「何が可笑しい!」

「…………さ、ぁ──ね?」


 この場で彼女たち以外に声を発する者はいない。指揮者の配下たる天使たちは槍に貫かれたものも含めいつの間にか蘇生し、指揮者の警戒心に扇動されてか各々言葉なく光の槍を構えている。

 この場は沈黙で満ちていた。エレベーターが下り、箱が微動する小さな音が良く響く。


 大きく部屋を揺らし、エレベーターが到着を告げる。

 そして間もなく扉が開かれ──


「……ふふ」


 現れた彼女の相棒(にんげん)を見て言葉を失う指揮者。

 セレンは自慢げに、誇らしげに──絶え絶えの息を漏らして、笑った。

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