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諸刃の剣士は迷宮征きし白翼を追う  作者: 青空
休養:剣士は黒翼を知る
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黒翼は去る

 ラグロスがさらに一歩踏み込む。

 言葉はなかった。けれど、悲しそうに細められた目と硬く張られた表情筋が何よりも雄弁に語っている。

 無言の圧力に押され、もう下がれもしないのに、セレンが体を壁に押し付ける。


「……」

「なぁ、なんか言えよ」


 問いかける。否定してほしいという気持ちがにじみ出た切実な声だった。

 だけど、目の前の少女は何も口にしない。ある種の肯定でもあった。

 彼が認めなくない事実の肯定。


「……なぁ」

「──」


 セレンが俯き、フードの奥に顔を隠す。

 忌々し気に、舌打ち一つ。ラグロスがフードを取り払い、彼女の顔を室内の明かりに晒した。

 光を受けて輝く艶やかな白髪は綺麗で、だからこそこれが堕天使なんて名前の付いた者の髪とも思えない。

 指を通しても一切の抵抗を与えないであろうそれを揺らし、セレンが気まずげに顔を持ち上げた。


 力のない瞳からは諦観が色濃く見える。

 彼女の金眼に映るのは、今までにないくらいやつれた顔をしたラグロス自身だ。

 問い詰めたい彼が語気を強く荒げることはない。


(なんで──そんな顔するんだよ)


 出会った頃のような毅然な態度を取ってくれれば、いっそラグロスも諦めただろう。

 ──けれど。

 セレンの瞳は微細ながらも震え続けている。長く伸びたまつ毛が美麗さを押し上げる。

 迷い、困惑、緊張──そして恐怖。


 混ざりに混ざった感情を宿す瞳がラグロスから語気を奪う。


「……事情、あるんだろ。教えてくれよ──相棒、なんだろう?」

「……」


 セレンの肩に手を置く。なるべく怖がらせないように努めて、今まで積み上げて来た──そう思っていた──信頼を乗せて尋ねる。

 すると、彼女が困惑の色を濃くしてラグロスの顔を覗き込んだ。


「それを知って、貴方はどうするの?」

「……さぁ? 聞いてから考えるさ」


 いつもと同じ振る舞いを意識する。

 体は重いし、本調子からは程遠い。こうやって話すために口を開くことさえ辛かった。


「……そ。とりあえず、上に行きましょう。貴方、酷い顔してるわよ」

「……おう」


 僅かながらも表情を緩ませたセレンがラグロスの頬を軽く撫で、階段を上っていく。


(ほんと、──なんだよ)


 触られた頬に手を当てる。

 温かい。始めに思い浮かんだ感想がそれだった。


 それに酷く安心させられた自分が嫌になる。

 分かっているのだ。今の彼女の反応からして、悪魔ではなく天使だった男から告げられた内容は正しい。


 全て正しいのかはともかく、このままラグロスが彼女と共にする理由が消える可能性は大いにある。

 きっと、セレンもそれを分かっている。


 なのに、なのに、……なのに。


「……行くか」


 言葉に出来ない感情を抱えたまま、ラグロスもセレンの後を追った。

 登り切ると、開け放たれた扉が視界に映る。セレンの部屋だ。


 言葉なくとも入れと言われている。

 大人しく従い部屋に入ると、セレンはベッドに腰かけていた。


 彼の姿を見つけ、セレンが手招きしてくる。

 隣に座れということだろうか。流石のラグロスも、女性のベッドに腰かけるのは思うところがあった。

 どうせなら自分の部屋にしてくれれば。

 そんな思いを抱きつつ、遠慮がちに浅く腰かける。


「何聞かせてくれるんだ?」

「……逆に、何が聞きたいの?」

「そんなの山ほどあるさ。全部聞かせて欲しいくらいだな」


 肩を竦めて応える。

 ここに来た理由。天使を偽った理由。追われる理由。迷宮の奥に行く理由。堕ちた──理由。

 軽く考えるだけでいくつも思い浮かべられる。


「ふふ……そうでしょうね」

「──選べ、って話ならアンタがここで何をしようとしているかだ」


 そこによって、ラグロスが今後どうするかが変わる。

 少なくとも、あの男が語った話と同じなら無視は出来ないのは確実だ。

 話のスケールのせいで、理解は未だ追い付いていないが。


「何を、ね」

「海神の涙? だっけか」

「そこまで知ってるのね。……どこで聞いたの?」

「多分、アンタが思ってる理由じゃねぇよ。あの二人は多分関係ねぇ」


 証明こそできないが、黒騎士達とあの天使との繋がりはないように思えた。

 セレンもその線を疑っていたらしく、話が違うことに目を見開いた。


「俺らが出会った時、アンタ、追われてただろう? ソイツからだ。聞きたくて聞いたわけでもないけどな」

「……確かに、それならいくらでも聞けるものね。じゃあ、私が海神の涙を手に入れた後も知ってるの?」

「意味わかんねぇけど、な。大悪魔とシーフィル滅亡? どこのおとぎ話だよ──いや、現実か」


 鼻で笑いながら、おとぎ話の存在が目の前にいることに気付き、苦笑する。

 シーフィルの単語を耳にしたセレンがびくりと肩を跳ねさせる。

 彼女の反応からもきっと事実なのだろうと、どうしようもなく思い知らされた。


「で、ほんとなのか?」

「……そうね」

「ふーん──そいつは、アンタがやりたいことなのか?」

「いいえ」


 力なく、けれど確かに首を横に振る。

 即答だ。弱弱しい言葉でも、意志は感じられる。


「……わっかんねぇなぁ」

「黙っていたことは、謝るわ。ごめ──」

「要らねぇよ」


 セレンの声を遮る。

 彼女に彼女なりの事情があったのは百も承知なのだ。

 別に初めから自分たちは対等ではなかった。当たり前だ。セレンの方が力量は上で、ラグロスに勝ち目はない。

 少なくとも当時は。


「どーっすっかなぁ……」

「……少し聞きたいのだけれど」

「ん? なんだ?」

「どうして出歩けているの?」

「あー……。そういやそうか」


 当然の疑問だった。当たり前のように、帰って来たが困惑するのも無理はない。

 今更ながらに気付いた事実に、苦笑する。

 いつの間にか渦巻いていた黒い感情はかなり薄れて、もとの白を取り戻している。


「ま、なんでかは俺も知らねぇ。多分そうかなって理由があるぐらいだ」

「……どういうこと?」

「怪しい薬でも飲まされたってとこだな。……ローグさんになんて言えばいいんだか」


 まさしく薬を飲んでいる。

 しかも何の安全も保障されていなければ、副作用もあるか分かったものではない。


(あれ、やばくねぇか?)


 ふつふつと湧いてきた不安に、とりあえず蓋をして忘れることにする。


「それ、大丈夫なの?」

「いやー……あんまりかな」

「……ふふふっ。なにそれ」

「……っ」


 不安そうな表情を隠しもせず、首を横に振る。

 セレンが破願する。久しぶりに彼女が笑った顔を見た気がした。えくぼが魅力的で、いっそ暴力的で、逃れるためにそっと視線を逸らす。

 そして、忘れていたことを思い出した。


(俺には、無理だ……止められねぇ)


 どういう事情が有れ、彼女が本気でシーフィルを滅ぼそうとしているのなら、ラグロスは止めに回るだろう。

 どうあがこうと、大人しく見ているわけにはいかない。

 だけど、もうラグロスは彼の想像以上にセレンに入れ込んでいる。惚れ込んでいる。


「──私は」

「……?」


 不意に、セレンが口を開いた。柔らかな声だった。

 静かな部屋に、時計の秒針を刻む音が良く響く。どちらも不思議と心地よかった。


「無能な私が嫌いだった」

「……無能?」

「人間基準なら違うでしょうけど、私は間違いなく天使の中で落ちこぼれだった」

「へぇ」

「愚かながらに力を欲した私は、甘い誘惑に身を委ねて、流れるまま悪魔に堕ちた」

「……」


 首を縦に振ることも、相槌を打つこともラグロスはしなかった。

 あまりにも、共感出来すぎた。きっと、彼だけでなく踊り子の皆が共感できると思えた。


 甘い誘惑。それがどんなものかは分からないが、ラグロスがセレンと出会わなければ、辿っていた一つの未来だったに違いない。

 ローグが言っていた薬。それは探索者界隈にも存在する。非合法で、勿論取り締まられている代物。

 体を破壊する代わりに力をもたらすようなものだ。だからこそラグロスは早とちりのままに怒られた。


 勿論、当時に手を出そうという発想はなかった。

 だが、ゼロでもない。下層の門番が倒せなかった頃、一度くらいなら大丈夫かもしれないと頭によぎっていた。


 経験があり、力に嘆いた過去がある。

 同情するにも共感するにも十分だ。


「その誘惑に惑わされて繋がれた鎖。私のそれは今でも切れていないの」

「……それがなけりゃ、アンタは自由なのか?」

「……なったとしても、どうでしょうね。今更天使に戻ることも出来ないから。悪魔に堕ちたとっていも、板挟みみたいなものだもの。元敵を信用するわけがないでしょう?」

「そりゃそうだ」


 流されるまま、本当に流されるままセレンはここに来た。

 けれど、それに原因があるなら話は早そうだ。


「その鎖、切れないのか?」

「切るためにも、なんにしても、私は海神の涙が必要なの」

「……そうか」


 素直には頷けなかった。手伝うとも言い出せない。

 ラグロスにだって生活がある。仲間も居れば恩人も居る。みすみすシーフィルを見捨てること出来ないし、だからと言って、セレンの道を邪魔できるほど偽善者には成り切れない。

 同じく犯罪者に身をやつしかねなかったが故だ。


「……」

「……」


 沈黙が続く。

 なんて声をかけるべきかラグロスには思いつかない。

 優柔不断のつもりはなかったが、こればかりは決断が出来なかった。

 どうにもできない悔しさのまま、ベッドのシーツを握った。


「……ふふ」

「……?」


 セレンが薄く笑う。秒針の音がいつの間にか遠く聞こえた。

 思わず肩から力が抜けて、手からシーツが零れた。彼女の意図が理解できず、首を傾げつつ顔を覗き込む。


「行くわ──さよなら」

「──え?」


 セレンが颯爽と部屋を出ていった。

 歩いているだけなのに、目にも留まらないくらい機敏に見えた。


 あまりにも穏やかな笑みだった。

 あまりにも突然だった。


 どうしようもないくらい綺麗な後ろ姿だった。

 どうしようもないくらい声が出なかった。


 ただただ、見送るしか出来なかった。

これにて四章休養編終了となります。

詳しい後書き、次章の予定は当日中か六日に活動報告へ記載しますのでそちらをご確認ください。

次章の大まかな予定も場合によって変わるので活動報告に目を通していただけると助かります。

最長で12月末になる予定です。

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