剛剣対炎槍
弾き飛ばされ高らかに宙を舞う黒槍に目もくれず、黒騎士が今度は両膝から一本ずつ黒槍を生やし、まるで双剣を引き抜くが如く両手に槍を持ち穂先に炎を纏わせた。
(なんでもありかよ!?)
動揺を表に出さず、勢いのままラグロスが大剣を振り下ろす。
手加減などしてはいない。ラグロスが即座にチャージ出来る魔力は体の中で暴れ、乱暴ながら剣圧を押し上げていた。
黒騎士はその馬鹿力を交差した黒槍であっさり受け止める。大した手ごたえもないことにいっそ納得すら感じていた。そうでなければと笑うほどだ。
ラグロスの一撃が弱かったわけではない。黒騎士が受けた衝撃は彼の鎧を伝い地面をくるぶしが隠れる程度までへこませる。
「──あぐっ!?」
笑っている暇はないと、叱るような蹴りが彼の腹に突き刺さりラグロスの体がピンボールみたいに飛ばされ近くの建造物に衝突。半壊のそれがガラガラと崩れ落ちて彼を瓦礫の海に沈めた。
だが、所詮は瓦礫とすぐさま海豚のごとき跳躍で瓦礫の海から飛び出したラグロスが重力も乗せた一撃をお見舞いする。愚直ながらも──愚直だからこそ無視できない威力に跳ね上げられたそれは、一撃目は微動だにしなかった黒騎士の槍をやや沈めさせる。
再び地面を陥没させるほどの衝撃は、一度目で破壊された瓦礫の破片を宙に舞いあげた。
「……ほう」
感心する声が兜の奥から聞こえる。割り増しの一撃を押し返すのはさしもの黒騎士でも難しかった。
だが、彼らは得物の量という点で天と地の差がある。
「──ッ!」
ラグロスが押し付けていた力を反動に無理やり離れる。地面を転がりながらなんとか距離を取った彼がいた場所は黒騎士の膝から生えた槍が貫いていた。
少し遅ければ貫かれていたのだ。茂みから得物を狙う蛇のように、少しだけ顔を出した槍を見て慌てて距離を取ったのだ。
「……どうなってんだよその体」
「便利だろう?」
「……だな」
日常生活に支障をきたしそうだが、こと戦いにおいては同意できる。
厄介な目に見えない驚異はラグロスの足を一瞬縫い留めるが、離れたところで向こうの残弾が尽きることもない。
彼に許されているのは猪と同じ突貫のみだ。
体の中で巡り続ける魔力の流動を加速させ、地を蹴飛ばす。
鈍色の大通りを陥没させる彼の肉体は一挙につき筋繊維が一本一本千切れる痛みを代償にその力を増していた。
第三撃。今度は振り下ろしではなく、下から振り上げるすくい上げ。
当たったものを星に変える勢いのそれを黒騎士は再び交差させた槍で受けた。
練り上げられた力の衝突は大気を震わせ、宙に振動を走らせる。帰って来た空気の振動がラグロスの髪を吹き上げるが、お構いなしに更なる一歩を踏み込んだ。
暴力的な一撃はさしもの黒騎士も動かずに凌ぐのは無理だったらしく、その力の向きを受け流しつつ距離を取った。
傷を負わせることは叶わなかったが、一歩たりとも動こうとしない彼をその場から退かせたという確かな功績を得られた。
大通りで距離を取って対峙する二人。
ラグロスがどうだと言わんばかりに口端を吊り上げて笑って見せた。
たった全力の三撃を振るうために払った代償は馬鹿に出来ない。戦いの高揚が収まればその場に蹲る程度には重度の負担を全身にかけている。
青年の自慢げな笑みに隠された鈍い痛み。だが、彼にとってこの痛みは成長の証だ。
正確には、この程度の痛みでこの結果を出せた費用対効果の向上の証である。
セレンに出会う前の彼なら、タイタンと正面切って戦うために同程度の負担をかけねばならなかった。無論、今ならチャージを使うことなく正面から叩き伏せる身体能力がある。
そして、そこまで身体能力が向上していることをラグロスは具体的に分かっていない。漠然とした成長を肌で感じているだけだ。筋肉の破壊と再生の両方を高速で行い培われていく土台。その過程で浪費する魔力が血液と変わらぬ勢いで体全体を延々と駆け巡り、筋肉の破壊と再生に滑り込んだ魔力が彼の体をより魔力に適した体へ再構築していく。
分解と構築。より機械を最適化するために行われる非人道的作業に近いそれを繰り返し、最後に黒騎士と氷が用意した仕上げを服用することで、彼の体は人間のままたどり着ける限界値を突破していた。
それは彼が人間であることを否定しうる材料だ。
人外だと指を指されたとしても否定できぬ正論だ。
──だからこそ、ラグロスは不敵に微笑んでいる。理屈はともかく彼の頭は直感で今の自分が化け物であることを理解している。
だが、セレンの隣で立つならば、人間からの逸脱は必要条件とも言えた。
当ても知らぬ海で迷走していたラグロスの航路は定まった。
具体的な指針を手に入れた船はもう荒れることのない心の海を緩やかに進み続けている。
「──そうか」
重々しく黒騎士が頷く。彼の中にある項目が一つ満たされた。
次なる項目を埋めるため彼は炎槍を振るい、燃える斬撃を飛ばしてくる。
槍だけならば多少掠った所で何の弊害もない。しかし、ラグロスに迫りくる炎撃は触れた瓦礫をバターの如く溶かしている。彼の耳にもじゅうとパンであれば香ばしい匂いも付随しそうな音が届いていた。
回避は容易だ。だが、黒騎士は先程から律儀にラグロスの攻撃を受け止めている。
それは試しているからか、男の意地からかは分からない。どちらにせよ回避は彼の選択肢から消えていた。
魔力の流動をさらに加速させる。圧迫された血流の脈動がラグロスの神経にも伝わった。どくんどくんと心臓が細くなった血管に血を行き渡らせるため、より強いポンプとして稼働している。魔力の流動がそこへ重なり心臓が一度血を送り出す度、彼の全身に魔力がみなぎり力が増す。
単純かつ強力で馬鹿みたいに危険な体の活性化であり、魔力を絡めた武術の一到達点。
出力の上がった身体能力に思考を追い付かせるため、活性化は頭でも行われている。
ぎちぎちと締め上げられた血管の悲鳴が、脈動となってラグロスの頭の中で訴えられていた。
余計な思考が頭から消え去り、彼の意識はその全てを炎撃へと注がれる。
加速した思考が思い描く突破手段をなぞるように、ラグロスの体も動き出す。
どれだけ加速しようとやることは変わらない。
大剣を振り上げ、振り下ろす。腰だめの状態から半円を描くような軌道で宙を走る大剣が炎撃に触れて、掻き消える。そこに残る熱までは完全に消しきれず、解けこそしないが大剣から伝わった熱で彼の手が火傷を負う。
しかし、活動の支障になる痛覚はとっくの昔に握りつぶされている。
火傷など少々武器を握りにくなったかという認識でしかない。
だから、続けざまに飛来する炎撃を再び切り払うのはさして難しくなかった。
八の字を描くように右から左へ、左から右へ。振り下ろす先が違うだけで動作自体は鏡合わせの繰り返しだ。
何度炎撃がこようとも、真っ二つにするだけのこと。
その度に彼の手を、体を襲う灼熱など障害になるはずもない。
炎撃の数が二桁を超える頃、黒騎士が兜の奥で唸った。
まるで獣だ。しかし、厄介なことに理性は残っている。超反応でなんとかし続ける場当たりな対処ではなく、常に敵を倒すための最適解を選んでいる──この場ではもっとも単純かつ簡単な迎撃手段を取っている。
だが、その手段で支払われる代償を微塵も気にしていない。黒騎士の目から見ても爛れているように見える手は、大剣を持つ彼の目に入っていないようだ。
このようなパワープレイは黒騎士の得意とするところではない。むしろ苦手分野に当たる。だが、それを理由にこの勝負から逃げ出すのはもってのほか。
面倒な仕事を受けたと内心嘆きつつ、黒騎士が遠距離からの斬撃を辞めてラグロスへ斬りかかった。
近接戦闘はラグロスの望むところだ。シンプルな力比べこそ彼の真骨頂。
何も考えず大剣を振るう。槍と大剣だ。リーチの差こそあれ、まともに叩き合えば勝つのは重い方。澄んだ音を響かせ、いとも容易く黒槍が跳ね飛ばされる。
「──ッ!! ~~~!!」
だが、黒騎士の武器は無尽蔵。まだ左手にある黒槍の突きを何とか手でつかむも、今しがた槍を失った右手から生えた槍が肩口に突き刺さる。
直接的な痛みがラグロスの表情を苦悶の物へと変えるが、彼の動きは止まらない。むしろ右手が塞がったと言わんばかりに、肩を刺されて尚変わらぬ速度で大剣を薙いだ。
まだ体から槍を分離していなかったせいで黒騎士の回避が遅れ、フルスイングが見事に命中。衝撃で吹き飛んだ瓦礫と一緒にホームランを打ち上げた。
確かな手ごたえの快感から思わず頬が緩む。
しかし、五階のビルを超える高さまで飛ばされた黒騎士は空中で受け身を取り、更には宙を蹴飛ばし即座に落下してくる。
「~ッ!? ──っざけるな!」
周りの瓦礫と一緒に重力の縛りを受けるはずだった黒騎士が理から脱却する。
あり得ない反転による何もない場所でのピンボールはラグロスも対応が遅れる。
小細工なしの突きを腹に受け、浮き出した血管から血の噴水を作る。だが、ただではおかないとばかりに噴き出した血を目くらましにして黒騎士の顎を殴り飛ばした。
何の防護もない手の甲が兜を殴って血に塗れるのも構わず、片手で大剣を振るう。人間が片手で振るうには困難な大きさだが、彼には造作のないこと。今度は真横に黒騎士を飛ばし、半壊したビルへと突き刺した。それがビルへの止めとなって崩落を引き起こし瓦礫の山に黒騎士が埋もれてしまう。
先程黒騎士を吹き飛ばしたときに宙を飛んでいた瓦礫の雨を体で受け止めながら、ラグロスは崩落させたビルへと歩いて行く。
この程度で奴が沈むなどあり得ない。だからと言って追撃を叩き込みに行くわけでもない。
肉を切らせて骨を断つ。
彼の座右の銘でもあるその言葉のまま黒騎士をねじ伏せるべく、反撃上等と悠然とした態度で謡っていた。