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諸刃の剣士は迷宮征きし白翼を追う  作者: 青空
下層:諸刃の剣士は迷宮征きし黒翼を追う
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暗雲巨人

「……何にやにやしてんだよ」

「いーや? 何もないよ、気にしないで」

「何かあっただろ……ドーさんもちょっと笑ってるし」


 ドーレルに起こされたラグロス含め三人は門番に挑むため支度を整えていた。

 粗方整えたラグロスが珊瑚に腰かけてにやついているリットを見つけて顔をしかめる。

 彼があんな楽しそうにしているのは少し珍しかった。


 加えて、いつもは精々微笑んでいる程度であまり感情を出さないドーレルも笑みを深めている。だが、からかうという風にも見えないので意図が分からず、余計に気になる気持ちが膨れ上がっていた。


「童心に帰るのも悪くない。そんな話ですよ」

「……昔話的な?」

「近いですね」

「……ふーん」


 訊いても話してくれそうにはなかった。少なくとも悪い話ではなさそうだ。

 男同士積もる話もあるというし仕方ない。

 そこまで考えて男同士ならラグロスはどうなっているのだろう。やはりのけ者にされているのではと一抹の不安が彼の脳裏をよぎった。


「いでっ」


 柄にでもないことを考え額にしわを作っていた彼の頬を、ルーツェがむにーっと引っ張って離す。

 日々大したケアもされていない荒れた肌は非常に硬く、離した瞬間にぱちんと弾けて彼を驚かせた。

 小さな刺激になんだと顔を向ければ、彼女が背伸びして彼の額に手を伸ばし、しわを作らないように押さえつけて来た。どうやら彼女なりに気を使ってくれているらしい。


 だが、せっかく目の前にいるのだから言いたいことは口にしてくれとラグロスは言いたかった。

 これもまたルーツェらしいと言えばらしいので、微笑ましくて自然と寄っていたしわが消える。


「……分かった分かった。無言でやるな」


 ルーツェの頭がすぐ目の前に来ていて、周囲の水底珊瑚(アクエスコーラル)の蒼い輝きにも埋もれない澄んだ水のような青い髪から、女性特有のほのかに甘い匂いがする。

 ついそれを鼻でかごうとして、流石に駄目だろうと彼の理性が本能を押しやるみたいにルーツェの頭を遠ざけた。


「調子はどうだい?」

「わるかねーよ。寝てたしな。……そっちは?」

「絶好調さ」

「そりゃいいな」


 肩を叩きつつ調子を尋ねてくるリット。絶好調、なんてまるで不安がないような言葉を口にする彼が珍しくて、棒読みに近い返事しか返すことが出来なかった。

 調子が狂う。楽器の調律師は本来との差異を感じ取って完璧に戻すと言うのだから末恐ろしい。

 そんな聞きかじった知識に唐突な感嘆を抱き、ラグロスは疲れてもないのにため息を吐いた。


「悪くないだけみたいだね」

「まー、な」


 良いか悪いかの二択なら勿論悪い。吹っ切れたとはいえ、セレンに置いていかれたのは彼の心に大きなしこりを残していた。

 気管の中で何かがつっかえて、呼吸は出来るけれど空気は物足りないような。

 そんなもどかしさが彼の中で燻っていた。


「でも、支障はきたさねーよ」


 壁に立てかけていた大剣を撫でる。今からの戦いは風の踊り子としての本当の新たな一歩だ。

 加えてラグロス自身が己の足で誰にも先導されることなく、むしろ己が先陣を切ろうと大剣を振るい道を切り開こうとしている。

 彼が夢に見ていた──未知に挑みその先をつかみ取る探索者そのものだ。


「そう来なくちゃね」

「当たり前だろ?」


 体は不完全だが、心は満ち足りているどころか今にも叫び出しそうなくらい高揚している。

 だから、絶好調だと宣うリットと同じ気概で大剣を背負い笑い返して見せた。



 *



「開けるよ」


 黒門に手をかけ、リットがちらりと視線を後ろに送る。準備は良いかと少しも揺らがない彼の目が問うていた。


 それに対し、チリーは杖を一回転させ笑い返す。ドーレルが冷静に重苦しく首を縦に振る。

 ルーツェが腰の短剣に手をかけ、静かに門の先を見据える。

 ラグロスが大剣をゆっくりと抜いて、早く開けろと挑発的に顎をしゃくる。


 四者四様の返答を視界の端にとらえ、リットにもようやくこの思い門を開ける覚悟が出来た。


 ──本当はラグロス抜きの四人で攻略しなければならなかった場所だ。

 それが何故かなど大抵の探索者が当然のこととして知っている。何故四人のうち誰も指摘しなかったのかリットは知らない。


 無知か激励か、あるいは自信か蛮勇か、はたまたそれ以外か。

 見た目以上に重く感じる黒門に手を添えたまま思考を巡らせる。


 体に付けている武具がずしりと重みを増したように感じた。

 こんな重みも、貴族の三男坊として暮らしていた頃には欠片も想像できなかったし、こんな経験が出来るとも思っていなかった。


 たとえ道半ばで死に絶えようと──無論その気はないが──この思い出はかけがえのない物になるだろう。

 詩人が語る耳に良い装飾された詩ではなく、汗や泥にまみれた路傍の石のようなありふれた詩。


 欠けたところで誰も気付きもしないピース(ラグロス)の存在。それをリットは残したかった。


 論理的でない行動に出る長男の思考をリットは理解できない。だが、その論理的でないそれには何かしらのエゴが混ざっていて、そのエゴこそが綺麗すぎる物語の歯車を崩し、誰かの娯楽として消費される詩に成りあがるのだ。


 少なくとも、今手をかけている黒門を開けるのはそれに分類されることである。


「──開けるよっ」


 だから、足が竦みそうな己を叱り飛ばすように再び宣言した。


 へばりつく空気を短く吐いた息で吹き飛ばして一気に押し開ける。

 岩肌に擦りつけながら、耳障りな音を立てて黒門が開かれる。

 これよりも前に訪れた探索者によって何度も開けられたはずなのに、鳴るはずもない音。


 彼らに忠告をする誰かの意思にも聞こえた。その先に行くことを勧めない誰かの善意。

 その善意の忠告を振り払い、リットが黒門で仕切られた境界を超えて広間へと足を踏み入れる。


 ここに来るまで散々見かけた水底珊瑚(アクエスコーラル)の中に入り混じる鈍色のつらら石。それらは天井に出来た針山の如く生え並び、入ってきた探索者を威嚇する。


 だが、それも既に探索者たちの意識外へ追いやられている。

 彼らの目を釘付けにするのは鍾乳洞の広間で鎮座する雲塊。


 暗雲を圧縮したような雲がまるで蛇のようにとぐろを巻いて渦を作っている。

 普通に生きていれば雲など間近で目にすることもなく、人間たちの興味を惹く。

 勿論こちらを殺しにかかる迷宮生物でなければの話だ。

 とても楽観視は出来ない家一つを容易に飲み込めるサイズだった暗雲。




 ──それが、ラグロスが以前会敵した迷宮生物(クラウディア)だったはずだ。




「……そういえば、そうだったな」


 ラグロスは無知の人間だった。下層でも似たようなことがあった癖に完全に忘れていた。

 きっと頭の隅では感じていたのかもしれない。けれど、反則染みた存在であるセレンを連れて一度は攻略しているのだ。だから許されると思っていた。


 雷を迸らせていかにも帯電してますと公に晒しているどす黒い暗雲。

 以前が太陽光を遮断する影のような暗雲だとすれば、今はどんな光でさえも覆い隠す闇のような暗雲。黒すぎて綿菓子みたいになっているはずの雲の輪郭すらよく見えない。


 渦を形作っていた暗雲はとぐろを巻く蛇ではなく、五メートル長の巨大な人型へと変貌を遂げていた右手には帯電している雷を集めた戦槌が握られている。

 暗雲巨人。一言で称するならばそれが最も似合う言葉だろう。


 雷槌から迸る電流は近くにあるつらら石を一瞬で黒焦げにしてしまう。

 仮に力が拮抗していても、武器を合わせた瞬間に体ごとバターの如くとかされるのが関の山だろう。

 打ち合うことすら許さない不条理の塊はまさしく神の怒りを表しているようだ。


「なー、俺が来てよかったのか?」


 ラグロスは場の雰囲気を盛り下げないよう、あくまでも冗談交じりに尋ねてみる。

 へらへらとした笑みを作っているつもりだったが、隠しきれぬ恐れが彼の頬を引きつらせていた。


「一応そのつもりだったけど? まさかおめおめ逃げ帰るって言う気かい?」

「怖気づくの、早い」

「さーラグロス! 弾けてきてねー!」

「援護は任せてください」

「──あーそうかい!」


 リットの即答、それに挑発。ルーツェの冷ややかな声に、チリーの軽やかな死刑宣告とドーレルの穏やかな声援。

 こいつらグルだなと確信する。むしろあれを目にして恐らく用意していた台本通りにこちらを唆してくるのには感心すら覚えてしまう。


──馬鹿なのかこいつら?


 だから……だからこそ、彼らの言葉でラグロスは今度こそ吹っ切れた。


「“チャージ”!」


 大剣を担ぎ、全身に力を込めて流動させる。巡り巡る魔力の胎動が()()()のように力を汲みあげる。しぼんだ風船に空気を吹き込む作業。

 それは吹き込めば吹き込むほど破裂の危機を訴えるように体がパンパンになる。


 だが、今は微塵も限界を感じない。魔力を汲み上げ全身に行き渡らせた分だけ力が滾る。

 重さと頑丈さだけが取り柄な彼の得物が、気付かぬうちにミシミシと悲鳴を上げていた。

 その現実に頭が違和感を覚えるよりも早くラグロスの体は前へと飛び出している。


 力加減が効かず地面をへこませ爆砕させる。その音すら置き去りにしたラグロスは巨人の目の前へとたどり着き、正面から大上段の袈裟斬りを浴びせた。


 巨人の息吹を彷彿とさせる暴風が雲の体を撫でるころにはいくつもの破砕音が響き、それを覆い隠す勢いで振り下ろした大剣が地面へ埋没して轟音を立てた。


 巨人の体は一瞬で千切れ、体を吹き飛ばされた粘体生物(スライム)が如くバラバラになった暗雲が地面にへばりつく。

 あまりの衝撃につらら石がいくつも落下してガラスのようにバラバラはじけ飛ぶ。小さな地震がこの場にいる者達の足元を揺らしていた。これを成したのが巨人ではなく一人の人間であると聞かされて信じられるものは少ないだろう。


 まるで時間をかけて出来た浜辺の砂城が、子供の手によって呆気なく崩れる錯覚の光景を幕開けに、踊り子の中層突破をかけた戦いが始まった。





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