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諸刃の剣士は迷宮征きし白翼を追う  作者: 青空
下層:諸刃の剣士は迷宮征きし黒翼を追う
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水底に芽吹く深海樹林

 無事に周囲の探索を終えたリットたちがした報告は味気ない物だった。

 迷宮生物も見られず、淡々と樹海が広がるだけで転移装置も見かけない。


 強いて言えば、今まで以上に浮世離れした場所である。ということくらいか。


「……どうなってんだ」


 ラグロスが呆けた顔で呟く。声を発したことで口から吐き出された空気が泡として()()を漂い、見えもしない海面へ向かい上っていった。


 彼らがいる場所は水中だ。何故かは分からないが呼吸が出来ることだけは判明している。下層が水の中に埋もれていて、探索者たちがその中を平気で攻略しているのも初耳で目にしても信じられないが、ここで呼吸できることを体で教えられては納得せざるを得ない。


 ここが水中であると言うことを納得したのはともかく、眼前に広がる光景もまた信じられなかった。


 上層を思い出させる緑──ではないが、深い蒼で生い茂った木々が水中の中で樹海を生み出している。水の流れに従い海月みたいに揺蕩う枝葉は海藻と何ら変わらないが、だからといってはいそうですかと頷ける現象ではない。


 植物は水が必要だ。そのくらいはラグロスだって知っている。同時に水が多すぎても──こんな水に埋められた状態が健全だとは思えない。

 海面が見えないせいで今まで以上に閉所を意識させられるのに、太陽の光もなしに文字通り青々と育っている植物たちには驚きを隠せない。


 彼の驚嘆は目を見開くことでも表に出ていて、水中で目を開けても水が目に入ることもない不思議さに今度は眉をひそめることで理解しがたいと物語っていた。


「すごいでしょー」

「わけわかんねーよ」


 チリーが得意げに薄い胸を張る。水中なのに服が濡れる様子がない。武器もラグロスなどは金属製なので錆びかねないが、その様子もない。ますます彼が怪訝な顔を深めるだけだ。

 水中ならば当然水の抵抗の分だけ彼らも動きにくくなるはずだがそれもなく、自分たちだけが映像としてここに居るのではと錯覚させられる。


 空を揺蕩う千切れた海藻。足元の砂地から顔を出す細長いチンアナゴにかさかさと横向きで器用に歩く蟹。遠くの岩陰には藻や海藻を隠れ蓑に外敵から身を守る小魚も見られた。海に生きたまま沈めばきっとこんな光景が見られるのだろう。

 周囲の生き物たちはどう見ても水中の理に従っているはずなのに。腕を仰げども、砂地を踏みしめようとも水中特有の重さはない。


 背景だけを水中世界に張り替えたみたいな水底を歩く度、現実ならば──無論ここも現実だが──あーだこーだとなることが何も起きず、違和感だけが膨れ上がっていった。


「……すん」


 ふと思い出してラグロスが鼻をぴくぴくと動かせる。

 潮の匂いは嗅ぎ慣れているはずなのに、鼻が死んだのか匂いがしない。海の中では潮の匂いがしないのだろうか。そんなことを気にした人間はいなかったらしい。

 当然だ。そもそも匂いを感じるどうこうの前に、生身で海に沈もうとすれば水流が鼻から入り込んで阿鼻叫喚の事態になること必須だ。


「とりあえず帰り道が分かりやすい場所だけ軽く探して、なさげなら……また考えよう」


 リットが改めて方針を告げて先頭を歩く。休憩を取ったとはいえ全員が疲弊している。

 門番を突破した先には転移装置があるものだという決めつけに頼っていたのが悪いのは分かっているが、大人しく戻ろうにも中層は中層で二日三日かかる距離歩いてきたのだ。

 こんな疲弊した状態では三日間も迷宮生物を相手するのも厳しいので、出来れば下層の転移装置から帰りたかった。


 ラグロスとルーツェに限れば消耗はさらにひどい。

 目新しさへの興奮でラグロスも忘れていたが、しばらくチャージを使うのは厳しそうだと肌で感じ取っていた。

 例えるならばオーバーヒートを起こしたからくり仕掛けのようである。


 無理やり動こうものならすぐさま故障して悪化の一途をたどるだろう。


「ままならねぇな」

「大人しくしてて」

「そっちもな」


 せっかく神秘的な場所に来たのに興が乗らなくなったラグロスに、そろりと近づいてきたルーツェが釘をさす。

 危ないのはそっちもだろと刺された釘を抜いて刺し返してやれば、口をもごもごとさせてそそくさと距離を取ろうとする。


「ちょい」

「わっ──」


 離れていく彼女の首根っこを掴み、傍へと引き戻す。近づいてくる青髪を見て先程甘い香りがここから漂っていたのを思い出した。潮の匂いはしないが鼻は死んでいなかったと遅れて気付く。


「お互いなんも出来ねぇだろ。話くらい付き合えよ」

「……いいけど」


 出来て周囲の警戒くらいだが、見渡す限り迷宮生物らしきものは一つも見えない。

 もしかすれば砂地から顔を出してるチンアナゴみたく、突然砂から奇襲を仕掛けてくる奴が居るのかもしれないが、こんな場所で勘がはたらくはずもその体力もない。

 なので、諦めて話に興じようとルーツェを誘った。


「遠くにはさ」

「……うん」

「視界に収まる景色を一枚の紙に収める機械があるんだってよ。からくりか魔道具かは知らねぇけど」

「そんなの、何に使うの?」

「そりゃあ、こういう場所だろ」

「あー。確かに」


 こんな場所、帰って宿の探索者に教えたところでホラ話扱いが関の山だ。

 だが、証拠があれば信じてくれるだろうし、いい思い出にもなると、ラグロスは水の感触がしない虚空を仰ぎながら言う。


「でも、信じて欲しいだけなら素材とかだけでもいい」

「夢がねぇな」

「現実的って言って」

「分かるけどな、その気持ちも」


 生活こそ安定したが、昔はもしもの話を考えるのは余計に今が辛くなるのでしなかった。

 なんだかんだマシな生活が送れていたラグロスはともかく、一時は彼が見過ごせない程に酷かったルーツェはもっとだろう。


 夢ぐらい見たってと言いたい気持ちと、仕方ないかと諦める気持ちがせめぎ合う。

 似た境遇だからこその葛藤がそこにあった。

 すぐ隣で海流同士がぶつかっているのか、渦を巻くような音が聞こえた。

 代弁してくれているみたいで、ラグロスが可笑しさに口元で緩く弧を描いた。


「もしそういうことを考える日が来たときは、きっと探索者を辞めてるとき」

「違いねぇなぁ」


 探索者を辞める。きっと、その単なる事実が大事ではなく、探索者をやめてもいい状態、環境に居られることが重要なのはラグロスに伝わった。

 今だって続けている仕送りがある以上、怠惰でいられる日は一生来ないと彼も分かっている。


 だからと言って、それが枷だと感じたことはない。むしろこれのおかげでラグロスは探索者を心置きなく続けられている。

 良くも悪くも自由だ。両親、弟たちが出来なかったことの大抵は今のラグロスなら叶えられるだろう。それくらいの財力が今の彼にはある。それでも無駄な贅沢をするのには家族に悪いと妙な遠慮をし続けてしまっていた。

 恐らくルーツェも同じで、ハイエナみたいな生き方をしてまで守り続けた程だからラグロスよりも意思が固いに違いない。


「でも」

「……ん?」

「今回はご褒美くらいあっても、いいね」

「ご褒美か……」


 美味い飯を食べる。美味い酒を飲む。そのくらいしかラグロスには贅沢が思いつかない。

 もしくはそれ以外を無意識に排除している。


「ね」

「ご褒美……。ん、なんだ」

「自分でご褒美って変だから、渡しあうのはどう?」

「いいな、それ」


 自分でする贅沢だとどうしても遠慮というか、背徳感とか罪悪感がある。

 でも、仲間を労るという大義名分があれば普段はしないことも出来そうだった。


(なんか、抜け道みたいだな……)


 降ってわいた無駄な考えを軽く頭を小突いて忘れ去る。

 文句をつけるのは簡単だ。せっかく案を出してくれるのだから、乗っかってやるのが仲間としての答えだろう。

 面倒くさい自分を今だけは蓋して、今だけは邪魔のない妄想に耽る。


「ご褒美、ねー」


 ルーツェに対するご褒美。何が良いだろうかと頭を巡らせるが、パッと思い付いたは服だ。

 女ならお洒落も楽しんでみるべきものだろうとラグロスの偏見がある。

 悪くはなさそうだが、問題は彼にそういったものを選ぶセンスはない。自分の物ですら真面に決められないのに、人のものを選べるはずがないのだ。

 まず、服なんてサイズが合っていて着心地が悪くないなら何でもいいと思っている人間にまともな感性があるはずがない。


(え、思いつかねぇ)


 個人に対しての贈り物をしたことがないラグロスにとって、何を上げればいいか全く想像の出来ない問題がここに来て浮上する。

 自分の経験の浅さを恨みつつ、ルーツェはどうなのだろうかと視線を向けてみれば、んー、と小さな唸り声を上げながら虚空を見つめ続けている。

 何で悩んでいるかは分からないが、悩み事はあるようだ。


「こういうの、渡す相手に聞くのも変な話だけど」

「うん」

「欲しいものってあるのか?」


 悪手であるのは分かっていたが、貰って困る物を渡してしまうよりはましだろうと、ラグロスは妥協案を選んだ。

 素直に彼女の方を見続けるのも気恥ずかしく、視線の逃げ先を求めて周囲を見る。


「──?」


 いるはずもない姿を見つけたラグロスの体が固まる。

 人間が歩くには無理のある水底の世界に、槍を携えた黒騎士の姿と白衣に身を包んだ女性の姿が見えたのだ。

 彼が見つけたと言うことは、先頭に居るリットも把握済みの内容である。

 リーダーはどう思っているのかと目を向ければ、立ち止まり注意深く観察しているようだった。


「なんで、あいつらが」


 結果論で言えば動けるようになったとはいえ、謎の薬を飲まされたことは彼の記憶にしっかり焼き付いている。そのトラウマとでも呼ぶべき心象は思わず背中の大剣に手をかけてしまうほどだった。

 そんな警戒心を隠しもしないラグロスを見てもなお、黒騎士達は何も怖くないと言わんばかりにのんびりと歩いてきて、終いには白衣の女性が手をぶんぶんとこちらへ振って来るのだった。


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