踊り子は追い風を受けて
「本当にやるのかい?」
「もー。リットは心配性だなー。さんざん打ち合わせしたじゃんっ!」
セレンを加えた新生風の踊り子。
彼らはセレンの申し出もあって、久しぶりに上層へとやって来た。
目的は、専属サポート員ヤイアから言い渡された神の悪意の討伐だ。
だが、石橋を叩いて渡りたいリットにとって不安しかない案件である。
確かに戦力は伸びているし、打ち合わせもした。
だが、そもそもやる必要のない危険を冒すことが己のモットーに反している。
そのせいで迷宮に入ってからずっと不満げだ。
いつも自分の意見に賛同してくれるチリーさえも反対しているので、リットは肩身が狭い思いをしていた。
「皆新しいスキルを得たわけじゃないけど、似たようなもの。自信をつけるためにもいいでしょ」
「……それも聞いたけどさぁ」
口数の少ないルーツェも饒舌に語る。
彼女はラグロスの背を追いたい。
ここで皆の自信をつけ、一刻も早く中層の突破を目指したかった。
「私も興奮してるのかもしれませんが……そろそろ折れてはどうですかリット君」
「ドーさんもさぁ」
「せっかくの好機を逃したくない。言ったのはリット君ですよね?」
「……う」
こういう危険に挑むときは大抵ラグロスとルーツェが賛成派、リット、チリー、ドーレルが反対派だった。
それがどうだ。反対派が全員寝返っているではないか。
ドーレルに理詰めで言われてしまえばいよいよ立つ瀬がない。
あまり否定し続けても連携のノイズになる。
リーダーとして一番理解してるからこそ、今日の作戦を了解したのだ。
これ以上は我儘になるのも重々理解していた。
「最悪、私一人に任せてくれてもいいわ」
「……そうならないようにはするつもりだよ」
皆の意見をこうまで賛成に傾けた張本人、セレン。
彼女に責任は取ると言われてしまえば猶更言い返せる言葉もない。
口をついてでたのは、不満げでぶっきらぼうな声。
「そこはありがとうでしょ!」
「……チリー、変わった?」
こうまで自分に意見してくる子だっただろうか。
言い方は悪いが、自分の意見には反対してこないような人だったはず。
一昨日、セレンに新たな“クイックバレット”の使い方を教えられてから調子が変わっている。
「変わってないよ。……あー、ごめん。ちょっとは変わったかも。でも必要なことだって、思うんだ」
「そう、なんだ」
真面目な表情。真面目な声色。
あまり見せないチリーの珍しい態度。
何がそこまで彼女を変えたのかリットには見当もつかなかった。
それが自分への心配とあっては猶更である。
「見つけたわ。あれよ──アルラウネ」
「……やっぱり人にしか見えない」
セレンが皆に行き届くよう鋭く、しかし気付かれないように小さく声を出す。
彼女の視線の先に居るのはルーツェの言う通り、人であった。
ただし、上半身のみである。
大きな赤い花の中央から生えるように女性の裸体が伸びている。
剥き出しの肌を守るように蔦が巻き付き、蔦から生える葉が服のようにまとわりついていた。
異常と言えば異常だが、外見こそはまるきり人間だ。
肌が変色していることもなく、腐っていることもなく、生を感じさせる。
目を凝らしても何も変わらない光景にルーツェが眉をひそめていた。
「だからこそ、でしょうね」
「どーゆー意味? みんなあれが迷宮生物だって知っているんじゃ」
「私はあまり気にしないけど、見れくれが人間と変わりないあれを斬れるかどうかの話よ」
「……あ」
チリーの疑問にセレンが即応。
彼女の答えにリットとドーレルも頷いていた。
あれが多くの探索者を殺したと言われても、躊躇なく攻撃できる人間は、今の踊り子に居なかった。
そう、人間は。
「準備は良い? バレたら面倒よ。一気に仕留める」
そう言いながらセレンが指先に淡く白い光を灯す。
ルーンを描く準備だ。迷う余地などなかった。
「待ってくれ、先に済ませたいんだ」
「……了解よ。戦闘中に余裕があるか分からないものね」
リットが飛び出そうとしたセレンの肩を掴む。
振り返りながらこくりと頷くセレンの顔を見て、リットは昨日のことを思い出した。
*
『貴方のスキルは、能力の向上という点でラグロスと似ているけど、似て非なる物よ』
チリーがクイックバレットの新たな運用方法を練習する傍ら、セレンから告げられた信じられない事実。
あんぐりと口を開けたことは今でも覚えている。……最後にここまで口を開けたのは、果物を丸かじりしようとして顎が外れた時以来か。
それを断言できることも驚嘆すべきことだ。
──やはり彼女はスキルについて人一倍、それ以上に詳しい。
ここで成果を得られなければ、もう道はない。
その一心で彼女の言葉に耳を傾けていた。
チリーの件で冗談でないことは分かっている。
常識など捨てるべきだと、その常識が間違っていたと心に留める。
『何が……どう違うんだい?』
『彼の“チャージ”は純粋な肉体強化。貴方の“シルフィード”は、重量軽減──正確には重力軽減なのだけれど、省略するわ』
『重量軽減……』
『大事なのは、肉体の能力は変わっていないこと。貴方がしているのは、対象にかかる重りを取り除いているだけ。決して強化ではないのよ』
認識としては前と大きく変わっていない。
元より、軽量化として運用していたし、そう思い込んでいた。
だが、それがある程度肉体を強化するのか、単純に体が軽くなるのかをリットは──探索者達は理解できていなかった。
鎧を着ている人間が俊敏に動けるのはなんとなくわかる。
けれど、普段から軽装のルーツェがより俊敏に動ける理由は分からないままだった。
だから、そういうものとしか認識していなかった。
覆されていく常識。
きっと急成長したラグロスを見ていなければ、今も魔弾の練習をするチリーを見ていなければ信じられなかった。
だが、リットは誰よりも柔軟な人間だ。
保守的ではあれど、多くの可能性を考慮できる人間だ。
『──……なら、重量で敵わない相手にかければ、正面から吹き飛ばせる?』
『──。貴方、なかなか頭が回るのね』
だからこそ、強化するスキルだと認識していた物を、妨害にも使えると考えた。
セレンが舌を巻く程の、予想外の発想だった。
『あくまで出来るかもって想像だよ。……それに、僕にもチリーみたいに何か案があるんだよね?』
『ええ、でもあなたなら──ヒントだけの方が色々出来そうね』
そう言って、セレンが手をリットへ向けた。
軽くなる体。いともたやすくスキルを再現したことに、彼は目を見開いて驚きを示した。
『──』
『これは体重を軽減する領域を作り出しているだけ。……厳密には無重力空間とも言うのだけど、知らないなら忘れなさい。どうせ、下手に広く作れば魔力が尽きるわ』
忘れろと言われたところで、彼女の言葉の概念さえ、リットの頭に存在しない。
覚えられるはずもなかった。
──代わりに、今覚えられることだけでも覚えよう。
心に決めたリットは己の体を襲う浮遊感に意識を研ぎ澄ませた。
*
「“シルフィード”!」
リットが高らかに唱える。
昨日の経験を糧に彼が生み出した新たな風。
誰かに纏わりつくのではなく、主戦場となる広場に形成される風力場。
低重力空間の生成。
慣れた者には追い風、慣れぬ者には逆風を与える気まぐれな風の精の悪戯。
戦力の底上げ、相手への妨害両方をこなす技。
それが、慎重で徹底的な彼が行きついた結論だった。
「上出来よ」
「まだ始まってもいないよ。褒めてもらうのはその後でよろしく」
誰にでも使える訳ではない。
シルフィードによって変化する体の感覚に成れていなければ、味方さえも妨害してしまう。
けれど、少ない武器と巧みな連携で戦ってきたこのパーティにその心配は不要だった。
「セレンとチリーの砲撃に合わせて突撃! ルーツェ! 先陣は頼んだ!」
「ええ!」
「“クイックバレット”!」
リーダーの号令に応える声。
スキルを唱えることで応えたチリーが魔弾を展開する。
まだ多数の魔弾を待機状態にすることは慣れていない。
けれど、数を減らせば可能な範疇に入る。
しかし、数を減らしてしまえば連鎖爆破の威力も減る。
だから、彼女は彼女の役割に専念する。火力はセレンに任せ、本命を叩きこむための囮になると割り切る。
魔力を自分の体から離れた場所で作用させるのは難しい。
繋がっていないのに、感覚だけは離れた場所にあるような不可思議な状態なのだ。
加えて、迷宮内の魔力は潤沢で濃い。
遠くで魔力を放そうとするほど、自分の魔力を知覚できない。
(セレンちゃんが言ってたあたしの才能。よく分からないけど、役に立つならよし! だよねっ!)
しかし、チリーは日ごろから一発の許容量が小さな魔弾を運用している。
彼女も知らぬうちに魔力に鋭敏な魔術師となっていた。
魔弾の展開に合わせ、セレンもルーンを描いて光の槍を生み出す。
なるべく魔弾に意識が向くように散らして生成。
「撃つわ」
「撃つよっ!!」
「──ルーツェ!」
準備完了の合図。
それを聞き取ったが否や、青髪が流れた。
「“ミラージュ”──“ミラージュ”」
そして、少女は分身。
三人となった少女達が三方へ別れる。
そのさらりとした青髪を追うように、魔弾と光槍も次々に撃ちだされた。
ここまで大々的に動けば当然標的も気付く。
「ラ────ッ!」
蔦の少女が己に迫りくる脅威を認知し、口を開く。
美しく、甲高いのに耳に響かない心地よい声。
ここが迷宮ではなく、少女がただの人間だったなら──彼女の前に人だかりができることは間違いなかった。
だが、ここは迷宮で、少女は幾多の探索者を屠った迷宮生物である。
少女の美声に応え、地面から茨が突き出す。
鞭のようにしなるそれが、魔弾とルーツェを迎撃せんと暴れまわる。
「“アイスエッジ”!」
ルーツェ達の手に現れる氷の刃。
氷刃を構えた彼女たちは茨に臆することなく立ち向かい、避けられない茨を切り捨てていく。
一人で操作しているとは思えないほどに、乱れなく立ち回る。
少女が踊る。
霜が降り、茨も墜ちる。
茨の手数が減れば、当然魔弾と光槍の対処も追い付かなくなる。
「ァ────」
やがて、魔弾で手一杯になったアルラウネの横っ腹へ、一本の光槍が突き刺さった。