寝てなさい
「せんせー、お連れしましたー」
「ありがとうございます。──お久しぶりですねラグロス君」
「あー、どもですローグさん」
ラミィに運ばれた診察室。
バツが悪そうにラグロスが頷く。
仕事上仕方ないのだが、彼がここに来るときはだいたい無茶をしたときだ。
医者であり、ラミィがせんせーと慕うローグも仕事上注意することになる。
つまるところ、悪戯をして窘められるのと変わりなく、ラグロスはここに来るたび罪悪感を感じるようになっていた。
「で、どうしましたか? 今までの中でも一番酷い部類に入ってますよ」
「あー。あはは……ちょっとスキルをかっとばしすぎて……」
「およそ推察出来ているので構いませんが……。ラグロス君」
「……なんすか?」
声を張って名前を呼んできたローグにラグロスもまた椅子に座りなおした。
「いくらスキルを酷使したとはいえ、ここまでになるとも思えません。単なる傷でもないですし……。変なもの、使ってませんよね?」
「…………」
薬だとかの危険なものは使っていないが、変なもの、という点においては事実である。
むしろ、悪魔なんて薬よりもろくなものじゃないだろう。
「ラグロス君?」
「危険な薬とかは使ってない、です」
「……ふむ、そうですか」
訝しげにラグロスを見ながら黙り込むローグ。
いつも彼が張り付けている微笑が消えていくのを見て、ラグロスが頬をひきつらせた。
それはある種のサインなのだ。
(あ、やべ)
青ざめていくラグロスと違い、横に居たラミィが何故かぱあっと顔を輝かせていた。
「何やらかしたか吐け!」
「な、何もしてないですって!」
鬼の形相とまではいかないものの、温厚そうな顔が一転して怒気に染まる。
その落差に恐々としつつ、ラグロスは必死に手を前で振って否定した。
しかし、誰が見ても嘘と分かるボロボロぶりでは何の説得力も持たない。
「んなわけねぇだろ!」
「……う」
この医者あってのあのナースだと、ラグロスは身をもって実感する。
ローグとはここ二年弱程の付き合いだが、もとはチンピラだと言っていた部分がこれらしい。
(なんでその顔と優しい顔が両立できるんだよ……)
内心で嘆くが、嘘を言っているのは自分だ。
仕方がないと大人しく吐くことに決めた。
無論、悪魔のことは隠してだ。
「ちょっとスキルの使い方? みたいなのを変えたんすよ」
「……おう」
聞く姿勢に入ったローグの怒気が和らぎ、背もたれに体重を預けて腕を組んだ。
堂に入ったその動きは様になっている。
「で、ちょっと無茶する方向に舵切った。──感じっすね……」
「──そうかいそうかい」
心内で竦みあがりつつ、ラグロスが話を終える。
かなり詳細を隠しての説明だったが、一応の納得を得たらしい。
ローグが腕を組んだまま顔を俯け、何かを考えこんでいた。
「とりあえず、そいつはちょっとじゃねぇな?」
「……うす」
半ば諦めといった具合で頭を縦に振る。
この後の展開が予想出来てしまったのだ。
「馬鹿かテメェは!!」
「──」
ラグロスの肩がびくりと跳ね上がる。
単純な力量差は圧倒的にラグロスが上なのだが、親に逆らえないのと似た何かが彼を慄かせる。
「い、一応セレンも居るからこその無茶っすから」
「半壊の体の弁明がそれかぁ? 言っておくが、筋肉痛なんて屁でもねぇくらいの重度炎症だ。向こう二十日はぜえぇったいに、迷宮に行かせねぇからな」
「……え?」
想像以上の療養期間にラグロスが口をぽかんと開けた。
今まで、多少無茶しても精々数日続けば長い方だったのだ。
それが数倍に膨れ上がっている。
無論、ラグロスだってかなりの重症であることは承知の上だ。
だが、十日もあればなおるだろうと高をくくっていた。
(やべ、思ったよりセレンに迷惑かけるやつじゃねぇか)
彼女への言い訳に頭を巡らせるも、怒られて委縮している彼の頭に考えが浮かぶことはなかった。
「たりめぇだ。今日までの十日間も寝てたってより、起きれなかった|んだぞ? 筋肉内で枯渇している栄養分やら魔力やらを点滴で補ってようやくだった」
「点滴?」
そんなものはなかったはずだと、ラグロスが患者衣の袖をまくる。
確かにそれらしき跡が残っていた。
「……まじっすか」
「まじだ」
「まじっすかぁ」
否応なしに被害の大きさを知らされ、ラグロスが苦笑する。
むしろ、笑うしか出来なかった。
ただでさえ寝込んでいたのに、ここからさらに長い間動かなければリハビリも必要だ。
(いやー、思ったよりきついなこれ)
フレアの支援こそラグロス好みだったが、諸刃にも程がある。
今までのセレンの魔力操作が、彼の体をかなり気遣ってくれていたことも思い知らされた。
「んなわけで──しばらく寝とけ! 以上! 炎症以外はまぁ正常だからな。絶対安静でマシになる。何か悪化したら言え、氷嚢は出すさ」
「……」
思わず黙りこくってしまったラグロスを無視して、ローグは手をパンと叩く。
しかし、ラグロスは何も口にしない。
「──そういうことで、診察は以上です。ラミィ。ラグロス君を部屋に連れて行ってあげてください」
「りょーかいです!」
ローグの口調が元に戻り、ラミィがラグロスの車椅子を押して診察室を出る。
それでもなお、ラグロスが言葉を発することはなかった。
自分だけならまだしも、仲間にここまで多大な迷惑をかけたのは初めてで。
長期間に渡り迷惑をかけることへの罪悪感が、彼へ重くのしかかっていた。
*
「はーいお二人さーん。診察終わりましたー!」
「あ、おかえり」
「戻ったのね──?」
車椅子上のラグロスをセレンとルーツェが出迎える。
そのままラミィの手で無言のラグロスはベッドに戻された。
その様子を見てセレンは眉をひそめる。
平常でないのは見て取れた。
何かあったのかと、彼女の胸がざわめく。
それが彼に対する心配からか、今後の影響に対する心配か彼女自身も分からない。
「ではではっ。あーしは他の患者さんの様子を見ますので失礼しまーす!」
ピンと敬礼のポーズを取ったラミィがあっという間に病室を出ていく。
ある意味慣れてしまった振る舞いを無視して、セレンはラグロスに近づいた。
「どうだったの?」
「……あー」
ラグロスが視線を彷徨わせ、頬を掻く。
その動きは長い付き合いのルーツェが良く知っている。
嘘や言い訳を考えているときのものだ。
「こーら、正直に言う」
「……?」
大人しく話せと、ルーツェが彼を窘めるように額を小突いた。
横で意味が分からないと首を傾げるセレンへ、ルーツェが説明する。
「ラグロスがこうしてるときは、正直に喋るのを嫌がってる時」
「……なるほど」
「──……セレン怖い」
「貴方が悪いのよ」
セレンが目を冷たくしてラグロスの瞳を覗き込む。
逃げ道を塞がれたラグロスが悩むように口をもごもごとさせた。
いっそ正直に話した方が良いのは彼も分かっている。
だが、事情を話し、時間を惜しむセレンが一人で先へ行くのは嫌だった。
我儘であることは重々承知だが、ここまで来たのだ。置いて行かれるのも癪である。
「──はぁ、別に怒ってるわけじゃないの。正直に話してもらえないと今後に差し支えるのよ」
「分かってるさ」
当然だ。その今後が気になって喋れないのだから。
そう口にしても何も変わらない。だから彼は口をつぐむ。
「ラグロス」
「……ルーツェ」
業を煮やした青髪の少女が口をはさんだ。
ルーツェ自身、セレンのことはよく知らない。
けれど、彼が信頼している人間だ。それだけで十分である。
「どうせ、またつまらないことで悩んでるんでしょ。……踊り子、抜けた時みたいに」
「それは……」
それとは別にちょっとアピールしたい気持ちもある。
あたしの方が彼のことを知っているのだと。
ちょうどいいネタもあった。
流石のラグロスもこれを言われては強く言い返せない。
大した相談をしなかった理由でルーツェとは一度もめたのだから。
「だから、ちゃんと言って」
「……ああ」
ぽつりぽつりとラグロスがローグとの会話の内容を話し始めた。
彼自身思っていたより重症であること、しばらく探索者として活動出来ないこと。
リハビリも含めると、それが長くなること。全てを話した。
セレンも、ルーツェも下手に口を挟まずただ相槌を打ち続けた。
「──ま、そんなところだ」
「……ふぅん」
話を終えたラグロスが、どうだとセレンに目を向ける。
それに応えず、彼女は静かに頷くのみだった。
病室の中でもフードを被っているので、どんな表情を浮かべているか分かり辛い。
せっかく話したのにとラグロスの中で苛立ちが募る。
「……急いでるんだろ? 数日ならよかったけど、十、二十は流石にな──先、行って来いよ」
「ふふ」
だから、ぶっきらぼうにそう言った。
あまりにも不服そうに言うものだから、となりでルーツェが噴き出している。
おかげで空気が弛緩した。
「──何言ってるのよ」
「──?」
その空気を切り裂くように、セレンがきっぱりと言い放つ。
至極当然と言わんばかりの物言いに、ラグロスは目を瞬かせた。
「二人がかりでこの結果。私一人で下層に行ったところで、ろくな結果にならないのが目に見えているわ」
「……そうか?」
ラグロスが訝し気にセレンに尋ね返した。
あれは魔力が使えなかったからだろうと彼の視線が訴えている。
「そうよっ」
「……お、おう」
食い気味な返事だった。
いつも淡々としている彼女が語気を荒げるものだから、思わずラグロスもたじろぐ。
「んんっ。──だから、待つわ。仕方ないもの」
咳ばらいを一つ。のちにセレンが微笑を浮かべた。
嘘は言っていない。一面の事実を並べただけ。
なんて非合理的だろうと内心で思いつつ、一切を押し隠して言い切る。
そうでもしなければ意外と敏い彼が指摘してくるに違いないと分かっていた。
「……いいのかよ」
「良くないわ」
嘘はつかない。
「おい」
「だーかーら、大人しく寝てなさい」
「うんうん」
結局はローグと同じことを言われる。横でルーツェもぶんぶんと首を縦に振っていた。
思いのほか綺麗に纏められ、返す言葉のないラグロス。
(気遣われた。……のか?)
申し訳なさはあった。
だが、それ以上にセレンが自分のことを優先してくれたことに、遅れて嬉しさがこみあげてくる。
体がむず痒い。
「──わーったよ。しっかり休んでさっさと復帰する」
早口に言い切る。
そして、だらしないであろう今の表情を見られまいと、ラグロスが布団を被る。
悪い気はしない。
──なんて嘘だ。
声に出したいくらいには嬉しかった。
その気持ちも布団を握る拳に力を込めるだけで留めた。
視界は暗くなるが、彼の耳がくすくすと笑うルーツェの声を捉えていた。
「ええ、そうしなさい。たまに様子は見に来るわ」
「おう」
「ふふっ、あたしも来るから」
「──ああ、どうせ暇だからいつでも来てくれ」
「ん、そうする」
セレンにはバレなかったが、やはりルーツェには意図が読まれていたらしく、小さく笑っている。
小さい子を見て微笑むような温かい笑みに、ラグロスがむっと睨むが大した圧力にはならなかった。