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諸刃の剣士は迷宮征きし白翼を追う  作者: 青空
下層:諸刃の剣士は迷宮征きし黒翼を追う
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所詮凡人

 彼が自身を諸刃の剣だと表現し始めたのはその頃からだった。

 彼が自身を諸刃の剣が如く振る舞い始めたのもその頃からだった


 それは贖罪を求める前科持ちのようであり、断罪を求める罪人のようだった。

 当時に仲間になったばかりだったリットとチリーが思わず距離を取るくらい、ラグロスの自己犠牲ぶりは常軌を逸していた。


 あの時彼らが良く獲物にしていたのは変な飛び道具を持たず、突進しか攻撃手段のない城塞牛(フォートレスブル)

 肥大化した筋肉こそ簡単に刃を通さないが、誘導し障害物に突進させ角でも抜けないようにしてやればラグロスが一刀両断も容易である。


 リスクヘッジも完璧な狩り。リットが見つけ出した狩場で三人は安定して稼いでいた。

 それを台無しにするが如く、ラグロスは誘導もせず城塞牛(フォートレスブル)の前に飛び出し真っ向から切り伏せ──鉄塊で叩き潰す。


 それまではあくまで一息で鉄塊を振るえる程度にしか使っていなかった“チャージ”を、帰る頃にはまともに歩けないくらいに酷使して己の体を苛め抜く。その様はルーツェが座っていたボロボロのベンチと大差なかった。


 三人で食事を取ることもなく、帰れば最低限の肉をかじり泥のように眠りにつく。

 ラグロスの変わりようはリットとチリーを大いに悩ませた。彼の負担だけが異様に増す行為は安全を優先するリットの指針に真っ向から反対している。

 けれど、最も安定して稼ぎを得たいのはラグロスなのだ。仕送りの額も変わらないのに何故焦るのかは不明なまま。


 頭を捻る二人の裏、ラグロスは少女の涙を思い出さないよう己を痛め続けていた。少しでも思い出さないよう過剰な“チャージ”が生み出す筋肉の悲鳴に己を委ね、搾りかすになった体力を明日までに取り戻そうと歓談もなく眠りに落ちる日々。


 彼は知っている。己が才のない人間であることを。

 彼は知っている。だからと言って努力を重ね続けられる人間でないことを。

 彼は知っている。残されたのは人より多くやせ我慢を重ねることを。


 無為にすら思える繰り返しで得たのはその辺りの探索者より少し頑丈で、その辺りの探索者より発達した少し筋肉だった。

 そんな体もまともなスキルを得た探索者には敵わない。


 だからと言って嘆くことは許されない。もっと苦しんでいる誰かが居る。そんな誰かを助けたいなどと思い、哀れにも頼りない手を差し出した無責任な己がいた。


 風の踊り子にある他よりも頻繁な定休日はそんなラグロスを無理やり休ませるための方便だったことをあとから入ったルーツェとドーレルは知らない。


 ともかく、当時のラグロスは大いに馬鹿だった。

 勝手に助けようとして勝手に罪を感じて勝手に自分をいじめている。ボロボロになる装備、なまじ頑丈が取り柄なものだから整備を雑にしても問題がなく、とはいえ見てくれは悪いのだからどれだけ周囲に笑われたことか。

 それを馬鹿と言わずしてなんと言うべきか。


 ──だから、その少女さえも呆れて声をかけてしまったのだ。


 拷問にも似た日々を繰り返すこと早十数日。

 その日は無理やり休まされ昼間はベッドに縛り付けらていた。日が沈むころに解放されて、持て余した体力とお金に使い道はなかった。つい前の癖で屋台の串焼き肉を買って、変わり果てたラグロスの様子に屋台のおばちゃんから心配されて、買った分よりも多い串を押し付けられる。

 けれど、増えたそれらを口にすることもなく帰路につく。


『──ぁ』


 そして、終ぞ見慣れてしまった横顔を路地裏に見つけて立ち止まった。

 歩み寄ることも逃げ出すことも出来なかった。無視をすることは見捨てること。あんな今にも折れてしまいそうな枯れ木ごとき少女を見捨てる選択肢はない。

 構うことは責任を取ること。それだけの強さはラグロスは持ち合わせていない。

 矛盾という名の蜘蛛の巣に囚われたラグロスは足を絡めとられ立ち尽くすのみ。


『──こっち』


 何をするにも動くのは容易だ。足をからめとられたなど彼の夢想に過ぎず、想像に過ぎず、幻影に過ぎない。

 だから、いくら枯れ木の細枝に見間違えそうな少女の細腕でも、ラグロスを簡単に引っ張り出せた。


 少女自体に力はなく、引っ張り出せたのは彼の自意識。

 在りもしない蜘蛛の巣から引き上げられたという誤認識。

 ラグロスの耳に届いたか怪しいかすれ声が彼女の非力さを裏付ける。


 大通りから路地裏に引っ張り込まれた──入り込んだラグロスはそのままゴミの散乱する路地裏の地面に崩れるよう座り込んだ。服越しに伝わる何かの食べ残しだとか、中身のない包み紙だとかの不快な感触さえも今の彼が気にすることはない。


 出来たのは無意識下で行われる持っていた食事を差し出す行為。


『…………んむ』


 許可を示す声はない。少女(ルーツェ)は食べていいのか分からず青年(ラグロス)の態度を訝しみ、漂うタレの匂いに押し負け許諾もなく肉を口にした。

 零れ出る肉汁に頬を緩ませる。頬が緩んでいるとなんとか認識できるだけの肉量が彼女に戻っていた。


 以前だって頬を緩ませていたのは変わりない。

 だが、か弱い存在であることを隠すフードとそこから覗く横顔だけではラグロスには伝わらない。

 それに緩ませる肉すらなかったのだ。


 でも今は違う。腰から砕けるように崩れ落ち、ルーツェと同じ高さになった視界はほんのりとけれど確実に浮かべた笑みを収めている。


『────!』


 笑っている。枯れ木が自らの落ち葉で冬を乗り切り、春の訪れを喜ぶように。

 ようやく見つけた陽光の熱を全身で受けるように。


 痩せこけた頬の筋肉が作る笑みは何とも不気味で、でもそこに込められた感情は揺ぎ無い。

 少女は一本目の肉串を食べ終え、乱雑に串を放るとラグロスの顔を見つめた。


『────う』


 口は確かに動いた。けれど、声は聞こえない。長らく声を発することすらなかったせいで、喉を震わせることすら不慣れになっていた。

 けれど、読唇術などなくとも今彼女が伝えたい言葉はラグロスにしかと届いた。


 ──ありがとう。


 ルーツェは形にならずともお礼の言葉を発していた。しかし、ラグロスは微塵も反応を示さない。伝わっていないのかと、ルーツェが目をきょろきょろとさせ思考を巡らせる。

 結果、形にならなかったそれを他の手段で伝えようと今度はラグロスの眼前で微笑んで見せる。

 それも結局は引きつった笑みで下手をすれば逆効果になりかねなかったが。


『……はは』


 それでも、絡みついたままの糸を燃やすには十分な熱量だった。

 むしろ熱すぎたくらいでラグロスも引きつった笑みを浮かべる。なんてバッドコミュニケーションなのだろうか。


 自分はきちんと笑っているつもりだと思っているルーツェが、自分と似たような引きつった笑みを見てあたふたとしだす。愛想笑いをさせてしまったと思い込んだ彼女が慌てたのだ。

 けれど、彼女の持ち合わせで何か出来ることもなく、考えた末に貰った串を一本握らせることが精一杯。貰ったものを返したところで何かが変わるのかと聞かれると二人とも答えに窮するだろう。


『ありがとな』


 でも、それが少女なりに考えた結果なのも分かっていて、ラグロスも素直に笑って受け取る。

 それだけで少女はまた花のように笑うのだ。声はなく、喉奥から空気の流れがひゅっと吹くだけの惨めにすら思える脆弱な笑み。

 そんな笑みを見てしまえば、ラグロスにはもう無視できなかった。

 蜘蛛の巣から逃れられても木精(アルラウネ)にはあまりにも容易く捕まってしまった。


 きっと、ファーストコンタクトからすでに手中に収まったと言われても過言じゃないと思えるぐらいに、ラグロスは少女を無視できなかった。根本の原因がラグロスの人となりだとしても、それが彼の生きざまだと言い切れる。


 だから彼は決意した。

 手を伸ばせる範囲なら出来る限り手を伸ばしていこうと。自己犠牲だと笑われようと、自己満足だと笑われようと構わない。それで救われる誰かが居るのなら──きっと間違いじゃないのと、教えられたのだから。



 *



「覚えてるよ」


 一瞬にして長旅の記憶を逡巡させ、深い記憶の海底から帰ってきたラグロスが深く頷く。

 今なら感慨深い場所だと一言で締めくくれる出来事に過ぎないけれど、彼が自分自身を戒めるには十分な教訓だった。


 ああそうだとも。

 彼は知っている。自分が所詮は一介の剣士に過ぎないことを。

 だから慌てたところで彼ではセレンを助けることなど出来ない。

 たまたま人よりも一歩先の技術を教えてもらっただけで、条件さえ並べば変わらず彼はその辺りの探索者に劣るのだ。ほんの少し先んじているだけで、一日の長とはまさにこのことだった。


「だからわたしはあなたを見捨てない。わたしの命はあなたのもの」

「大げさだろ」


 今なら彼女が芋菓子を食べて泣いていた理由も分かっている。

 彼女もまた自分の生活を切り詰めながら仕送りをする似た者同士で、彼と違うのは故郷の人達よりもいいものを食べてしまっているなんて罪悪感に押し潰れそうになっていたこと。

 そんなことを考える余裕はラグロスになかった。思うことすらなかった。

 だからこそ、彼は自分が凡人だと思い込んでいる。特段優しい人でもなく、そういった考えが及ぶ人間でもない。意識的に、偽善者として振る舞おうとしているからこそ周囲よりいい人という認識を得ているだけ。


 ルーツェの信頼は重い。

 お金という形にすることが出来ない分、一人でに形を変えてまとわりつくように重しとなってのしかかる。

 毛布を何重にもかけられたみたいな、動けるけれど煩わしい重り。

 けれど、それに包まれること自体は悪い気分でもなくて、下手に信頼を寄せられる分つい自分に酔ってしまいそうになる。


 なんて毒なのだろうか。

 自分はそれに応えられるほど偉い人間でもないのに、過剰にも思える言葉がむしろ重苦しい。

 でも言葉をくれること自体は嬉しくて、二律背反に思える自分の在り方に虫唾が走る。


 袖を引いていたルーツェの手はいつのまにかラグロスの手へと移動していた。

 重厚な大剣を振り回す手ではルーツェの手は余ってしまうので、代わりに親指を除く四本指をぎゅっと包み込んでいる。


「わたしは今のラグロスなんて見てられない。勝手に納得してるけど、馬鹿なことしようとしてる。わたしだって──ううん。()()()()だって強くなったのに」


 セレンから大まかな話は聞いていた。

 何故そうしようとしたかは分からないけれど、ラグロスに“チャージ”の本質を教えた時のように踊り子の皆にもいろいろ教えたと言う話を。

 せっかく強くなった自分をひけらかしたかったのに、余計なことを。なんて内心で悪態をついてみるけれど、その話を聞いたときの彼は頬を緩ませっぱなしだった。


 天井が低かったり、一癖も二癖もあるスキルで苦労をしてきたのは皆同じ。

 だから、それが報われたのはやっぱり嬉しかった。凡人だからこそ、やった分ぐらいは報われたっていいじゃないかと我儘みたいに思っている。


「らしいな」

「だから、みんなでいこ」

「……本気か?」

「今のみんなならいける。でも、誰かさんが抜けたから──ちょっと人手が足りなくって」

「そう、だったな」

「勝手に決めて勝手に抜けたのわたしは許してないもん」


 子供みたいに口を尖らせるルーツェ。

 昔見た時よりも後ろで括られた青髪は流麗で、氷が如く光に透き通りそうで、月明りに照らされる横顔は飴細工みたいな触るのを戸惑う美しさがあった。


 そのくせ、ぷくっと膨らませた頬を押してみればぷしゅーと呆気なく空気が抜けるのだから面白いことこの上ない。

 そんな彼女が横にいたからこそ、初心に帰って誰かに助けを求めるのも悪くないと思った。


「……なにするの」

「いや、出来心でな」

「──そ」

「あいつらに……一緒に頼んでくれるか?」


 弱みを見せたくないと、あくまで預けるのは背中だけだと高をくくっていたのに、ラグロスは驚くほどあっさり頭を下げれた。こうやって頭を下げた人を助けられるように気を張っていた自分が懐かしかった。


「そのために引っ張って来たんでしょ」

「……ありがとな」

「勝手にやってることだから」


 素っ気なく返したルーツェの横顔は白いはずの月光を淡い紅色で照らし返していた。


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