足跡
「アルラウネ討伐を祝して──乾杯!」
「「乾杯っ!」」
リットの号令に応えた重なる声。
宿屋、潮の風見鶏。
踊り子たち五人が囲むテーブルには色とりどりの料理が並べられている。
主に並んでいるのは肉料理。
海が近い故に海鮮が多くなりがちなシーフィルで、新鮮な肉料理──特に平原が少ない故に遠くから取り寄せる羊肉は珍しい。
普段の彼らが口にすることのない豪勢な食事だ。
また、貴重な牛乳も使ったバターで作るムニエルも彼らの鼻を無意識に突き動かす。
最後にここまでの料理が並んだのは、彼らが下層を突破した時以来だ。
アルラウネ討伐の功もあるが、彼らが本当に祝っているのは自分たちの成長だった。
魔導具。煙幕。催涙。毒。
他の探索者よりも遥かに地味で、絵面だけ見ればあまり華やかでない品々。
風の踊り子は今まで地味な小手先でなんとか凌いできた。
そんな彼らが真っ向から戦って勝つことが出来た。
本当に祝しているのはその事実である。
(……随分と派手にやるのね)
セレンも同じテーブルを囲んではいる。
けれど、あくまで臨時で、本来のメンバーではない。
だから、どこか遠く離れた場所で見ている気分だった。
いつも大きく表情を崩さないリットが破願して、チリーと楽しそうに喋っている。
それを微笑ましそうに見ながら、ドーレルがワインをちびちびと飲んでいた。微笑みに何処か重みというべきか、積み重ねられたものが見られるのは子持ち故か。
「どうかした?」
同じ場所には居ても、同じ場所に居ないと気付いたルーツェが、セレンに声をかける。
彼女の手には骨付き肉が握られていた。そして、元の席にはいくつもの骨が残された皿。しかし、まだ数分しか経っていない。
意外な一面にセレンは噴き出しそうになるのをこらえつつ、首を横に振る。
「いえ、何も。──楽しそうね」
「……ずっと、ずぅっと。悩んでたから」
「でしょうね」
噛みしめるようにルーツェが言う。
それはよく分かった。
ラグロスにも魔力とスキルについては教えたが、彼は元からある武器を研ぎ澄ますことを重視していた。
その結果が、あの重厚な武器と鍛え上げられた肉体なのだろう。
しかし、他の踊り子の面々は唯一の武器に限界を感じていた。
──感じて居ながらも創意工夫を試みていた。
だから、一日二日でああやって応用出来たのだろう。
口には出さないが、リットやドーレルがすぐさま形にしてきたのはセレンも驚いていたのだ。
「それにね」
手に持っていた骨付き肉を平らげ、ルーツェが手をぺろりと舐める。行儀はともかく、満足気に頬を緩めている様は可愛らしい。
「──置いてかれるのって、嫌でしょ」
「……それは、同感ね」
誰に。
口にはしなかったが、言葉にせずとも共通認識は確かにあった。
セレンだってその気持ちは分かる。
同時に羨ましくて、彼らを尊敬した。
彼らは逃げなかったのだ。
才能だとか、運だとか、理由を作らずに。
セレンというきっかけだけを見れば運かもしれない。
だけど、それをものにしたのは彼らの努力だから。
「ぐだぐだやってきたけど、やっぱり仲間だもん」
「……そうみたいね」
圧倒的に格下なのに、セレンは目の前の少女に劣等感を抱いていた。
腐らずに努力し続ける。
その難しさは誰もが知っている。
セレンだって、よく知っている。
「勿論、セレンさんもね」
「……?」
何が、とセレンは首を傾げた。
分かっていない彼女を見て、ルーツェはくすくすと笑う。
不思議そうに小首をかしげるその仕草。あまりにも自然で、チリーが好感を抱くのも分かった気がした。
(ずるいなぁ。勝ち目、ないもん)
造形物のような作られたとすら思える美しさ。
ルーツェだってそれなりに気を使ってはいるけれど、探索者という職業柄、ケアにも限界がある。
でも、ルーツェがラグロスとまだつながりを持てているのも、セレンのおかげで。
それに、悪い人じゃない。どうして憎めるだろうか。
「仲間ってこと」
「……私が?」
「違うの?」
「……そ、そう?」
ルーツェは悪戯っぽく、ちょっと上目遣いに尋ねてみる。
不思議なくらいセレンがたじろぐので、作った表情が崩れて笑ってしまった。
「へへ……そうだよ」
「……そう、なの」
そうやってセレンをいじめていると、ルーツェには見慣れた顔が宿にやってきた。
「ルーツェ? 昼間からどうしたの」
「あ、ジェシカ」
ルーツェの友人である女性探索者──ジェシカだ。
探索者以前は伸ばしていたらしい茶色の長髪。
邪魔だからとざっくり切り、ショートボブにしている。
彼女は踊り子の面々を見回し、困惑気に尋ねて来た。
「いいことあったから、お祝い」
「いいこと……ラグロス、は違うから……もしかして中層?」
「違うけど、似てるかも」
「……?」
明瞭の得ない答えにジェシカは目を細め、瞳を揺らす。
「多分、神の悪意だった」
「……なるほどね」
アルラウネが落とした大魔石はまさしく神の悪意に並ぶものだった。
組合はそうとは言わなかったものの、箔が付いたのは間違いないし、次の中層攻略に向けた資金にもなった。
「踊り子の人たちがこんな風に笑ってるの、随分見てなかったから新鮮よ」
「そうだった?」
尋ね返しつつ、ルーツェも心内でジェシカに頷いていた。
一日の成果を心の底から喜べるのは本当に久しぶりだった。
「……で。その子は噂の?」
「そうだよ。ラグロスと一緒にいる。──今はちょっとこっちにいるけど」
「ふーん?」
ジェシカがしげしげとセレンを眺める。
噂、と言われたのもあってセレンが体を固くして身構える。
話を聞くにラグロスやルーツェと仲の良い者らしいが、見世物を見るような視線は居心地が悪かった。
「あー、ごめんごめんっ。やっぱ色々聞くからさ。──でも、可愛いじゃん!」
「ちょっ、近──」
「あははっ。どうしてフード被ってるの? せっかくかわいい顔してるんだから取った方がいいよ!」
ジェシカがセレンに近づき、フードの奥にひそめた顔を覗き込む。
思ったよりも距離感が近い彼女にセレンはたじたじだ。
だが、やりにくさを感じながらも、嫌とは思わないのも不思議だった。覗き込んできた彼女の顔たちが思ったよりも整っていたからだろうか。
そうやって、見当はずれの疑問を抱く。
それが、純粋な善意から来る言葉だからということにセレンは気付けない。
「んー、でもわざわざ被ってるってことは理由があるんだよね? じゃー仕方ないかぁ」
ふ、と柔らかく微笑みジェシカがセレンから離れる。
不思議な立ち振る舞いだった。
「貴方は、ラグロスの知人?」
「そうだねぇ、私にとっての恩人。色々お世話になったかんじ。……私、これでも探索者になってから半年も経ってないから」
「……そう」
セレンの視線がジェシカの体を彷徨う。
宿屋内だから大した装備も身に着けていない。けれど、新しそうな装備も見当たらず、それでいて手入れもされている艶が見られた。
「ナニでお世話になったか、知りたい?」
「……ジェシカ」
「あっはは、ごめんって。じょーだん。知ってるでしょー?」
「だとしても、言って良いことと悪いことがある」
「……?」
ルーツェに咎められたジェシカがけらけら笑う。
含みを持たせた言い方なのは、セレンにも伝わった。
けれど、それが何の意味を持つのかは分からない。
ルーツェが不満そうにしていることから、あまりいいことではないとだけ肌で感じる。
「私、昔に色んな人にお世話になってー。その人たちへの恩返しは大体終わったの」
「……大体」
「そー。全部じゃなくて、まだ一人だけ残ってる。で、その人が探索者やってるらしいから」
話の流れから察するに、その一人ではラグロスではなさそうで。
まだ出会っていない誰からしかった。
「人探しみたいなもの?」
「そゆことー」
うんうんと頷くジェシカ。
淡白な説明だったが、それを語る彼女の顔はどこか決意に満ちていた。
彼女という存在を形作る核になっているのかもしれない。そうセレンは感じた。
そして、それは天使である彼女には理解できない代物でもある。
ましてや短命の生き物がまるで縛られるように生きているのには納得できなかった。
「ふふーん。その顔は納得できてなさそうだね。あんまり友達とかいなかったタイプ?」
「……ジェシカ」
言葉を選べとルーツェが目で語る。
しかし、ジェシカは視線に対して、ばっちり決めたウインクで応えるだけだった。
「そうね。そういう……場所だったから」
「環境は違うしねー。私は人に頼らないと生きていけなかったからさ、一人で生きてけるなら関係ないかもよ」
「……最近、一人だけだと厳しくなって来たから。考え直しているところよ」
「……そりゃ、迷宮ですもん。キツイキツイって」
ジェシカがひらひらと手を振る。
あんな場所、一人なら並の探索者は囲まれ、何匹か刺し違えて殺されるのが精一杯だ。
一芸に秀でているなら多少。と言ったところだろう。
「……ええ。だからこそ、背中を預ける人は知っておきたい」
「……ほほー? なーるほどぉ」
ジェシカがにんまりと笑う。
良い肴を見つけた。もしくは良い得物を見つけた。
そう言わんばかりの笑みだった。
ジェシカを良く知るルーツェは、彼女の笑みに呆れて肩を竦めている。
過去、同じ目にあったからこそ。
無論、横で首を傾げるローブ少女が彼をどう思っているにもよるが。
「うん! いいでしょう! 私の知ってることならなんでも教えてあげる!」
ジェシカが立ち上がり、セレンへぴんと指をさした。
こうして、夜通し続いた天使と人間の異種族ガールズトークが始まった。