雰囲気
「さって、どうすっか……」
魔石を抱えたままラグロスが呟いた。
彼自身、体の節々が悲鳴を上げている。魔力的な余力はあれど今はルーツェも居る。
青い顔で壁にもたれかかり、荒い息を吐いている彼女。
特徴的な長い青髪も汗で額に張り付いていた。
ここから帰る余力など残っていなさそうだ。
「何の話?」
「踊り子の仲間をどうするかって話」
「助けるんじゃなかったわけ?」
「……いや、そうしたいのはやまやまだけどよ」
声をかけて来たセレンに、いいのかと暗に問う視線を投げかける。
襲われているルーツェを助けるまではまだ分かる。どうせ障害となる神の悪意だ。
倒して損は少ない。実際、ラグロスはともかくセレンは大して消耗していないのだから。
「今後のことを考えれば貴方の仕事は増えそうだもの、後ろ髪を引かれて失敗されても困るわ」
「……そうかよ」
「ええ」
「ありがとう」
「その分働いてもらえればいいわ」
「へいへい」
髪をかき分け、耳にかけながらセレンが素っ気なく言った。
相変わらず素直じゃないと笑いつつ、頷く。
了承も貰えたところで早速ラグロスがルーツェの元へと歩く。
「よっ、お疲れ」
「──ん。おつかれ……」
弱弱しい声から体力が無いのが伺えた。
普段ならラグロスの前で毅然とした表情を崩すことのない彼女が、取り繕うこともなく疲れ切った顔を晒している。
「疲れてる所わりぃけど、リットたちがどこに行ったか分かるか?」
「……分からない、けど……散り散りにはなっていない、はず」
「……よっぽどだな。先にこれ飲め」
想像以上に息が絶え絶えで、申し訳なさそうにラグロスが鞄から取り出したものを渡す。
手に乗せられているのは指でつまめる大きさの黄色い飴玉だ。
それを見てルーツェが嫌そうな顔を浮かべる。
「しゃーないだろ? じっとしてても危険だから動かなくちゃならねぇ」
「……うん。──んっ」
しばらく迷った挙句差し出された飴玉にルーツェが手を伸ばす。
そして、意を決してそれを飲み込んだ。
「~っ」
「……元気が出るのは間違いなしだ」
彼が差し出した飴玉は薬のようなものだった。
踊り子に居た時は扱うスキルの関係上ラグロスの負担が大きかった。
しかし、それで足手まといを嫌った彼が用意したのがこれである。
薬効のある植物やら迷宮生物の一部だとかを混ぜ込んだそれは、味はともかく疲労回復には効果的だった。
「ちょっとだけ休め、見張りはやっとく」
そう言い残してラグロスは何か考え込んでいるセレンの元へと戻る。
珊瑚喰らいと戦う前は狭かった場所も珊瑚が食べつくされ妙に広い空き地になっていた。その中央で腕を組む彼女は少し気難しそうな表情を浮かべている。
「何かあったか?」
「大きな反応のせいで気付けなかったけど、こっちに来ている反応が三つ。──見覚えのある反応よ」
「それは……」
暗に踊り子のメンバーが来ていると言ったセレン。
探す手間が省け、ラグロスが口元をふっと緩ませた。
「でしょうね。彼らに預けてしまえば私たちが寄り道ををすることもないでしょう」
「だな。……? じゃあ、なんでそんな顔してるんだよ」
しかし、それは良い知らせのはず。何故そんな顔をしているのかと尋ねてみれば、彼女は更に表情を曇らせる。
「それは……」
「それは?」
「……──何でもないわ」
「嘘だろ」
どう考えても何もないことはない沈黙にラグロスが突っ込む。
普段なら無視するつもりだったが、彼なりに少し踏み込もうとしていた。
彼女の重荷を少しは持てないかと。
「嘘はついてないわよ。貴方にとっては何でもないから」
「じゃあ、お前にとっては何でもあると」
「……」
「ふっ」
「笑わないで」
セレンが目を伏せて黙り込む。
分かりやすい反応にラグロスが鼻で笑った。
「嘘、下手くそだな」
「つけないのよ」
「……へぇ?」
興味深い話だった。
恐らく天使には、ということだろう。あくまで推測しか出来ないが、ラグロスの目が好奇に輝く。
「地面を頭にこすりつけたいなら好きにしなさい」
「それは好きにしていい台詞じゃねぇよ」
「当たり前じゃない」
「……そうだな」
別にどうこうするつもりもない。
苦笑と共に頷くに留めた。
そうして談笑していると慌ただしい足音が聞こえ始める。
「来たか」
音の方に顔を向ければ、案の定見知った顔ぶれが焦りを隠さぬままこちらへとやってきていた。
彼ら、もとい踊り子の仲間たちはラグロスの姿を見つけると、目を瞬かせた。
何を聞きたいかある程度察しているラグロスは、ルーツェへ指をさしておくことにする。
「ルーツェ!!」
「ルーツェちゃん!」
「無事だよ。あー、寝てるのか」
「ほんと!? 良かったぁぁ~」
「息もある──本当に良かった……」
リットとチリーが壁にもたれかかる少女を見つけると慌てて駆け寄った。
目を閉じたまま緩やかな呼吸を繰り返す彼女の息を確認すると、二人揃って大きな息を吐いた。
後から来たドーレルも無事を確認し、胸をなでおろしている。
「ラグロス君が助けてくれたのですか?」
「ああ。ちょっと──ごめん嘘ついた。かなりきつかったけど……いてて、」
「……そうですか。ありがとうございます」
深々と頭を下げるドーレル。
ラグロスからは見えないが、彼の目には成長したラグロスに対する僅かな羨望が混じっていた。
家族を養うためにはより深い場所で探索をしないといけない。
かつ、奥に行くことより安全重視の活動をしたがっていた。
だが、ドーレルのスキルでは中層以降のパーティに入ることも出来ず、戦闘を伴う魔石ではなく、主に採取物を集めるようなパーティにも入れなかった。
そうして行きついたはぐれ者たちの集まり。
中でも毎日体を酷使して、ぼろぼろになっていたラグロスに彼は暗い愉悦を覚えていた。
──自分はそうならなくて良かったと。
それが今となっては別人だ。
相変わらず体を酷使していることに変わりなさそうだが、彼の仲間含め三人で神の悪意を倒して見せたのだ。
抱えられるほど大きい魔石がその証明である。
最近ではルーツェも新しいスキルを得て強くなっている。
年齢的にも戦闘力が低いドーレルは取り残されるのを感じていた。
流されて、行きついて。
はぐれ者が集う中でまた──。
「ドーさん、そんな頭下げるほどじゃねぇよ。仲間だろ?」
「──。ええ、そうでしたね。ですけど、それとこれは話が別です。親しき中にも礼儀あり、ですから」
唇が切れそうになるほどの悔しさを嚙み殺し、感情を殺した顔を上げて穏やかに微笑んだ。
「へへっ、ドーさんらしいな。……これからどうするつもりだ?」
「リット君が決めることではありますが……ルーツェさんがあの調子では帰るほかないでしょう。幸いここはそれほど深い場所ではありません。また、ここまで戻るのが大変ですが──仕方ないですね」
「それが妥当かぁ」
こくこくと頷いた後、ラグロスが何かを考えこむ素振りを見せた。
その行動にドーレルが首を傾げると、抱えていた魔石を彼に向けて差し出した。
「はい?」
「持ってきなよ。どうせ俺が持ってても探索の邪魔だしさ」
「……お人好しが過ぎますよラグロス君。それは神の悪意を倒した証明です。私たちが持っていったところで怪しまれるのが関の山なんですから」
「……そうか? ルーツェもかなり活躍してくれたし、貰えない程じゃねぇさ。だから──」
「はぁ──リット君と相談しますから少し待っていてください」
折れる気がなさそうなラグロスの言葉を遮り、ドーレルがルーツェを介抱しているリットとチリーの元へと向かう。
顔を上げた二人に事情を説明すると、彼らも困ったように眉を寄せた。
「貰え、と言ってるのにどうして貰わない訳?」
そこへ横やりを入れたのはセレンだった。
周囲から表情が見えない程フードを深く被った彼女が腕を組み、彼らを見つめている。
「君は……噂の」
「そうだ、と言ったら?」
「──」
リットは地面に屈んでいたため、セレンのフードの中を覗き込める位置に居た。
見通しは悪いが、暗がりでも整って見える容姿に彼はそっと息を呑んだ。
「っ。ラグロス君を強くしたのも君なの?」
「いいえ」
見惚れているリットの服の裾をぐいとひっぱりつつ、チリーが尋ねた。
情けない表情を晒しているリットの所為か、不満げな顔で投げかけたチリーの質問をセレンは静かに首を横に振ることで応える。
「──彼は、元から才能があった。私はその後押しをしただけ」
平坦なようで、後ろ暗い何かが乗せられた声色。無造作に見えて、ローブの下できゅっと握られた拳。
彼女の言葉に乗せられた重みは大きかった。
周りから表情が見え難いにも関わらず、リット達が思わず黙り込んでしまうほどには。
「……関係ない話はいい。私たちはこのまま奥部に向かう。あれは邪魔になるの。持って帰ってくれた方が助かるわ」
「そう、なの?」
「ええ」
それは事実だった。
後衛に荷物を預けるだとか人数が多ければ出来ることは増えるが、ラグロス達は二人。
セレンが荷物を持つなんてことはあるはずもなく、ラグロスが持つには大きすぎて戦闘の邪魔だ。
「持ち帰れない事情があるなら好きにしていいけれど、これを置いていくわけにもいかないから」
「それは……そうでしょうね」
ドーレルが苦笑する。
迷宮内に魔石を放置することは基本的に悪ではない。
しかし、神の悪意が残すような巨大なものとなると話が変わる。
研究者たちの成果で迷宮生物の発生手順はある程度解明されている。
迷宮内に満ちた魔力が狭い範囲に集まると、それが迷宮生物として物体化するというものだ。
神の悪意は、この魔力の濃度が高い状態で迷宮生物に変わった時に生まれる。
そのような原理が働く場所で魔石を放置するとどうなるか。
迷宮内の魔力と魔石の魔力、両方が合わさってより強力な迷宮生物が現れるのだ。
「だから、ね」
「……分かった。──二人とも先に準備しておいて、僕はラグロスと話してくるから」
「了解です」
「うん、わかった!」
二人に断りを入れ、リットはラグロスの元へと歩いて行く。
「……よっ」
「久しぶりだね」
「だな。まぁ、何とかやってるよ」
「──見ればわかるよ。何とかって程度じゃないと思うけどね?」
「これでも色々あったんだぜ?」
気まずい空気が流れる会話だった。
前はもっと気楽に会話をしていたはずなのに、どうにも口が動かない。
「聞きたいんだけど」
「……なんだ?」
「君が魔石をくれるなんてどんな風の吹き回し?」
「──」
瞳を覗き込むように言ったリットの言葉にラグロスが黙り込んだ。
そして、ハッとしたように目を見開いた。
「くれるってならありがたく貰うけど──君は足りない生活が嫌でここに来て、家族にも仕送りをしてた。はずなのに、ね?」
「そう、だったな」
「分配なら分かるよ。君だもの。一人だけ充足するのは意味がないと思ってるからね。でも、あげるってのは話が変わっちゃう。せめて貯めるのが君でしょ?」
シーフィルに来た時の彼の志。
探索者として生きることに必死でも、続けて来た仕送りはその志が途絶えていないことを証明していたはずだった。
だけど、いつの間にか優先順位がひっくり返っている。
お金を稼ぐためにより深くに行くのではなく、より深くに行くためお金を使っている。
最低限は残しているけれど、貯蓄を削っているのは事実だ。
「あの人。どこで会ったの? あれだけ噂になるのに名前一つ聞かないけれど」
「──セレンか、俺も知らないことが多いしなぁ……。でも、いい奴ではある」
話が変わった。
そうラグロスは思っていたが、リットにとってはまだ同じ話らしい。
「そっか。──ちなみに、噂じゃ君が良いように使われてるって話だけど……惚れた弱み?」
「…………」
無言だった。
返答が思いつかなかったのだ。
「確か……儚い系の高嶺の花みたいな人。だっけ? シンプルだけど、好きな人は多いよね」
「……」
今度は返答は出来たが、したくなかった。図星を示す無言だった。
不満げに、口をへの字にしたラグロスがリットをじろりと睨む。
ローブの隙間からリットが垣間見たセレンの容姿は、以前二人が飲み交わしたときにラグロスが語った好みに近かった。
そんな推測に基づく質問はどうやらラグロスに刺さったらしい。
「あははっ、ごめんって。相変わらず分かりやすいなぁ」
「──ほっとけ」
「本当に噂通りだったらどうしようかと思ったけど……そういうわけでもなさそうだし、安心したよ」
にへらと笑って見せるリットに、ラグロスはしっしと追い払うように手を振ってみせた。
「──安心したならさっさと帰れ、ルーツェのこともあるだろ」
「はは、拗ねるなよ」
「拗ねてねぇ」
短い間ながら以前の雰囲気を思い出させる会話に、二人の口元は自然に綻ぶ。
けれど、その会話はラグロスが忘れていたことを思い出させるものだった。