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諸刃の剣士は迷宮征きし白翼を追う  作者: 青空
下層:諸刃の剣士は迷宮征きし黒翼を追う
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緑の古都

 肌の痛みすら感じるぎらぎら照りつける太陽の光。水底の時とは目に焼き付く光量が違いすぎて、転移したばかりのラグロスの目が眩しそうに細められた。


「……外?」


 思わず手で日光を遮る。太陽を隠した空にはわたがしみたいな入道雲も見えた。外の明かりに慣れていない目で上を見上げるのが厳しく、太陽から視線を逃がす。


 そこは廃墟を思わせる寂れた都市だった。以前にラグロスたちが中層に通った蒼き廃墟(インディゴブルー)とは違い、彼らの知らぬ建造物群が広がっている。


 高さだけで言えば話に聞く城と変わりなさそうな、高い高い金属の建造物(ビル)。ものによっては苔に覆われ緑の箱と化したそれらは年月を感じさせた。

 高さは違えど、見渡す限り建造物群で視界が埋め尽くされている。中には倒壊した建物もあり、金属の橋と化したそれを伝えば別の建物の上にまで登れそうだ。どの建物も、等間隔に並べられた窓があまりにも揃っていて不気味である。割れたまま放置された窓も一層人気の無さを強調していた。


 見上げてばかりで首の疲れを感じたラグロスが今度は目線を下ろす。

 正面にあったのは舗装された道である石畳──ではなく、鈍色と白い白線で舗装された大通り。通りの端の方では馬車に似た鉄の箱が打ち捨てられている。大通りの両脇にある小さな段差を乗り越えれば、滑らかな石か何かで舗装された細い道があった。


 おそらくこの広い大通りは、今は打ち捨てられた鉄の箱が往来する場所なのだろう。歩行者は脇の細い道を使えと言っているように見える。とはいえ、もう誰の足に踏まれることもない道も、使われることのない鉄の箱も、放置されすぎた結果緑に浸食されていた。


 欠片も知らぬ文明。今の技術では厳しそうな建造物の群れが遥かに進化した人間の世界を教えてくれている。だが、何をもってしてここまで潰されたのかは不明だ。

 ここがラグロスの生きる大地と同じ場所にあるのかも分からない。けれど、眩く照らす日差しの暖かさは外と同じそれだった。


 迷宮にも何故か太陽はある。その理由をラグロスは知らないが、先程までいた場所との違いに思考が追いついていなかった。

 転移させられたという事実は理解している。だが、彼の予測ではどこかの施設の中に跳ばされると思っていたのだ。

 それがどうだ。見知らぬ都市に放り出されているではないか。


 彼の知る街で漂う潮の香りは欠片もなく、苔むした緑の薫りが漂っている。

 彼の住み慣れた街で吹く僅かにベタついた風はなく、肌を柔らかく撫でる優風が踊っている。

 彼が聞き慣れた街の喧騒はなく、割れた窓に足をつけて歌う小鳥の(さえず)りが静かな都市を満たしていた。

 もうここは人間の住処ではなく、僅かに生き延びた小動物たちの憩い場でしかないのだろう。それらを捕食する大型生物の姿は見えない。姿を隠すのが難しい彼らでは、鉄の箱が往来する場所で生きるのは難しいに違いない。


 迷宮はラグロスにとって日常でありながら理解の及ばぬ非日常の世界である。最も身を置く場所でありながらも、物語のような非現実だと認識している。


 実際、宙を架ける小川の橋が広がる世界(上層) も、晴れと雨が交互に入れ代わり続ける世界(中層)も、人間にも水中で生きることを許された世界(下層)も──全てここでしかお目にかかれない場所だと思っていた。


 だが、ここは違う。長い年月をかけて作物を育てるが如く自然に培われた場所だ。文明は違えど人が生きることを前提に作られた世界だ。

 それを彼は肌で感じていた。


「ラグロス」


 重く低く、なのに何故か荒廃した都市に波紋を作る鉛の雫みたいな声。声の主は見るまでもなくラグロスが理解する。

 同時に、避けられぬ戦いがあることも。だから大剣を手にして振り返る。


「いつか、アンタとは()ると思ってたな」

「何故だ?」


 曲がり角から現れた黒騎士。あいも変わらず得物を持たない彼が尋ねてきた。疑問に思う声色ではなく、意思を問う質問のように聞こえた。

 幾つ年が離れているのかは知らないが、子供の自由意思を尋ねかけるような、志を言葉にしろと言外に伝えてくる。


「アンタは最初から俺のことを見定めるみたいな口ぶりだったからな」


 敵対するわけでも味方するわけでもない立ち位置を彼らは保っていた。正確に言えば、味方してもいい人間かを常に観察されていた。行先だけを示唆し、その道の先を常に歩く彼らはラグロス達を導くように現れ、干渉してくる。

 だと言うのに、中立から外れることもないのだ。


 ラグロスには彼らの立ち位置を明確に説明できるほどの根拠はない。強いて言えば、下層で道を共にしたときに黒騎士が一度も手を貸そうとしてこなかったことぐらいだろうか。


「その通りだ」


 大通りのど真ん中で立つ黒騎士はまるで道を塞ぐように白線を踏んでいる。先回りした場所の道端で軽く口を挟んでくるだけだった彼が今度は道を譲らないとばかりの仁王立ちだ。

 きっと、今から始まるのはその最終試験なのだろう。

 ラグロスがセレンを助けに行く手伝いをしてもいいかを確かめる作業なのだろう。


 決して明言してこなかったその境界線がこの戦いなのだとラグロスの直感が訴えていた。

 そして、その直感は目の前の男が危険だと死ぬまで鳴き続ける蝉みたいに警鐘を鳴らしていた。


「──で、何を見定めたいんだ?」


 何をどうしようと鳴きやまない蝉達の輪唱の不気味さで冷や汗が背中を伝う。大剣を持つ手も手汗で滑りそうだ。汗で湿った鎧下が気持ち悪い。

 聞き返した声が震えなかったことをラグロスが内心で己を褒める。


「力だ。私が──面倒だからやめよう──俺が依頼人から受けたその願いを叶えるに十分な力が、君にあるかどうかな」


 黒騎士は初めて抑揚の付いた極めて人間らしい声を発した。今までは寡黙な騎士を思わせる無遠慮で無愛想な雰囲気だったのが、彼と共にいた女性と変わりない年の男を思わせる只人に戻ったのだ。


「正直に言おう、愛する者を助けたい君の勇気と覚悟は讃えられるものだ。(しがらみ)がなければ、俺は直ぐにでも手を貸したい」

「……」


 あまりの変わりようにラグロスがなんと言葉を返すべきか思考が止まる。今の彼は仁義と義理を重んじる善良な人間にしか見えない。


 いや、柵のように彼を閉じ込めているあの重苦しい鎧の下はきっとただの人間なのだろう。何らかの理由があって彼は寡黙な騎士にならざるを得なかった。

 先程いきなりされた謝罪も不器用な彼なりの善意と精一杯の謝意に違いない。


 そう思えば、氷が彼に信頼をおいている理由もなんとなく理解できた。ラグロス達踊り子が五色の経緯で一つになったのと同じように、彼らにも彼らの物語があったのだと。


「でも、現実はそう甘くない。これから立ちはだかる壁を乗り越えるかぶち壊す力がなければ、容易く傍観者になり果てる」

「──だから?」


 もう理由も説明も十分だ。余計なことを考える理由もなくなった。そういうのは相棒(セレン)の仕事で、ラグロスがやるのは手した鉄塊で目の前の壁を壊すことだ。


 飛び越えるなんて億劫なことをやっている暇はない。常に最短距離を愚直に走るのがラグロスの役割で存在意義なのだから。


「だから俺は今から君を試す──安心しろ、同伴者は氷と居る」


 黒騎士が左手を右肩に近づけ、左肘を突き出すような姿勢を取った。そして、右手を突き出した左肘に添える。

 それは鞘から剣を抜く仕草に見えた。けれど、そこに得物はない。右手を握りしめたところで空を切るだけだ。

 騎士に見える彼特有の礼節だろうかと首を傾げ──。


 左肘から突然生えた黒槍に目を見張った。

 黒騎士は今度こそ鞘から剣を抜くように、体から生えた黒槍を手にする。


 滑らかな金属鎧を着こんだ騎士の剣ではなく、兜しかり鎧しかり、ところどころ物理的に尖っている彼の見た目にふさわしい異形の黒槍。

 穂先は螺旋を描き捻じれた三角錐。柄は海の表面みたいに僅かに波打っている。

 シンプルな棒状の槍ではないそれは一層彼の不気味さを加速させ、耳元で鳴っている蝉の輪唱も最高潮を迎えた。


「なに、驚くことはない。面倒で便利な呪いだ。武器を携帯しなくていいのは楽だぞ」

「武器に関しちゃ世話になってる奴が居るからな、俺は遠慮しとくさ」


 鍛治師(ジェル)の姿を想像しながら、ラグロスが笑い飛ばす。そうだとも、寂れた都市で耳に聞こえる鳥の囀りが霞むくらい、目の前の黒騎士を警戒する警鐘の音がうるさいのははなから承知の上だったのだから。

 今更何をビビる必要があるのか。


 だから、言葉なく戦意を示すためラグロスは大剣を構えた。

 それに応えるように黒騎士が黒槍を構え、唄うように兜の奥から声を発する。


「我は紅き調停者の手足であり、契約者」


 黒騎士が詠唱らしきものを唱えれば、黒騎士の手にする黒槍の穂先が炎を帯びる。

 年頃の男であるラグロスは思わず歓声をあげそうになったが、炎の穂先を向けられている現実で我に返った。


(はっ……そういうことかよ)


 紅き調停者──すなわち偉大なる紅を意味していた。

 先程の調停者の話が繋がり、理解と共に彼の顔が好奇に歪む。故郷の皆に話せばきっと鼻で笑われるに違いない冒険譚の一端。

 今ばかりは自分が高揚していることを両親に恥じなかった。いつだって彼をどこかで苛んでいた故郷の者への後ろめたさ。自分だけがこのような思いをしてい良いのだろうかと悩む彼の良心。


 けれど、これは高揚したってきっと怒られないに違いない。

 誰が目の前の炎槍を手にする黒騎士に立ち向かうと聞いて怒るだろうか。否、大抵は許されるなら尻尾を撒いて遁走するはずだ。

 どこかで憧れていた偉大の一端。それを目にして素直に現実と認め、立ち向かおうと思えるのは自分が天使やらの存在(非現実)に慣れ切ってしまっているからかもしれない。


 黒騎士が槍を振りかぶる。あの様子だと槍は何本でも作れるらしい。

 確かに便利だ。相手にとって不足ないし、むしろ過剰だ。


 余裕などなく、今だけはセレンのことさえ頭から消してやった。

 これは彼女の隣に立つために必要な儀式だ。乗り越え──壊さなければならない壁だ。

 もう、輪唱は消えた。蝉の抜け殻を踏みつぶす勢いで一歩を踏み出す。


「やってやろうじゃねぇか!」


 その騎士の名乗りを打ち消す気概で大剣を振るい、飛来した炎槍を弾き飛ばす。

 鳴り響く甲高い金属音に驚いた小鳥たちが一斉に羽ばたき、彼らの戦いが幕を開けた。

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