閑話:頼まれごと
「……重」
ラグロスの体を担ぎ上げたセレンが、どっしりとした重みに顔を歪める。
彼自身の重みもあるが、何より装備が重い。
「……フレア。居るんでしょう?」
「よんだか!?」
ラグロスの体から飛び出す人魂。
ゆらゆらと陽炎の如くゆらめくそれは、セレンの周りをふよふよと飛んでいる。
(不思議ね)
セレンの知る悪魔とは力を蓄え、見てくれも舐められないようにする実力主義に生きる生物。
だが、目の前の悪魔はそれとは違う。水でもかければ消えてしまいそうで、どう見ても弱そうだ。
「聞きたいことがあるの」
「なんでもいいぞ。だめなこともあるけどな!」
「どっちなのよそれ……」
小さく口元で弧を描いたセレンは、ズレ落ちそうなラグロスを背負いなおすと口を開く。
「悪魔が力を渡すなんて何事?」
実力主義であり、個々で生きる悪魔は己の力である魔力をケチる傾向にある。
それもそうだ。肉体を持たず、魔力の少ない生物からの接触を避けれるものの、魔力がなくなれば人間よりも弱いのだから。
だが、この悪魔はラグロスに無理やり魔力を注ぎ込んで見せた。
その荒業にも驚くところは山ほどあるが、アイデンティティに反する行いの方がセレンには奇異に映った。
「んー? ばーさんに言われたからやっただけだぞ」
「ばーさん、ね」
気になると言えば、あの老婆もそうだ。
あのすべてが見慣れない金属で出来た場所。そこにいた老婆と人間らしき者二人。
彼らも謎だらけである。
特に、老婆はセレンの見間違えでなければ同族で、同時に堕ちている。
そんな存在が自分以外にも居たのか、と大層驚いたのは記憶に新しい。
何故老婆が謎の施設内にいるのか、目的は何なのか。
振る舞いを見るに、セレンの目的は見透かされている。
邪魔をする様子もないので優先順位は低い──が、無視も出来ない。
「ムカつくわね」
「ばーさんはいいひとだぞ!」
「悪い人なんていってないわ」
「でも、ムカつくっていったぞ!?」
まるで子供だ。セレンが眉をひそめる。
確か生まれて数十年と言っていたか。数十年もあればもう少しまともでもいいはずだろう。
(……)
ふと、自分はそのくらいの時どんな風だったかと思い返す。
『──お姉ちゃん! 出来たよ!』
『うん、よく出来てるよ。偉いね』
『やった!』
嫌な記憶を振り払うようにセレンがかぶりを振った。
忌々しい。知らないが故に幸せだったこともあった時の話だ。
知ってしまえばどれほど滑稽なことか。
「良い人だからと言って、好きになるとは限らないのよ」
「……んー、むずかしいぞ」
「悪魔に難しい思考なんて似合わないわ」
「うー……」
吐き捨てるように言った彼女の言葉にはどこか侮蔑が込められていた。
だが、純朴なフレアが気付けるはずもなく、彼女の言葉を理解しようと唸りながら宙を彷徨う。
(本当、この悪魔は何のためにラグロスに憑りつかせたのかしら……)
しばらく喋ることはないだろう。セレンも自分の思考にふける。
聞きたいことは聞けなかった。再び老婆が接触してくるかどうかは分からない。
だが、またどこかで会うと直感していた。
「……」
ぐったりとうなだれ、セレンの肩に頭を乗せているラグロスへ視線を向ける。
気絶している割にはどこか満足げな微笑を浮かべているのは少々腹が立った。
(あれだけの魔力を流されて無事なはずがないのだけど……)
明らかに先程のラグロスの運動性能は限界を大きく超えていた。
セレンが彼の魔力をコントロールする際は、その限界ギリギリで保たせることで事故を起こさないようにしている。
それでも数分戦うだけでかなりの筋肉痛に襲われる。
そして、更に時間が経つたびに後遺症は激しくなる。
魔力を肉体に過剰供給し慣れているラグロスでさえこれなのだ。
それを無視して、ありったけを流したのがセレンの隣でふよふよ彷徨っている人魂だ。
興奮していたからか、一度も痛みを訴えていなかったものの、無事であるはずがない。
(早く行かないと……)
無意識に彼の身を案じたセレンは徐々に足を速めた。
まだ多くの探索者がたどり着いていない境地──下層へと。
*
下層に入ってすぐにあった転移装置でシーフィルに戻って来たセレンは、早速病院へと向かってラグロスを預けた。
一度世話になった病院だったのもあり、目深にフードを被っているセレンでも話はすんなり通った。
「またこの人は変なことしてますね!? ねじ込みなら任せてください。先生なんざウチがなんとかしましょう!」
──通ったというよりは、やけにうるさいナースが通したような気もしたが。
ともかく、診察してもらったところ極度の筋肉疲労や断裂が起きているらしい。
想像通りで、聞けば聞く程頷ける話だった。
「そうですね……。十日以上かかると考えてもらった方がいいでしょう。これでちゃんと五体満足な方が不思議なくらいです」
「分かりました」
拙い敬語で答える。
アリエルに教えてもらっていたのが功を奏した。
「それより」
「はい……?」
突如、目の前の医者の雰囲気ががらりと変わった。
「貴方は噂のローブさんでよろしいでしょうか?」
「……」
悪意も敵意も感じられなかったが、静かな圧力は確かにあった。
それに対して、思わずセレンも口を引き結んで身構える。
「……すみません。どうこうしようと言うつもりはないのです」
「はぁ」
曖昧に頷く。
どちらにせよ、大して筋肉もないこの医者にどうこうされる未来はセレンには見えなかった。
理解できないとするならば、非力そうなのに無視できない彼の存在感だった。
「本来、病院なんて客が居ない方が良いことです」
穏やかな笑みを浮かべ、医者はそう言った。
だが、多少は人の営みについているセレンでも分かる。
そうなれば目の前の男は職を失って生きていけないと。
だから、疑念の目を向け彼の真意を問う。
「はは、そんな目になるのも無理はないです。ですけど、軽傷ならともかく、日に日にボロボロになっていく体を見せられるのはこちらとしても思うところがあるのですよ」
「──」
彼が言っているのがラグロスだとセレンもすぐに分かった。
医者とラグロスはそこそこに長い付き合いのようだ。
社会の中で生きているのだ。色々なつながりはあるだろう。
けれど、自分の知らない深いつながりがあったことにセレンが謎の不安を抱いた。
「ですから、それが貴方のせいだというのなら釘くらいはさしておこうと思いまして」
「ぁ──」
否定しようとした。
けれど、言葉にはならなかった。
「気になさらずとも大丈夫です。彼がここまでになって貴方を助けようとしているのでしょう」
お見通しだとくすくすと笑う医者はラグロスの体を軽く撫でると言葉を続けた。
「ならば、それ相応の理由があり、こうして噂になろうとも共に行こうとしている。それだけで十分です」
「そう、ですか」
「ええ。だからこれはお願いなのです」
「お願い?」
「はい」
医者はセレンに微笑む。
こんな穏やかな者の下で働いているナースが何故あの性格なのか、ふと疑問に思った。
「ラグロスさんを、どうか頼みます」
「──」
言葉を失った。
彼女にとって、大して知らない誰かから何かを頼まれるのは初めてのことで。
嬉しさもあれど、迷惑をかけている実感もありどのような気持ちを抱いて良いか分からなくて。
結果、笑っているのか困っているのか分からないもにょもにょとした表情を浮かべるに留まった。
「ふ──うん。貴方なら多分大丈夫だと思います。すみません変なことを頼んでしまって。代わりに彼はしっかりと面倒見ることを約束します」
「わ、分かりました」
セレンのころころと変わる表情を見た医者が微かに笑うと、佇まいを整えそう言った。
次章は予定通り十月下旬、おおよそ二十五日あたりを目途に投稿します。
閑話は二つ書くつもりでしたが、ちょっと間に入れる話が足りなさそうなので、とりあえずこれだけになります。