謎の小瓶
「やあ」
「アンタ達は……」
「いきなりでごめんね?」
「それは別に、いいけど」
突然の面会希望。名前は知らず、容姿のみは知っている二人。
悩んだ末承諾し、訪れたのは謎の全身黒鎧と、白衣の女性。
白衣はともかく、がしゃりがしゃりと金属音を響かせる男の姿はあまりにも不似合いだ。
まるで、死にゆくものを三途へ運ぶ死神のよう。
見知らぬ者達に不安げにしていたラミィの姿はここにない。うるさい彼女がいなければ、この病院は実に静かだった。──静かすぎた。
「あーー……。黒騎士と、氷? であってるっけ?」
「黒騎士?」
女性が小首をかしげる。
後ろで束ねた亜麻色の髪が揺れた。
そういえば、黒騎士の話は女性と老婆に会った変な施設ではしていない。
「名前は隠せ、と言われたのでな」
「ふふふ──そっかぁ」
「……笑うな」
「……?」
黒騎士がどこか拗ねたように言った。兜でよく見えないが、口でも尖らせていそうな不機嫌さが垣間見える。
それに対し、女性が口元を隠して笑う。
まるで子供のような黒騎士の振る舞い。思ったより接しやすい人なのだろうか。
ラグロスには訳が分からなかったが、謎に満ちているよりはよっぽど親近感があった。
おかげで無意識に硬くなっていた体がほぐれている。
「ごめんね、こっちの話」
「……あ、ああ。で、要件は?」
わざわざここへ来るぐらいだ。
それに、向こうはこちらのことを熟知している節がある。
会っても居ないのに名前を知られているのもよく分からなかった。
まず、何故自分のいる病院を突き止められたのかも分からない。
関わりのあるセレンやルーツェを尾行したのだろうか。
尽きぬ疑問に頭を巡らせるも答えは出ず、大人しく尋ねることにした。
「渡したかったものがあってね。最近ようやく手に入ったから渡しに来たの」
「……へまをしでかしていたのは知らなかったがな」
黒騎士の補足。
話からするに、逐一こちらの状況を観察しているというわけでもないようだ。
余計に疑問が増えた気もするが、考えないことにした。
考えたところで無駄だと気付いたからだ。
──黒騎士の嫌味にムカついたからとも言う。
だから、募った苛立ちをふんわりと口にする。
「やりたくてやったんじゃねぇよ」
「大方、まだ魔力を使いこなせていないのに悪魔を頼ったとかだろう?」
「なんで……知ってんだよ」
そこまで綺麗に言い当てられると思わず、ラグロスがたじろぐ。
断言ではなく、推測であることからも実際にその場面を見たわけではない。
つまり、ラグロスが取れる行動と戦力を把握していて、それらを考慮した結果導き出した推論なのだ。
こちらは一切黒騎士たちのことを知らないと言うのに、丸裸にされている。
やり返すどころか完敗だ。内心で白旗を振り回す。
不満げなのを隠さず、つい言い返してしまった。
「セレンちゃんはそんなことをしないから、ってこと」
「……アンタら、何者なんだよほんと」
「あはは……ごめんね、何も言えなくて」
語気を荒げて言えば、申し訳なさそうな返事が氷から返って来る。
そんな態度ではラグロスも強くは言えなかった。
仕方なくそうした。と、彼女の態度と表情が雄弁に語っている。
「本題に入ろう」
黒騎士が切り出し、懐から小さな小瓶を取り出した。
小瓶の中では、紫色の液体が揺れている。瓶全体で見て八割程度を占めていた。
粘性があるのか、中身の液体はあまり揺れていない。
中にスライムを押し込んだような、固形物が這いまわるような微振動だった。
「……そいつは?」
「薬、みたいなものだ」
「怪我しているみたいだし、ちょうど良かったね」
うんうんと頷く氷。
話を聞くに、今のラグロスの怪我を治せるものらしい。
だが──
「……先生が自然治癒しかないって」
「そうだな。だから、これは荒療治だ。そもそも君の怪我を治すものじゃあ、ない」
「……どういう意味だ?」
「瓶、ちょうだい」
「ああ」
二人はラグロスの質問には答えない。
代わりに口を開いた氷が、黒騎士から小瓶を受け取る。
そして、手が自由になった黒騎士がラグロスに近づいてきた。
妙な威圧感を覚えてラグロスが身を固くするが、ベッドから動けない彼に出来ることはない。
「すまないが、動くなよ」
「なっ、何するんだよ!? ──誰かっ!?」
黒騎士が彼の体をホールド。せいぜい浜辺の魚が如く跳ねることしか出来ない体を抑えられては言葉通り無力。
しっかりと固められ、ラグロスは何も出来ない。
せめてもの抵抗にと叫ぶも、反応がない。同じ部屋内にいるはずの誰もが、だ。
「無駄だ。寝てもらっている」
「……は?」
「……すぐ終わるから、じっとしててね」
淡々と告げられた事実を飲み込めず、ラグロスが固まる。
そこへ、彼の半開きの口めがけて氷が小瓶の口を突っ込んだ。
「……んんンンッ!?」
否応なしに飲まされる流体。腐ったような匂いがする。味はとりあえず不味いことだけは分かる。舌触りから思った通りの粘性もあると判明する。
しかし、分かったところですでに液体は口の中。喉もなかなか通らず、息苦しいだけ。
それを無理やり喉奥へ流し込まれ、鼻でしか息できなくなったラグロスが暴れる。
だが、それも黒騎士に抑えられ、動けない。
彼に許されたのは目の前の小瓶を飲むことだけだった。
「──ンン~~~ッ!!」
続いて彼を襲ったのは、体の内から暴れ出す何か。
ただでさえ、筋肉が痛みを訴え続けているのに、内臓が傷ついたようなせりあがる痛みに言葉にならない声が漏れる。
それの正体は彼の中に流し込まされた紫の液体。
異物が入り込んだことに体が拒絶反応を示しているのだ。
「あづッ! うッ──あッ──!」
「……ごめんね──」
小瓶が口から離れ、声を出すことを許された。
遠くで女性の声がした気がする。遥か彼方、遠くで星が煌めくような幻視。
意識はとっくに闇の底に落ちた。
胃の中で体を傷つけられる。
お腹からゴロゴロと怪音が響く。
まるで、誤って毒物を食べたようだ。至るところから汗が吹き出るのを肌で感じる。
体全体が騒ぎ出すことで警告する危険信号。
とにかく異物を吐き出そうとせりあがる嘔吐感。
体の中が焼き尽くされるような痛みに苦しみ、叫ぶ。
「ガアアアアあああぁ!!!」
絶叫。
体が、頭が、脳が、痛みから逃げようと訴える。
喉元までせりあがる何か。
その一切を黒騎士が許さない。
体を抑えられ、口を閉じられ、ただ苦しむことしかラグロスには許されない。
──熱い、痛い、怖い。
──クルシイ、ヤメロ、シヌ。
頭の中に浮かぶ言葉すら纏まらない。
目から火が出るようだ。視界がちかちかと明滅するし、前に何があるのかよく見えない。
体の感覚も遠い。
黒騎士に抑えられているはずなのに、彼の頭では認識できない。
五体満足かどうか自分でも認知できない。四肢同行以前に、鼓動を繰り返す己の体も認知できない。
流れ込んだ異物はまだ終わらない。
血流にでも紛れ込んだのだろうか、彼の体を駆け巡っている。
五体の感覚は遠いのに、異物が体中を駆け巡る感触だけははっきりと分かった。
彼の心臓が鼓動を打つたび、異物も走る。
「──」
それに呼応するようにずきりと痛みが走る。
ほのかに漂っていた腐臭すらも感じられず、明滅する視界はついにホワイトアウト。
黒騎士が何かを言っているようだが、何も聞こえない。舌に残っていた不快な味さえも消えてしまった。
痛覚だけが、彼の世界に唯一残る。
そして、彼を苦しめる。
意識を失っても可笑しくないのに、なぜかぼんやりと、けれど確かに残り続けている。
新手の拷問だと思いたかった。
無論、そう思えるほどの思考はもう彼から消えている。
彼が最後に脳に残した記憶は、焼き付く網膜が暗転した視界と、もう味わうことさえないであろう激痛だった。