薄氷の上の共闘
ラグロスが振るった大剣こと金属塊が、蕾の横っ腹をぶっ叩いた。
べきょ、と怪音を立てて蕾が体をくの字に曲げる。
声を発しない珊瑚喰らいは悲鳴を上げられない。
しかし、それに付随する触手たちは身をよじらせて暴れていた。
「……効いてる、みたいだな」
手応えこそあったものの、蕾の反応に戸惑っていたラグロスが納得したように頷く。
同時に、手ごたえがあったのに蕾を破壊するには至らなかったことを驚いていた。
彼の一撃は硬く鍛えられた体を持つタイタンですら風穴を開けるないしは砕くほど。
だが、目の前の柔らかそうな蕾を破壊するには至らなかった。
痛みに悶えていた珊瑚喰らいもすぐに態勢を立て直し、触手をラグロスへと差し向ける。再生成も行って数も二倍になったおまけつきである
(増えてるじゃねぇか!?)
さっきまで節制を心掛けているような数だった癖に、いきなり大盤振る舞いである。
二十を超えた触手の数。たまらずラグロスは後ろへと下がり、後方から飛んでくる光の槍と共に迎撃した。
「セレン! きつい!」
「見ればわかるわ」
セレンもセレンで攻撃的になった触手たちに疑問を抱いていた。
加えて、蕾の中で流動している魔力の動きにも。
「あたしも出る」
「……貴方が?」
その思考は横から聞こえた声で中断させられた。
もう少し考えることが出来たながら、蕾が少しずつ花開こうとしていたことに気付けていただろう。
「悪い? 確かに、セレンさんやラグロスぐらい強くはないけど……セレンさんはともかく、飛んできたラグロスはびっくりしたもん」
「……悪いとは言わないけれど、貴方に死なれると私が困るのよ」
「……? そうなんだ。でも、あたしもラグロスに死なれると困る。じゃ──行ってくる」
ラグロスが、であればルーツェも理解できたが、セレンが困る理由は分からない。
思わず小首をかしげるも、今はそんなことをしている暇はない。
曖昧に頷き、ルーツェはラグロスの元へ飛び出していった。
「……血の気が多いわね」
相変わらず意図が読めない珊瑚喰らい。実力が定かでない人物の突撃。
思い通りに行かない状況にため息を吐くセレン。
所詮は少女の蛮勇に過ぎない行動を妨げないよう、生み出す槍の数を増やしていた。
(食事を取る気配もない……。害となる生物に対する防衛本能?)
静かになったことで再び思考の海へと浸かる。
蕾、もとい触手たちが攻撃的になったことで相手の魔力の消費は増えたはずだ。
前線が苦しくなるのも想定されたが、セレンの想像よりも少女は向こう見ずではなかった。
「”ミラージュ”、”アイスエッジ”!」
「──お?」
魔力の分身体を作ってから、それに攻撃の手段を付加。
聞き慣れないルーツェのスキルに眉を持ち上げるラグロスを他所に、襲い来る触手たちを切り刻んでいく。
その踊るような体裁きと、流れるように切り裂く短剣こそ見覚えはあったが、それが分身にも出来るようになったことを彼は知らない。
「あたしも、立ち止まってばかりじゃないよ?」
「そうかよっ!」
からかい交じりの微笑み。
ラグロスに良くみせるが、他の者にはあまり見せないそれの価値をラグロスは知らない。
だが、仲間の成長に喜び、競争心も刺激された。
その感情を大剣に込め、まとめて何本もの触手を薙ぎ払う。
触手は一瞬で補充されて再度彼らを襲うも、同じく一瞬で魔力を体に行き渡らせたラグロスの一撃が蹴散らした。
「俺も置いてかれねぇようにしないとな!」
昂る心のまま叫ぶ。それは彼の体を蝕み始めた”チャージ”の反動を消し飛ばすためでもあった。
単品で運用する場合、長期戦に向いたスキルではない。
セレンが理想とするところまで制御できるようになって初めて長期戦もこなせる程度。
諸刃の剣は確かに鋭さを増したが、依然として己を傷つける性質は変わっていないのだから。
「ほんとに、強くなったんだね……」
周囲の珊瑚を食べつくされ、広間になった戦場。
その中を駆けるルーツェがぽつりと呟く。
かつての彼は自身の役割だけを確実にこなすような人だった。
それは彼のスキルの特性故ではあるが、面倒見の良い彼には不向きだろうとルーツェは感じていた。
適当そうな口ぶりの割になんでも背負い込もうとする彼を何度も助けられ、間近で目にしてきた彼女だからこそ分かること。
だから、その荷物を少しでも持ってあげようと励み──新たなスキルを得るに至った。
だが、彼女が心惹かれる青年は少し見ない間に随分先へと進んでいた。
それも彼の武器でもあり枷でもあるスキルだけで、だ。
一見枷から外れたように見えるその奮戦ぶりだが、時折見せる腕で汗を拭う素振りが見える。
”チャージ”の反動の痛みで顔が歪むのを隠す──ルーツェしか知らない彼の癖。
(変わったけど、変わってないね)
自身も分身体と合わせて攻撃を仕掛ける術を手に入れたが、動かすのは一人だ。ましてやこの触手たちを避けさせながら反撃するには分身体一体が限界。
加えて、その状態で戦い続けるのも彼女の脳にかなりの負担がかかる。
先程ラグロスに微笑みかけたのも、少しでもカッコいいところを見せたいが故の見栄である。
そして、丁度見栄の張り所が出来た。
「よし──“ミラージュ”──“ミラージュ”。“アイスエッジ”!」
気合を入れなおすように青髪を纏めるゴムをくくり直す。
全ては彼への恩返しのために、少女はさらなる無茶を冒し始める。
現れた分身も氷の短剣を手に入れ、一斉に触手たちを細切れへと変える。
分身が一人から三人に増え、かかる負荷も三倍だと言うのに動きに衰えは見えない。
青髪が舞い、触手は空を切る。
氷刃が煌めき、触手だったものが散りゆく。
一撃一撃に全力を込めるラグロスとは対照的な、手数を重ねる彼女の戦い方はとても美しかった。
その裏で痛みに呻く舞手。
まさしく薄氷上の舞踏と知れば、その儚さに震えるだろう。
(全く……馬鹿ね)
見た目以上に綱渡りな戦い。
その本質に気付いていたのは前線の戦いぶりを俯瞰できるセレンだけだった。
二人とも負荷をかけすぎなのが明白で、これ以上戦い続けるといずれ前線が崩壊する。
その前に何とかあの蕾を倒したかったが倒れる様子以前に、触手で近寄れない。
短期決戦は厳しいようだ。
(どこで奴らが見てるか分からない以上、門番以外に力は使いたくないのだけれど……)
撤退も視野に入れつつ、あくまで撃破の道を探る。
彼のことだ。今も無理を冒す少女の仲間たちのことも気にかけるに違いない。
彼らを探すとなればこの迷宮生物が邪魔となるのは分かり切っていた。
そうして、いつの間にか一人の青年に肩入れする少女が光の槍とは違う新たな印を描いた。
「権限、限定解除」
その呟きと共に、少女が新たな印を描き終えた。
ほのかに光る指先が印から離れると、その印が煌めき──
「「──!?」」
閃光。二人が眩さに思わず目を覆った。
光の源は蕾の足元から登る光の柱。
光の奔流が周囲の触手ごと蕾を飲み込んでいた。
人間の二人にもはっきりとわかる濃密な魔力。
あまりの濃さは光の柱の周囲が陽炎がごとく揺らめくほどだ。
「セレン? 何やった──……?」
ラグロスが呆けた顔で後ろのローブ少女を見やる。彼女が何かをしたのはすぐに分かった。
加えて、あまりに圧倒的な力だ。大方自慢げな顔でも浮かべていると思っていた。
はずだった。
彼の予想に反し、セレンは険しい顔を浮かべていた。
「……?」
彼女の視線の先は当然ラグロス達も戦っていた蕾である。
光の柱によって焦がされ、周囲の職種ごと焼き払われた蕾は真っ黒だ。
だと言うのに、まだ胎動を繰り返している。
当然だ。蕾は母体であり、本体はその中身なのだから。
探索者たちがそれを知るのは数秒後のことだった。