食パン三枚
日向灘に面した鵜戸神宮は今日も日差しが強い。駐車場にも田網嶺太と梯絵楠の影がクッキリと映る。
突然、影の中から声がした。
「田網さん、初めまして。私はハムカイザーの日之影真です。梯さんとは昨夜会いましたから二度目ですね。」
同じように梯の影からも声がする。
「初めまして、嶺太君、絵南君、ハムカウジーの日之影実です。とは言っても先程少し嶺太君の影の中には入らせてもらったかな。」
「迂闊だったな。全く気付かなかった。」
田網は悔しそうに言った。実は
「僕たちの侵入に気づくのは無理です。だから無理はしない方がいい。それと僕たちを防犯カメラで追いかけまして正体を探ろうなんて無駄な努力はもうやらなくていいですよ。正々堂々と名乗り出てあげましたからね。」
と言った。真は梯に
「昨夜は梯さんが緑茶先生と同じセリフを言ったものだからびっくりしました。偶然だったみたいですが、さすが緑茶先生の熱烈なファンだけのことはある。先生の小説は我々の囁きよりも心理的影響力が強いのかな。サイバー犯罪対策課の連中も魔物に取り憑かれたように先生のパソコンや携帯に侵入して作品を読んでますからね。」
「侵入しているのではありません。あくまで ITの警戒です。」
梯は声を大きめに真に言い返した。そんな梯の態度を見た田網は〈やはり公の場では立場をわきまえているな。〉と安心する。
「とは言え〈抹茶粉右衛門〉事件はうやむやになっちゃいましたね。森市〆や岸畑楽が通信会社と結託してあれだけ緑茶先生の文章を盗みまくって拡散したのにです。それすら隠蔽してしまってただの警戒とはあまりにも緑茶先生に失礼ではありませんか。」
真が言い終えると今度は多網が言う。
「大きな事件に発展しなかったから捜査にまでは至っていない。だから今でも警戒を続けている。」
「随分と苦しい言い逃れですね。影に侵入してサイバー犯罪対策課やあなた方の行動を見ていると警戒よりは緑茶先生への憎しみや敵対心が伺えるのですがどうでしょう。もちろん森市や岸畑を監視しているのは知っています。でも嘘は良くない。緑茶先生がよく言っているじゃありませんか。〈法螺吹きは政治家の始まり、嘘吐きは警察官の始まり〉だと。」
実は皮肉たっぷりで二人に話しかけた。田網は真と実に尋ねた。
「なぜ君たちは緑茶先生を操らないんだ。」
「それを考えるのが君たちの仕事でしょう。」
真が二人にそう言った後、実が喋り始めた。
「梯さん、一つ良い事を教えてあげよう。宮祭 香さんを題材に緑茶先生が恋愛譚を書き始めている。タイトルは『仔猫と仔犬』で、その時だけは執筆名が〈食パン三枚〉です。この作品は『天使になれなかった魔女』とは違ってヒロインが自由奔放だ。ヒロインは自分が伝説の大泥棒の愛人で変装している姿なんだと病んでいる。ヒロインの相手役はその怪盗一家が登場する小説や漫画の愛読者なんだ。森市〆やサイバー犯罪対策課も先生のパソコンを覗いてこの事は既に知っているはず。しかし何もできないだろうね。森市の盗作を阻止すれば隠蔽した過去が暴露される。」
多網と梯は反論できずに黙ったままだ。真と実は二人の影から去っていった。
二人は無言のまま車に戻り、エンジンをかけエアコンのスイッチを入れる。車内に冷気が行き渡ると梯がポツリと言った。
「ハムカイザーとハムカウジーは影に侵入して心に巣くうんですね。〈影る〉って言葉は意味が深いわ。」
「影に入って心を操るとはかなり厄介だな。」
田網が言った。




