予期せぬ再開
「多分、貴方の知り合いよ。ルーツェ、だったかしら?」
「……は?」
無視できなかった名前にラグロスの体が固まった。
無理もない、二年の間苦難を共にした仲間なのだ。
「それ、本当か?」
「絶対とは言えない。見知った魔力の気配を感じただけ。人間の少ない魔力じゃ完全な特定は出来ないから」
「……何故それを俺に?」
何故教えてくれたのかは分からない。
セレンの都合を考えれば無視すればいいはずなのだから。
「見殺しにした結果、貴方に変な行動を起こされるのも困るの」
「……見殺し?」
その言葉を聞く限り、ルーツェ達は危ない状況に陥っているように聞こえた。
一気に表情を硬くしたラグロスに、セレンはゆるゆると首を横に振った。
「貴方は知らないけど、集団で行動する人間が単独でここを生きられると思えないから」
「……ルーツェ以外に居ないってことか?」
「そうね」
背筋が冷えるのがよく分かった。
嫌な汗が彼の額を伝い、一気に熱が冷める。
その言葉が意味することを考えたくはなかった。
だが、十分にあり得る可能性でもある。なまじ今まで危なげなくやってきたのもあって、その考えが自然と頭から抜けていた。
あいつらなら死なないと。
「──寄り道、してもいいか?」
「はぁ、仕方ないわね」
嘆息するフードの奥でセレンがどんな表情を浮かべていたかはラグロスには分からない。
分かるのは、彼の悩み抜いた末の発言に即答したことだけだった。
「方角は?」
「こっちよ」
セレンに言われるままラグロスが駆け足で迷宮内を進む。
「砕けば進めるけど」
「つまり砕けってことかよ! “チャージ”!」
「あら、躊躇しないのね」
「へっ、楽しむ余裕がないときは別──だっ!」
進行方向に立ちふさがる珊瑚の壁。
ラグロスはセレンのからかいを鼻で笑い飛ばして、担いだ大剣を振り下ろす。
スキルの恩恵も受け、強化された肉体が振るう質量の塊に珊瑚たちは次々砕け散り、塞いでいた道を開通した。
やがて聞こえ始めた金属音。恐らくルーツェの短剣と空泳亀の突進によるものだろうか。
押され気味な弾かれる音にラグロスの足が速まった。
(ルーツェしかいないのは何故なんだ。……いや、考えても仕方がねぇ)
他のみんなはどうなのか、もしかすると手遅れなのか。
今は何も分からない。ただ、せめて今目の前にあるものを失いたくない一心でラグロスは珊瑚の壁を突き破り、襲い来る空泳亀を全て薙ぎ払う。
「……! ルーツェ!!」
「……っ!? ……どうしてっ──うあっ!?」
そして、ようやく見えた人影にラグロスが叫んだ。
セレンの言う通り、その人影はルーツェのものだ。だが、彼女を襲っていたのは空泳亀ではなく、別種の迷宮生物。
その姿は異様で、一戸建ての家程の大きさを持つ青色の蕾から先がとがった触手がいくつも生えている。
ルーツェを襲っていたのはうねうねと蛇の如く動く触手達だった。
(なんだアイツは……?)
ラグロスの知らない迷宮生物。
無論、すでに幾人もの探索者に踏破された場所。
組合には情報が残っており、彼が調べ損ねたに過ぎない。
その名は珊瑚喰らい。
名前の通り、この迷宮に生える水底珊瑚を食す迷宮生物兼、
探索者が全力で接敵を避ける──神の悪意である。
(とにかくルーツェを!)
「セレン! 援護は頼んだ! ──”チャージ”!」
「分かってる!」
飛び出しながら叫ぶラグロスにセレンも答える。
だが、想定よりも厄介な迷宮生物に彼女の顔は曇っている。
只人よりも魔力を知覚出来る彼女の察知能力が、蕾に蓄えられた大量の魔力を捉えていた。
その量は魔法や魔術よりも強力な印を扱うセレンよりもはるかに多い。
相性が悪い。
内心で舌打ちする。
二人の戦術は究極的に力押しである。
以前に遭遇した神の悪意、大蠍の守りすらも打ち砕いた彼らの火力は確かに十分だ。
だが、それ以上の力を叩きつけられると、搦め手の少ない彼らの取れる手はかなり減ってしまう。
その可能性を危惧したが故の舌打ちだった。
「おらっ!!」
「……!?」
直線的ながらあまりある勢いを乗せた一撃が、触手を斬るどころか衝撃で砕いて蹴散らす。
その威力はルーツェも良く知るもので、納得こそあった。
だが、それが今まで両立できなかった速度も合わさっていたことに目を見開く。
「下がれ!」
「あ、ありがとう」
余裕のないラグロスの声で我に返った彼女が慌ててその場を離脱する。
撤退の時間を稼ぐため、大剣を振るう度に一瞬襲われる虚脱感と戦いつつ触手を迎撃し続けた。
幸い触手は遅かった。いくら砕こうと中心たる青の蕾から無限に湧くのが厄介なものの、それはラグロス一人の話。
光が走る。
一直線に駆け抜けた魔力の槍が触手たちを何本も串刺しにして壁に縫い付けていた。
セレンの援護だ。
彼女がいる限り、ラグロスが後れを取ることもない。
「こっちよ」
「あっ、うん──ありがとう」
「彼が決めたことよ。礼なら彼に言いなさい」
「……そっか」
「それより、あれについて知ってることをどんなことでもいいから教えて」
現状はかなり余裕がある。
ただ、それが解せないのだ。
セレンが感じる蕾の中の大量の魔力。その使い道が何かを知りたかった。
「あたしもあんまり詳しいことは分からなくて……」
「少しでもいいの」
「……あれ」
ルーツェが蕾からいくつも生える触手を指さした。
無尽蔵化と思われた触手だったが、ラグロスとセレンによって再度生み出される数が少しずつ減らされていた。
「触手ね」
「今は閉じて針だけになってるけど、あれは口なの」
「口……?」
想像のつかなかったセレンが首を傾げる。
「多分、そろそろ──」
ルーツェが触手の先をじっと睨んだ瞬間のこと。
ラグロスを襲っていた触手の一部が攻撃をやめ、その先端を辺りに生える水底珊瑚へと伸ばした。
そして、蕾が花開くように触手の先端の棘が広がって大口を開けたのだ。
「……気味が悪いわ」
思わず顔をしかめるセレン。そんな彼女も無視して、口を開けた触手が一斉に水底珊瑚を食べ始める。ばりぼりと硬そうな咀嚼音を立てながらも、その音の勢いが弱まることはない。
「セレンさん! あれを止めないとまた触手がっ……!」
ルーツェの警告。
遭遇した時の半分にまで減っていた触手たちが復活を始めていた。
(……なるほどね。これは放置すると危険だわ)
一見何をしているのか分からないが、魔力を知覚できるセレンの目にはよく分かる。
水底珊瑚を直接触手に変換しているのではなく、迷宮の魔力を蓄えた珊瑚のそれを取り込み、新たな触手の素としているのだ。
それと、かなりの数の触手を倒したと言うのに、蕾が蓄えている魔力量が減る気配が見えない。
この水底珊瑚をどれほど食べたのか、どれほどの期間放置された迷宮生物なのか、セレンにも想像がつかなかった。
「……分かってるわ」
とにかく、これ以上余計なことはさせまいと、光の槍を食事を取る触手たちに発射する。
幸い触手自体はセレンの攻撃を受けると呆気なく千切れている。
(触手を再生成する魔力は潤沢にあるはず……どうして増やさないの?)
セレンが解せないのはそこだった。
ルーツェも含め三人を蹴散らすために大量の触手を生やすのも可能なはずだ。
しかし、触手の再生成はもうラグロスだけで抑えられるほどに遅い。
ならば、その余りある魔力は一体に何のためにあるのだろうか。
「……」
ローブ少女の細い指先が宙を彷徨う。
しばらく迷った末、光を灯して印を描いた。
そして生まれる光の槍。
向かう先は触手ではなく蕾だ。
彼女も下手にあれを刺激するのを躊躇っていたが、無視するわけにもいかない。
魔力を蓄える無防備な蕾。それが、ただの魔力タンクなのかそれとも──
光の槍が蕾へと突き刺さる。
蕾はセレンの想定よりも柔らかく、しっかりと突き刺さった。
さらに、傷口から青紫色をした霧状の何かが溢れ出す。
「濃いわね……え?」
納得の色を見せつつセレンが目を細めた。
霧状のそれは濃縮され蕾に貯められていた魔力だ。
大事そうに保管していた割に防衛が甘いのは謎だが、吐き出してもらえるならばそれに越したことはない。
また、再生能力は高いらしく、槍が吐き出されると傷口が急速に塞がっていった。
防御力が高いのか低いのか分からない蕾に、セレンは困惑を隠せない。
「お、そこが弱点かよ!」
傷は塞がったものの、一斉に触手が暴れ出していた。
分かりやすい痛みへの反応を見たラグロスが触手を薙ぎ払い、蕾へと向かう。
「ラグ―!」
「フレア? 忙しいからちょっと黙ってろ」
「オイラが食うぞ!」
「は?」
チャージ状態のラグロスよりも先行し、人魂が飛び出した。
フレアが飛んでいった先は上に登っていく青紫の霧こと魔力溜まり。
そこでようやく合点がいく。餌やりなどをしていないので忘れていたが、フレアの主食は一応魔力なのだから。
だが、今はラグロスがやることには関係がない。
彼が成すべきことは蕾の破壊なのだから。
強化された肉体は彼を一息に蕾の前へと運ぶ。
標的はもう目の前である。
フレアのことは忘れたラグロスが腰だめに構えた大剣を体重を乗せて思い切り薙ぎ払った。