ミッドウェー海戦
昭和17年6月5日の事である。重巡利根の偵察機四号機の搭乗員が出動前に喋っていた。偵察機は零式三座水偵でその名の通り操縦員・偵察員・通信員の三名となる。
この時の偵察員が日之影真・実兄弟の曽祖父真之助だった。
真之助は前夜に夢を見ていた。それは恐ろしい夢だった。偵察中、真之助は米機動部隊を発見した。その中には空母が三隻だ。偵察機からの報告を受けた南雲機動部隊は艦載機の武装を地上攻撃用の爆装から対艦用雷装に替え発艦した。今回も日本海軍は圧勝した。赤城・加賀・飛龍・蒼龍の艦爆と艦攻は米空母三隻を沈めてしまった。大本営の発表で国内ではもうアメリカに勝ったも同然のお祭り騒ぎだ。
これが日本にとっての悲劇の始まりだった。アメリカは工業力に物を言わせ次第に劣勢を跳ね返し原子爆弾を完成させた。昭和二十年の八月と九月に計七発の原爆を投下した。日本の主要都市は地獄さながらの光景となった。そして日之影真之助の故郷宮崎には米軍が上陸した。太平洋に面した日向灘の南北に伸びる砂浜で上陸しやすく海兵隊の拠点とされた。宮崎は壮絶な戦場となってしまったのだ。神武天皇が東征のために船出をしたひむかの国は今アメリカが日本に上陸する足場となった。
真之助は操縦員と通信員には夢の話はしなかった。いつもより口数の少ない真之助に二人は〈体調でも悪いのか。〉と尋ねた。
そして偵察に出かけた時、真之助は持ち前の視力で米機動部隊を発見したが二人には何も告げなかった。南雲機動部隊は空母四隻を失いミッドウェー海戦は大敗した。
昭和二十年八月十五日、日本の無条件降伏で太平洋戦争は終結した。日本に落ちた原爆は二発で九州に米軍が上陸する事はなかった。戦争による被害は夢の中よりは少なかったのだが真之助は悩んだ。ミッドウェーで発見した空母を見て見ぬふりしたのは本当に正しかったのだろうか。逆にミッドウェーで大勝していればもっと早期の終結があったのではないのか。
真之助は戦後海軍時代の上官に相談をした。