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諸刃の剣士は迷宮征きし白翼を追う  作者: 青空
下層:諸刃の剣士は迷宮征きし黒翼を追う
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迷子

 ベッドに腰かけ、呆然と天井を見上げるラグロス。

 彼がセレンを見送ってから一時間程経っていた。


 ただ何かを待つだけの体感時間は長いはずなのに、彼に一時間も過ごした自覚はない。

 頭の中でぐるぐると回り続ける仮想のラグロスは真っ暗闇を彷徨い歩いている。


 ゴール(セレン)を見失い、目指すことにすら不信感を抱いてしまった彼は、袋小路で座り込んでいる。

 それがどれだけ格好のつかない様だとしても、いつもの調子で笑い飛ばすことも出来ない。

 むしろ、積み上げてきた時間の分だけ裏切られた衝撃は大きく、まさしく諸刃の剣さながら付き合った時間の代償を受けていた。


 皮肉極まりない状況にため息を吐く気力すら今の彼にはない。

 そもそも今の彼は肉体的にも満身創痍。何故か体は痛みなく動くが、鉛のように重い。

 けれど、眠気は不思議なくらい感じなかった。セレンを追いかけるべきか追いかけないべきか、少し考えてどちらの選択肢も選べず、何度も迷路の入口へと戻される。


 出口は一つなのか、それとも複数なのかも分からない。

 一度通った(思考)を何度も通り、意味も分からず逆走する。

 複雑怪奇に捻じれた迷宮に正解の道などあるのか分からない。とにかく奥へ進み現れた迷宮生物を力いっぱい叩き切り、最奥の門番も叩ききる。そのくらい単純に済めばいいのに。強さがあれば解決できる問題であれば──


(……その強さもねぇだろ)


 すぐに気付いた結論。

 迷路から出られないなら出られないなりにセレンが向かった先(下層)を進めばいい。

 それをしようと思えないのは、下層を一人で進める力がないと分かっているから。


 だって、それが出来ればセレンと出会うこともなく有象無象の探索者として暮らしていたのだから。

 セレンに出会えたのはラグロスの様々な状況が積み重なった結果だ。

 ただの探索者であったラグロスなら出会うことすら起きず、万一出会えたとしてもセレンの依頼を聞いただろうか。


 もしかすれば、彼女の木偶としてついていく未来があったかもしれない。

 けれど、きっとその未来はもし別れた時にここまでの衝撃をもたらさない。

 むしろ嬉々として元の生活に戻るだろう。


 その選択肢は今のラグロスにだって残されている。

 正しいかはさておき、今から踊り子に戻ろうとすれば、彼らに声をかければ可能に違いない。


(たぶんそれがいい)


 その答えは迷路の正しい出口を目指すものではない。

 泣きじゃくり親からはぐれた子供を救出するための非常口でしかない。

 けれど、セレンが見れば安堵に胸をなでおろし、心置きなく終わりの引き金を引きに行く。


 分かっている。分かっているのだ。

 元の生活に戻り、その生活の先に待ち受けるのが破滅だと知っている。

 束の間の幸せが約束された片道切符の地獄旅行。


(けど、どうしろってんだよっ!!!)


 声もなく、短く鋭い針の如き息遣いと共に拳を壁へ打ち付ける。

 大した補修もされないまま町の端っこで放置されていた家の壁に、力を付けた探索者の拳など耐えきれず、溜まらずひびを作る。


 夜だからと、まだ下でジエルが寝ているからと、頭の中でどこまでも冷たい自分が理性を訴え、このわだかまりを叫ぶことすら許さない。

 肉を切らせて骨を断つ。ラグロスの戦い方の象徴でもあるその言葉の通り、どこまでも我を通してぶった切る。

 その振る舞いにある種の誇りだって持っていた。


 それがどうだ。苦しい癖に周りのことを気にして叫べもしない。

 つまらない迷惑を考えて、行動にすら移せない。

 勿論、それが理性ある人間として模範的であることも彼は理解している。


 だけど、彼が憧れたのはそれを投げうって今の状況に何かしらの答えを出せる人間だ。

 ただ袋小路に行きついて、しぼんだ風船みたいに地べたに這いつくばる今のラグロスではない。


 力なく首が項垂れる。

 板張りの床の木目も暗がりで見えなかったが、雲に隠された月が顔を出し、緩やかに差し込む月光でうっすらと木目が見えた。


(……らしくねぇか)


 空に浮かぶ月がなんとなくセレンのように感じられた。当然そんなものは幻覚で。けれど、こんな自分を彼女には見せたくなくて、このまま蹲っているわけにもいかないと彼の顔を持ち上げるのにも十分だった。


 ぱり、と床板に微かな悲鳴を上げさせラグロスが立ち上がる。

 セレンの部屋を出たラグロスが彼の部屋から装備一式を手に取った。

 金属製の胸当て、膝当て。牛皮を煮詰めた鎧に、駆水蛙(ブルーホッパー)の皮で作ったレギンス。

 どれも節約だと使い古していて、何度も丁寧に補修している愛用の備品。


「ちと待たせたな」


 そして、何よりも迷宮攻略を共にしてきた愛剣──馬鹿なのかと疑うくらい重い迷宮で採れる鉱石を合金にした金属塊の大剣──を軽く撫でて背中に吊るした。


 柄から刃先まであるそれは女性の中では比較的小さいチリーの身長ほどもある。

 体格の大きいラグロスが持っても、背中に吊るしたままでは座るのに邪魔なほど大きいのだ。

 まともな攻撃手段を持たぬラグロスにとって、いくつもの壁を破って来た無骨な剣。

 飾り気もなくただ重いだけのそれに、ラグロスは深い愛着を持っていた。

 己が持つのは自己犠牲に似た怪力だけで、この剣もまた込めた力の分だけ目の前の敵を引き裂くことが出来るだけ。

 器用とはかけ離れ貧乏ながら一芸のみに秀でている。要は自分に似ていると思ったのだ。


「……」


 迷宮に行く準備だけ整えたが、だからなんだと言う話に行きついたラグロスが言葉を詰まらせる。

 元々計画性はない。そのような頭を使う仕事はリットに投げていたし、今だってセレン任せか過去の経験頼りだ。


 今から征くのは地図も道標もない未開の地。

 頼れる物も、者もない。向かう先は真っ暗で完全な手探り。今みたいな月明りさえ落ちてこない。


 部屋を出て、階段を静かに降りて、そっと外への扉を押し開け外に出る。

 垂れ幕みたいにひらひら柔らかそうな月明りが夜のシーフィルに落ちていた。


 夜の街ははみ出し者の世界だった。踊り子に居た時は探索者としてはあぶれていたけど、人間としては出来ていて、夜の街に遊びに行くような奴は居なかった。

 それを寂しく思っていた自分がどこかに居たのは確かに覚えている。


(案外、ろくなやつじゃなかったのかもな)


 改めて考えてみれば、真っ当な人の道から堕ちかけていたのだとラグロスが自覚した。

 それはきっと素敵なことではないのかもしれないが、ラグロスが口角を上げるのにも十分である。


(なんだ、同じじゃねーか)


 それは薄ら笑いだ。海の底みたいな見通せない暗い笑みだ。陰りしかない引きつった笑みだ。

 心は微塵も晴れやかじゃなくて、朝が来れば沈んでしまう月の如く、遠くで小さな丸い光点があるだけ。


 石畳の道を歩く。ぽつぽつと光を灯している街灯に誘われるまま道を往けば、昼間とは別の意味で活気に満ちる夜の大通りが広がっている。

 かちゃかちゃと無遠慮に皿を慣らし、グラスをぶつけ酒におぼれる居酒屋の客。

 道端では扇情的なかっこをした女性が安売りなのではと疑うくらい、道行く人に色気を振りまいている。


 経験があるかないかと聞かれればあると答えられるラグロスだ。

 それに男である。目を惹かれるのも無理はない。


 以前ならば。


 今はそんなものにも一切目をくれず、出口を追い求めて歩き続ける。

 彼の表情は夜闇にふさわしい暗い輝きを放ちながらも、純粋無垢な欲望が広がるこの場に埋もれないくらい、重い決意を秘めた目を正面に向けていた。


 いっそ虚ろなのかと疑うくらい一点を見つめ続ける彼に怖気づいたのか、気味が悪いものを見る目で周囲の人たちは彼を遠巻きに囲み、それとなく避けている。

 まるで腫物を扱うような態度すら気に留めず、ラグロスは歩く。


 下手に触れれば点火してしまいそうな不発弾。

 夜の者たちから言わせればそんな雰囲気を纏った彼は誰にも邪魔されることなく大通りを我が道顔で歩く。


 夜の冷え込み始めた空気は酒におぼれ正気を失った人の目を覚ますのには向いているが、正気で狂気に満ちている誰かを止めるには不相応だ。


 いつだって、人を止められるのは物ではなく人で。

 それを証明せんと誰かがラグロスの前に立ちふさがった。


 どん、とお互いに避ける気のない二人は呆気なくぶつかり、互いに仰け反った。

 強い意志を持って彼の前方に失った誰かは体格に負けてぐらりと揺れるも、しっかりと虚空を見つめる彼の瞳を覗き込み、仁王立ちをする。


「何、してるの?」

「……ルーツェ、か」


 かくり、と傾けられる細首。それに伴って青髪が揺れて流麗な線を宵闇に晒した。

 風が吹く中、青いリボンを宙に放りなげたような儚い美しさが彼の口を開かせる。


「うん、こんばんは」

「ちょっと──急いでるから、話があるなら今度に──」

「ぃーやっ」


 どうしてとか、なぜともなく否定の二文字が彼に付きつけられる。

 彼女にしては珍しく、小さく口を尖らせさも不満ですと言わんばかりに感情をあらわにする。平坦なことが多い抑揚も、たった二文字で乱降下していた。


「急いでんだ」

「一人で迷宮に行かないといけないくらい?」

「──ああ」


 無謀であることは理解していた。

 だが、それ以外に策はなかった。今更誰かのパーティーにただ乗りすることも出来やしない。相乗りの馬車とは違うのだ。仮にあっても下層にまでたどり着く連中なのだからどこも定員一杯に違いない。


「わたしはついていけない?」

「下層だぞ」

「──それは、無理だね」


 ゆっくり咀嚼するようにルーツェは言って、はにかむ。

 清々しいくらいに微笑む彼女の姿は諦観を感じさせない。むしろ、だからなんだと問い返されてるようだ。


「セレンさんは?」

「……」


 答えに窮する。正直に話すわけにもいかないし何から話すにしても時間がかかる。

 むうと唸る彼に追い打ちをかける。


「セレンさん追っかけて下層?」

「だとしたら?」


 聞き返したところで何も変わらないのにラグロスは尋ね返す。

 きっと彼が成すことは変わらないが、目の前の仲間がどのような行動に出るかは少し気になったからだ。


「許さない、全わたしを持ってラグロスを止める──わたしをわたしたらしめたあなたをむざむざ死なせなんてしない代わりに貴方を罵倒することもしない──だからそんな無意味で生産的でもない行動をするまえにわたしの言うことを聞いて、あなたはわたしよりもきっと良い人だもの報われないなんてわたしが、絶対ゆるさない」


 彼女の稀な長文。一度も読点を残さない一息。氷のような硬く美しい気迫に打ちのめされたラグロスが固まり、にんまりと笑ったルーツェはそんな彼の袖を強く引っ張った。

 その力はラグロスに比べればか弱く、赤子の手をひねるに等しく振りほどくのは容易だ。


「着いてきて」


 けれど、そういったきり背を向けた彼女から離れようにも離れられない。

 それどころか、周囲では彼の目を引きかねないくらい色気が散らばっているのに、彼女のうなじから目を離せなかった。

 単純な答えである──少なくともこの一瞬に置いて、ラグロスは目の前の少女に見惚れていたのだ。

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