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諸刃の剣士は迷宮征きし白翼を追う  作者: 青空
下層:諸刃の剣士は迷宮征きし黒翼を追う
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白翼と黒翼

 神の修練場、最奥部。またの名を中枢区画(コアエリア)

 丸く縁どられた中枢区画(コアエリア)の壁面、正確には何かの液晶が備え付けられた画面に様々なホロウィンドウが浮き上がり、何かのパラメーターを表示し続けている。


 地面は先程セレンが通った施設と同じ滑らかな合金床だが、異なる点が一つ存在する。

 至る所に存在する細い窪みが壁から不規則な線を描くように走り、中心に安置されている台座へと繋がっていた。細い窪みの中を緑光が血液のようになぞり、中央の台座へ何かを供給するかのように緑光を壁から台座へ送り続けている。


 台座の上には何重にも強化ガラスで囲まれた宝石が安置されていた。

 青く光る正十二面体の宝石、超高純度魔力物質──海神(わだつみ)の涙がそこで眠っているのだ。


 この中枢区画(コアエリア)へ物理的にたどり着ける唯一の手段であるエレベーターが重い音を立ててこの最下層へと到着した。

 現代ではあり得ない薄手の金属扉がウィンと軽い音を立てて開かれる。


 中から現れたのは天使の統一衣装である白のローブ。

 己が堕ちた存在であることを示す黒翼を隠し、己を天使と偽るための偽装だ。


 彼女の目的は海神の涙の入手とその献上。

 神の迷宮共通の目的である周囲の迷宮からの魔力奪取。取り込んだ魔力は中枢区画(コアエリア)の海神の涙に貯め込まれ、迷宮生物の生成、疑似環境の維持、一定能力に達した探索者への魔力還元──すなわちスキルの付与を実施している。


 それがどれだけの規模なのかは想像に難くない。少なくとも天使の能力を抑制させ、なおかつその天使を倒す迷宮生物を生み出せるくらいの魔力がこの宝石に込められいた。


 だが、もうここに防衛機構は存在しない。セレンがここへ足を踏み入れた時点で迷宮生物からの襲撃はあり得ないものとなった。


「これが……海神の涙……」


 こつ、こつと硬い地面を踏みしめセレンが台座の前へとたどり着き、彼女の手から宝石を守る強化ガラスに触れた。これを壊すことは簡単だ。だが、壊したことで何かしらの弊害が発生すると面倒なことになる。出来れば穏便な入手を試みたかった。


「……もうここまで来てしまえば十分かしら」


 セレンが懐を漁り、何かを取り出す。見た目だけで言えば彼女の掌に収まる紫の水晶、ただそれだけだ。見る者が見ればそこに多大な魔力が込められている程度。その魔力も目の前の宝石と比べれば霞んでしまう。


「…………」


 紫の水晶を手にセレンが固まる。どうすべきか結論を出せずにいた。彼女が取るべき行動は強化ガラスを割り、海神の涙を手に入れるか今握っている水晶を割るかのどちらかである。

 少なくとも分かっているのは、水晶を割ってしまえばセレンの夢のようだった時間が数刻も経たず終わりを告げること。

 まさしく終わりの引き金そのものなのだ。


 出来ればもう少し感傷に浸っていたかった。それは別に被害者ぶりたいわけでもなく、単なる現実逃避だった。自分でもどうするべきだったか忘れてしまったかのように立ち尽くし、答えを求めて手元の水晶から顔をあげる。


 主を失ってもなお課せられた使命を全うすべく、何かしらの演算を繰り返し続ける演算機構(マザーコンピューター)。彼か彼女かも分からぬそれに感情があったならこの現状をどう思ったのだろうか。迷宮の運営など放棄して主を殺した天使と悪魔たちへの反逆でも試みるのだろうか。

 それとも、いつまで経っても成長の萌芽を見せない人類に辟易し、殲滅でも行うのだろうか。


(……馬鹿ね。考えても仕方ないことなのに)


 仮定の話など無意味だ。それが許されるのなら、思い描いたことが許されるのならどれだけ幸せだったか。天使には存在しない幸福と不幸という感情自体が欠陥品の証明だと言うのに。

 自虐に満ちたため息を一つ。いい加減動くべきだとセレンが強化ガラスに手を触れる。

 もともとそのつもりだったのだ。今更妥協策に逃げる訳には行かない──()のためにも。


「──あッ!?」


 ガラスに触れていた手が光柱に貫かれ、すぐさまガラスから離れながら焼かれた手を抑えた。手に異常はない。肌が爛れることも熱されたと感じた手が赤くなることもない。

 あるのは自身の精神を刺激してきた純粋な痛撃。触れ続けた者を浄化させ、精神から消滅させる天使の権能。それを良く知る彼女の顔は驚嘆に染まり切り、わなわなと震えている。

 そんなはずはあり得ない……と。


「──どうした元同士。神の威光に触れて感動でもしたのか?」


 声の方へ振り向く。セレンとよく似た白ローブの集団。セレンのような堕ちた天使ではなく、正しく神の意思に従う神の遣い。天使の集団がそこにいた。

 だが、あり得ない。この施設は天使や悪魔の侵入を強く拒む。たとえ入ったとしても迷宮の意思(マザーコンピューター)がそれを許さず、上位存在の力に耐性を持ち、上位存在に抗える力を持った迷宮生物に襲われる。

 上層でさえ、セレンはことごとくやられたのだ。だからこそラグロスの力を借りてここまでやってこれた。


「どうやって──!?」

「さあな、私にも分からない。分かるのは主審の思し召しが私たちをここへ運んだ。お前の浄化という神命のために」

「浄化なんて」


 効くはずがない。セレンだってその力を扱える。主神に賜りし天使の権能。無意味な平行世界を作らない天使の役割にのっとり不要な転換点(ターニングポイント)を排除するために許された力。

 器となる肉体ではなく、存在そのものを世界から消し去ることで在り得た可能性である平行世界ごと消滅させる浄化の力だ。


 それを扱う天使に同じ力は通用しない。詳しく言えば、神命が天使にその力を受けるような行動を許さないのだ。


「だが、今の貴様は天使ではない。ならびに悪魔でもない半端者だ」

「…………」

「証拠ならいくらでもある。お前のことは妨害こそあれど監視し続けていたからな」


 半端者である自覚はある。だが、権能が通じるようになった理由までは分からないし、あり得ないと思っていた。


「まずは睡眠だ。天使に睡眠などといった不必要な動作は()()()()。活動不能による失神はあり得るが、睡魔など存在しない」


 正しい。睡眠を必要としないセレンは気絶することが出来ても睡魔に負けて眠るなどあり得ない。だが、今までラグロスと過ごす中、眠気に負けて何度か眠りについてしまったことがある。地上での活動のせいと勝手に思っていたが、全く持って関係のないことだった。


「次に、浄化の力の低下だ。貴様はそれを行使したが納得のいく効果を得られていないはずだ。……そもそもそれを使えばこちらに存在がバレると言うのに、愚かなことを」


 中層で遭遇した神の悪意、珊瑚喰らい(コーラルイーター)にセレンは天使故に許された力である浄化の権能を行使した。だが、結果としてとどめを刺すに至らず体を焦がす程度で終わってしまった。

 単純に相手の存在強度が強い、もしくは天使という存在を許さない迷宮の意思の介入かと思っていたが、単純にセレン自身の出力が落ちていたのだ。


 誰かの手で勝手にパズルが完成されていく。その様を目にしたくはなかったのに、目の前の天使は黙々と完成へと手を動かしてく。セレンが目を逸らし続けて来た真実を見せるために。


「最後に、貴様の感知能力の低下だ。私のような統率個体は位置を自動的に周囲の天使(雑兵)に発信している。だからこそ貴様も私から逃げおおせた。それがどうだ。私が声をかけるまで気付けない程、感知出来なくなっているじゃあないか」

「──」


 セレンは今度こそ声を失った。今までは彼女一人で行動してもその感知能力があったから今まで隠れてこられたのだ。感知できないからまだ来ていない、いつの間にかそう思い込んでいたが仇となっていた。


 そして、嫌でも自覚させられる。ついに自分は堕ちるところまで堕ちたのだと。

 目を逸らしてきたはずだ。だが、心のどこかで自覚していて、最もらしい理由に縋って来た。


「何を天使であることに固執している? 貴様は望んで天界から出たはずだ。追手を差し向けたのは貴様が大きすぎる分岐点を作ろうとしたからに過ぎん。その前に一つやらかしていたとはいえ、器の広い我らがお父様のことだ。水に流してくれただろうよ」

「…………それは」


 天使の指揮者は大げさに腕を広げ、潔白を証明するように、己が正しいと言わんばかりに声を張り上げた。

 そんな彼に返す言葉が見つからず、答えを探し求めて目を地に這わせる。冷たそうな金属床に温かみの溢れた若草色の光が吸い込まれるように台座へ──海神の涙へ注がれている。


 何故、自分は目を逸らしてきたのだろうか。天使でなくなったなら下界に溶け込むのは容易であり、任務も楽に果たせたはず。翼こそあるが、鳥人と言えばそれで終わっていたはずだ。


(天使と思われていたから? 最初にバレなければ私もやりようがあった)


 翼を見られたことに動転したからか。だが、仮にそうだとしてもそれはきっかけに過ぎない。天使であると思われることに何かプライドのようなものを持っていて──


(……そうね、私は……天使で在りたかった)


 当たり前のように光が壁から台座へと流れ、まるでその光の大本みたいに鎮座する蒼き宝石。まるでライン仕事のみたいな機械的に魔力を納入する仕事のようだ。

 いつまで経っても変わり映えしない仕事ぶりは感情が欠落した天使と似ている。


 そんな天使で在りたかったかと聞かれれば違うと言える。けれど、下界の人間が抱く秩序の守り人としての天使に彼女は無意識な誇りを抱いていた。人間よりも上なのだと、力の強さを思い知らせるように。

 そして、彼女とまともに会話をした人間(ラグロス)はその態度を真に受け取り、真っ黒な翼を真っ白な翼と誤認した。


 それを任務の上で都合がいいと思いながら、彼が発する無意識の恐れに、称賛に、憧れに快感を持っていたのかもしれない。いつしかそのように振る舞える自分に酔っていたのかもしれない。


 だから、彼女は白翼の偽装を辞めなかった。

 けれど、もう彼には隠してきた自分の負い目を、目も当てられない生き様を、情けない振る舞いも全てバレてしまった。

 隠すことなどもう有りはしない。それならいっそとセレンが吹っ切れる。

 これを見られてしまえばラグロスにはきっと落胆されるに違いない。けれど、その彼がここに来ることはもうあり得ないし、そもそも出会うことさえないだろう。


 だから、彼女がいつの間にか全力で守っていた──小さな、最後の矜持を投げ捨てる。

 ローブをひっつかみ、魔力で維持していたそれをびりびりと引き裂きながら脱ぎ去る。

 フードに隠れていた白髪は変わりないが、そこから下は全くの別物で、

 胸元の小さなリボンとデコルテのある黒のブラウス。フリルが付いた黒のスカート。黒のニーソックスに黒のミュール。

 彼女を天使たらしめる白翼さえも堕ち切ってしまったみたいに黒く染め上げられていた。


 以前はどれも白尽くしだったそれらは、所詮全てセレンの魔力で出来た代物。白に染まろうが黒に染まろうが思いのままだ。


「ふ、フハハッ! 傑作だ! ついに認めたか堕天使セレン! 名前があることすらおこがましいと知るべき出来損ない!」

「ええ、そうよ──所詮私は欠陥品。だけど、欠陥品にも欠陥品の意地があるの」


 そう言って、セレンが細くしなやかな腕を上げた。肩から全て露出している彼女の白い腕は混じりけのない黒の服によく映えていて、人間が目にすれば容易に見惚れるほど艶やかだった。


 だが、その動作に伴って現れるいくつもの黒印(ルーン)は対面する指揮者も思わず身構えるほどの魔力量を発していた。


「──あいつを捕らえろ。殺しても構わんッ!!」 


 指揮者の後ろで控えていた天使たちが、虚空から白い槍を生み出して一斉にセレンへ襲い掛かる。


「みすみす殺されるわけないでしょう」


 セレンが腕を下ろす。直径一メートルを超える黒円陣から生み出された黒の大剣が次々と撃ちだされ、天使を貫いていく。処刑作業のようなあっさりとした殲滅ぶりで、白槍で抵抗した個体も、槍を砕かれ諸共撃ち抜かれていく。

 黒剣の弾幕をやり過ごし、白槍が届く距離まで迫ってた天使も地面に浮き上がった黒印から生み出された黒槍に貫かれ、あと一歩のところで倒れてしまった。


 今までは天使側にバレないようなるべく力を抑える必要があった。悪魔に堕ちた代償として得た魔力量はそこらの上位存在をはるかに上回る量で、存在強度の高い天使さえも容易に貫く剣を無尽蔵に作れるくらいには力があった。

 今までは自身に制限をかけ、ラグロスという剣に力を注ぐことで潜伏してきたが、その必要がなくなってしまえばセレンだっていくらでも力を振るえるのだ。


「……撃て!」


 接近攻撃を仕掛けに来た天使がまとめて殺されたことに、多少の狼狽えを見せつつも、指揮者が再び命令を下す。

 その声でいつの間にかセレンを包囲していた天使たちが白印(ルーン)を刻み、白槍を撃ちだしてくる。


「馬鹿ね」


 今度はセレンの腕が何かを払いのけるかのように横へ振られる。

 黒い(いなな)きのような風が中枢区画(コアエリア)に吹き荒れ、白槍は嵐を前にした笛のように呆気なく構造から崩れて消え去った。


 彼女が放ったのは単純な魔力を雑にばら撒いただけの威圧のようなもの。

 たかが威圧程度の行為で天使たちの攻撃は無に帰した。

 人が自然災害に勝てないのと等しい自明な力量差だったが、自我無き天使(雑兵)は与えられた命令を盲目的にこなす機械だ。たとえ己が蟻で相手が象だとしても彼らは果敢に戦いを挑み続ける。


「ふふ……力の差も分からないの? 本当に馬鹿ね」


 だから象がまた有象無象を踏みつぶすように、蟻たちを蹴散らせて見せた。

 再び嘶きが吹きわたり、天使たちが吹き飛ばされる。無防備を晒した者から黒槍に貫かれその命を呆気なく散らしていく。

 子供が蟻を無残に殺すことを無邪気に楽しむように、久しぶりの力の解放はセレンに大きな悦楽をもたらしていた。


「──馬鹿は貴様だ……下郎!」

「何を──~~~~!!?」


 好きにやらせてなるものかと、指揮者が調子に乗ってしまった彼女を罵倒して己に許された権能を振るった。

 快楽に溺れた者を罰する秩序の一撃。天使に許された転換点(ターニングポイント)の抹消。それは主神の意思に従っていれば従っているほど威力を増す。

 すなわち、この場に置いて特異点と言っても過言ではない存在──堕天使に対しては無類の力を誇る。

 故に、悦に溺れてしまったセレンは、神の鉄槌をもたらす光の柱に呆気なく貫かれた。





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