ランベルト家の特殊な家庭事情
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マリベルは八歳の時に小鳥を貰った。
父の友人に無類の鳥好きがいて、飼っている小鳥の番が卵を産み、雛が孵ったからだ。
最初から小鳥を貰う予定ではなかった。その日はただ、ひとつ違いの妹のミルカと一緒に生まれたての雛を見せて貰うだけのはずだった。
小鳥の雛達は本当に孵ってから数日しか経っておらず、羽毛は生え揃わず、目も開いていなかった。生々しい肉色の体から生え始めた羽はまるで体に針がいくつも刺さっているようで正直言ってグロテスクだ。
ミルカは気持ち悪い、と言ってすぐ目を逸らし、別の異国から来た色鮮やかな鳥達を見に行った。
マリベルもちょっと気持ち悪いと思った。
でも兄弟でくっつき合って眠り、餌をあげると必死になって大きく口を開く姿を見たらなんだか可愛くなってしまった。
他の鳥には目もくれず、小鳥の雛ばかりを見ているマリベルに感じるものがあったのか、父の友人が、「目が開いて、羽が生え揃ったら一羽あげよう。ちゃんとお世話できるかな?」と提案してくれた。
マリベルは猛然と頷いた。それから小鳥のお世話の仕方と、小鳥を迎える準備を訊く。真剣にメモを取るマリベルに彼は雛達を指し、「どの子がいい?」と尋ねた。
マリベルは迷わず一番小さな雛を選んだ。
こうしてマリベルは可愛い小鳥のいる生活を始めたのである。
小鳥と出会ってから一週間と少し、ついに彼女の元に小鳥がやって来た。羽が生え揃った姿は初めて見た時とは全く別物に見える。
頭と尾羽は黒で、背中と翼は灰色、頬っぺたは白く、胸とお腹は基本白だが、まだらに灰色の羽が混じっている。嘴と脚は鮮やかなピンク色で、すっかり大人と変わらない姿になっていた。
でもまだ子供で、飛べないのだというその子にマリベルはピィと名付けた。初めて聞いた鳴き声がそう聞こえたからだ。
それからマリベルはピィのお世話を全部自分でやった。雛用の餌を用意するのは勿論、鳥籠の掃除も毎日の水換えも、全部だ。ちゃんとお世話すると約束したのだから当然のことだ。
使用人達は侯爵令嬢のすることではありません、といい顔をしなかったが、父が「やりたいようにやらせてあげなさい」と言ってくれたし、母も「ひとつのものを深く愛することはいいことです」と言ってくれたので、小鳥のお世話は全部マリベルがやっていいことになった。
小鳥は毎日少しずつ成長していく。綺麗な声で囀るようになった。大人と同じ餌が食べられるようになった。名前を呼ぶと返事をするようになった。そしてついに、少しだけ飛べるようになった。
籠を開け、名前を呼ぶとマリベルの肩に飛び移り、ひとりと一羽は毎日一緒に過ごすようになった。
マリベルの元にピィがやって来て半年ほど経つ頃のことであった。
「お姉様だけ小鳥を飼ってずるいですわ。お姉様、あの小鳥をわたくしにください」
夕食の席でミルカが突然そんなことを言い出した。
マリベルは訳がわからなかった。昨日ミルカに「侯爵令嬢が鳥の世話なんてして恥ずかしいわ。それにその鳥お姉様みたいに地味ね」と言われたばかりだ。以前から似たようなことを言われ続けてきたので、突然の心変わりにミルカの頭の中が理解できない。
「あの小鳥はマリベルのものだ。そもそもミルカは鳥に興味はないだろう」
ミルカの昨日までの態度を知っている父が呆れた様子で諫めた。父の態度が気に障ったのか、ミルカは父を睨む。
「そんなことありません。大好きですわ。わたくしも小鳥を飼いたいです」
「お前は小鳥の世話などしないだろう?」
「します。お姉様ばかりずるいですわ」
父とミルカの言い争いが始まってしまい、はらはらする。母は何も言わないが、ミルカを見る目がだんだん据わってきている。どうか母が怒る前に諦めてほしいとマリベルは祈る。母は怒ると本当に、本当に怖いのだ。
でも、ミルカは諦めないだろう。物心がついた頃からそうだった。ミルカの口癖は「お姉様はずるい」なのだ。マリベルがドレスやアクセサリーを貰っては「ずるい」。父や母に褒められると「ずるい」。新しい使用人がついても「ずるい」。物はその後に「ちょうだい」がつく。
別にマリベルが贔屓されている訳ではなく、ミルカにもドレスは与えられるし、褒められるし、使用人もつく。でもマリベルはずるくて、姉のものはミルカが貰うべきものであるらしい。訳がわからない。
父は毎回根気強く窘め、時には優しく宥めながら原因を探るのだが、ただただ「ずるい」なので、最終的に母が激怒する。母は父が大好きなので、父を煩わせると機嫌が悪くなるのだ。
母に怒られると流石のミルカも引き下がるが、そもそも叱責されるまで粘ることが理解できない。特に誰も甘やかしたりはしていないのにどうしてこんな性格になったのだろう。
夕食の席で母が激怒することはなかった。
代わりに次の日、父とミルカは外出し、帰ってくると一羽の小鳥を連れていた。店で買った、遠い南の国からやって来た小鳥らしい。
「お姉様の小鳥と違ってわたくしの小鳥は綺麗だわ。芸も達者で人の言葉を真似るのよ」
ミルカはそう言って、何故か勝ち誇った顔をした。
確かにミルカの小鳥は綺麗だ。頭は黄色で、お腹は緑。翼は黄色と黒の縞模様のようになっているし、頬っぺたにワンポイントの青い羽がある。とってもおしゃれだ。
だからと言ってピィが見劣りするとは思わない。ピィにはピィの美しさがあるのだ。
それに肩に乗って囀るピィは何よりも可愛い。
その内ミルカも彼女の小鳥と仲良くなれば比べることのくだらなさに気づくだろう、とミルカの言葉を流した。
ミルカの自慢を聞きながら、一週間が過ぎた。ミルカはだんだん小鳥のことを言わなくなり、さらに一週間が経つ頃には自分の部屋から追い出してしまった。完全に小鳥に対する興味を失っていた。
そもそも始めから世話は使用人に丸投げし、一度触ろうとして突かれてから可愛くないと鳥籠から出さず、そして、うるさいと別室へ移してしまった。
ピィとマリベルは仲良しだが、それでも時々気に食わないことがあると突かれることがある。そんな所も可愛いのに、と思いながら、マリベルは追い出された小鳥の様子を見に行った。
南国の小鳥は鳥籠の中でじっとしていた。
ピィは鳥籠の中でも止まり木をぴょんぴょん跳び移り、機嫌が良いと囀り、日に一回は籠の周りをびしゃびしゃにしながら水浴びをし、夜はごそごそしながら巣の中で眠りに就く。昼寝もするが、基本的に昼間は活発に動き回る。
でも、この小鳥はみじろぎもしない。囀りもせず、静かに止まっている。
マリベルは悲しくなった。この小鳥はこんな籠に閉じ込められるためだけに南国から連れて来られたのか、と思うと涙が出た。
ピィも小鳥もペットだから、もう自然に返すことはできない。でも、家の中くらいは自由があっていいはずだ。ミルカはあんなに小鳥を欲しがったのに、何でこんな仕打ちをするのだろう。
しくしく泣いていると、いつの間にか父がいて、マリベルの頭を撫でてくれた。そして、その日のうちにミルカから小鳥は取り上げられて、一旦父のものになった。
一月後には小鳥はマリベルの部屋へこっそり移されて、彼女の小鳥は二羽に増えた。まだ名前がつけられてなかった小鳥にマリベルはポゥとつけた。
最初の鳴き声がそう聞こえたからだ。
マリベルは二羽の小鳥をそれはもう大切にした。特に大人し過ぎるポゥにはたくさん話しかけた。
すると、ある日突然マリベルの言葉を真似たので、手を叩いて喜んだ。ちなみに初めて喋った言葉は「ごきげんよう、ポゥ」だ。自分に挨拶している。
その後、思いつきで歌を歌って聞かせていたら、それも真似るようになった。ただし、調子っ外れで同じ節ばかり繰り返す。でもそれが可愛い。
二羽は時々喧嘩をするが、概ね仲良しで、毎日マリベルの部屋からはピィの囀りとポゥの調子っ外れな歌が聞こえるようになった。
相変わらずミルカには突っかかられるが、二羽のおかげでそれほど気にしなくなった。
でも、小鳥と遊んでいるだけでは許されない歳になってしまった。
ランベルト侯爵家はマリベルとミルカの二人姉妹で、次代はマリベルが婿をとって爵位を継ぐ予定だ。マリベルはもう十三になったので、いい加減婚約者を決めねばならない。
よそに嫁ぐミルカの婚約者を決めてから、という予定だったのだが、ミルカが中々婚約者を決めないので、二人一緒になってしまった。
マリベルは久しぶりに悩んだ。彼女の婚約者はすなわち次期侯爵だ。下手な男は選べない。父のお眼鏡に適う相手でなければいけないが、あまりに素晴らしい殿方を選べば、またミルカの「ずるい」が始まるに違いない。
悩みながら、ミルカの婚約者候補との茶会に同席した。ミルカは何人かいる婚約者候補と茶会をして仲を深めているのだが、何故かそこにマリベルを呼ぶ。マリベルとミルカの婚約者の条件は被らないので、同席しても邪魔になるだけだ。遠慮したいのだが、使用人はいても二人っきりはミルカも怖いのかもしれないと思うと断れない。
本日は昔から付き合いがある伯爵家の嫡男だ。その気まずい席で、ミルカの口から天啓のような言葉が出た。
「セイクリッド公爵家のラウル様ってお会いになったこと、ございます? 先日お見かけしたのだけれど、お兄様と違って冴えない方ね」
不敬だと咎められかねない言葉にびっくりしてミルカの顔を見る。でもミルカは笑っているし、相手も同意するように笑っている。
「皆言っているよ。兄の劣化品ってね」
その上そんなことを言う。相手は公爵家なのに大丈夫なのだろうか。
セイクリッド公爵家のラウル様がどんな人か、マリベルは知らない。彼の兄はとても有名で、奇跡の美貌を誇るとかで、絵姿も出回っているくらいだ。
ミルカがどこからか入手してきたものをマリベルも見たが、煌めく金髪にセルリアンブルーの瞳をした麗しい貴公子だった。確かにこれはあらゆる令嬢の憧れの的になるだろうな、とは思った。
一方でラウルについては何も聞いたことがない。一時期、ラウルの兄と知り合って婚約者になろうと躍起になっていたミルカもラウルには興味がないようだ。
これはいいんじゃないか。
ラウルがどういう人かはわからないが、元々ミルカが興味ない人を選べば、「ずるい」と言われることもない。早速父に相談しよう。
そわそわしながら茶会の終了を待ち、その足で父の元へ行き、彼女の思いつきを話した。
なんとすでにラウルから釣書が届いており、婚約はとんとん拍子でまとまった。
運命じゃないか。
全てが思い通りに進んで、マリベルは浮かれた。そしてラウルと顔合わせをする日がやってきた。
マリベルは戸惑っていた。
ラウルとの顔合わせはランベルト侯爵家で行われたのだが、現れたラウルが予想とはまるで違ったのだ。
冴えない、とミルカは言っていたが、とんでもない。彼の兄に負けない麗しの貴公子だ。一体何故劣化品なんて言われるのか。理解できない。
あえて言うとくすんだ金髪だからだろうか。それとも瞳の色が灰色がかった青なせいか。それともちょっとだけ目つきがきついせいだろうか。
ともかくセイクリッド公爵夫妻と共に現れた彼の姿に動揺し、両親が彼らと話す間もどうしたらいいかわからなくなってしまった。
だって「冴えない」ラウルよりマリベルの方がずっと地味だ。髪はよくある焦茶色で瞳も灰色だ。パッとしない。顔立ちだって、整ってはいるが際立ってはいない父に似ている。ミルカのように淡い金髪にエメラルド色の瞳をした儚げな美女である母に似ていれば、ラウルの隣に立っても遜色はなかったかもしれない。
大変なことになってしまったとオロオロしているうちに二人っきりで庭の散歩に出されてしまった。
何を話せばいいかわからず、沈黙が横たわる。黙々と季節の花が咲く庭を歩いていく。今日は雲ひとつない青空で、日差しも無駄に麗かである。ちょうちょも心なしかのんびり飛んでいるように見える。
そんな素敵な陽気の中、マリベルはだんだん落ち込んできた。だって容姿だけでなく、自分に取り柄らしい取り柄がないことに今更気づいてしまったからだ。
勉強は真面目にやっているが、特別賢いわけではない。体を動かすことは嫌いではないが、運動神経がいいなんてとても言えない。その上マリベルはラウルより五つも年下だ。彼からしたら子供のようなものだろう。
二人の結婚でラウルが得をするのは侯爵の位を継げることくらいだ。
どうしよう。考えれば考えるほどラウルに相応しくない気がする。
そもそもマリベルはミルカに「ずるい」と言われたくないという酷い理由でラウルとの婚約を望んだのだ。浮かれてた時にはなんとも思わなかったが、マリベルばかりに都合が良く、そこにラウルの利益がない。
マリベルは自分の思いやりの無さに震えた。
震えたまま、ラウルに全てを打ち明けた。あまりに自分本位過ぎるので、そちらから婚約破棄して貰ってかまわないとも言った。
しかし、ラウルは「そんなことですか。気にしなくていいですよ」とあっさり許してくれた上に、婚約も継続してくれると言う。
もしかしてラウルは聖人なんだろうか。優しすぎる。
そこからさっきまでの沈黙が嘘のように話が盛り上がり、最後はマリベルの部屋に招いてピィとポゥを紹介した。
ラウルはどちらの小鳥も可愛いと褒めてくれたし、二羽の合わない二重奏も笑ってくれた。
マリベルはすっかりラウルが好きになっていた。もうミルカのことなんて関係ない。結婚するならラウルがいい。でもマリベルがラウルにあげられるものは何もない。
どうしたらいいんだろう。
ふと、思いついたのは、両親のことだ。二人はいつまで経っても変わらず仲がいい。将来マリベルもラウルとそういう関係であり続けたい。
二人を真似ればいいんじゃないか。
「わたくし、ラウル様になら監禁されてもいいです!」
勢い込んでそう言うと、ラウルは暫く固まって、そういうことを言ってはいけないよ、と注意された。
母は父を監禁するとこの上なく幸せだとよく言うのだが、ラウルは違ったらしい。失敗してしまった。
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まだ婚約する前の、十年前の自分にお前は将来美人妻と家庭を築き、可愛い二人の子供がいて、いずれ侯爵を継ぐ予定だぞ、と教えてやったらどんな反応をするだろう。
多分鼻で笑って信じないだろう。
ラウルは生まれてこの方、常にひとつ上の兄のオマケだった。
「とてもよく似た兄弟」
彼らを見た誰もがそう言って、その後、ラウルに目を留めることはなかった。ラウルと兄はよく似ていたが、兄よりほんの少し劣っていたからだ。誰だって似たものがあったらよりいい方を選ぶ。よりいい兄は選ばれ、劣化品のラウルは選ばれない。当然のことだ。
だからと言って、選ばれるための努力をする情熱は無く、周囲に反抗する気概も無く、ただ親に文句を言われない程度の義務を果たすだけの無気力でひねくれた性格になっていた。
彼が変わったのはマリベルと婚約してからだ。
黙っててもいいのに馬鹿正直に自分がラウルとの婚約を望んだ理由を暴露してしまう彼女。マリベルは涙目で罪悪感を覚えているようだったが、彼だって家の意向に従っただけだ。
彼の結婚相手として想定した令嬢の中では一番条件がいいのがマリベルだったから婚約が成立した訳で、お互い利益の為の婚約なのだから気にすることじゃない。
それに、マリベルは真っ直ぐ彼だけを見てくれる。それがとても心地よかった。ラウルに話しかける奴は大抵彼の後ろに兄の影を見ている。なんとか兄との繋がりが欲しくて彼に愛想よくする連中と比べて、頬を上気させて飼っている小鳥の可愛さを語るマリベルはなんて愛らしいのか。
初対面なのに自室に招かれた時はちょっと慌てたが、無邪気に二羽の小鳥を紹介する彼女にとても和んだ。
お互い利益の為に結ばれた婚約だが、思った以上に上手くやっていけそうだ、と安心した。
マリベルが深く考え込んだ後、「わたくし、ラウル様になら監禁されてもいいです!」と言い出すまでは。
何を言われたかさっぱり理解できなかった。何故そこで監禁なんて物騒な言葉が出てくるのか。とりあえず、そういうことは言ってはいけない、と忠告して、その日は帰った。
翌日、改めてマリベルの言葉を思い出し、頭を捻った。
どうにもおかしい。
少し話しただけだが、マリベルは同じ年頃の少女達より精神的に幼いように感じた。そんな子が何故監禁なんて言い出したのか。
いわゆる女性向けの恋愛小説にそういうきわどいものがあるとは聞いたことがある。でもそれらをマリベルが読んでいるとは思えないのだ。
それとも二羽の小鳥と無邪気に戯れるあの姿は演技なのか。
だとしたらちょっと、いや、かなりショックだ。
数日後、ランベルト侯爵家を再び訪問した際に、マリベルに例の発言について慎重に質問した。
「わたくし、なんの取り柄もないし、ラウル様に喜んでいただけることがわからなかったので……。前に母が言っていたことを参考にしたのです。
でも違ったんですね。父に相談したら、まず本人に訊いてみなさいと言われました」
はにかんでそう答えたマリベルは可愛かった。でも続けて「ラウル様はどんなことが嬉しいですか? 手枷や足枷をつけましょうか? わたくし、ご希望に沿えるように頑張ります!」と言われてどんな表情をしたらいいかわからなくなった。
とりあえずランベルト侯爵夫妻に怒鳴り込みたい。
首根っこを掴んでガクガク揺さぶってやりたい。
マリベルの言動は全て親が原因だ。子供に何を垂れ流しているのか。そういうことは全力で隠せ。
本人はあまり意味はよくわかっておらず、両親の仲良しの秘訣だと思っているらしい。
やはりちょっとマリベルは精神的に幼い。そんなマリベルに夫婦のあれそれを話すのは教育上よくない。全く以てよくない。
ラウルが守らねば。
とりあえず、マリベルには一緒に茶を飲んだり、話したり、出かけるといった当たり障りのないことが「嬉しいこと」だと伝えておいた。
その後、ラウルが侯爵位を継ぐためにランベルト家に通う日々が始まった。主にランベルト侯爵について仕事を手伝い、時には領地に出向いて様々なことを学んだ。
ランベルト侯爵は面倒見がいいのか、今まで一切領地経営について知らなかったラウルに一から丁寧に教えてくれた。
尊敬できる未来の義父だ。
でも監禁の件は別である。
ある程度親しくなった頃、マリベルの監禁発言について問いただすと、異常に目が泳いでいたが、答えてくれた。
監禁と言っても、一、二ヶ月ほど人里離れた別荘に夫婦二人で籠るだけだそうだ。最低限ではあるが、使用人も連れて行っているし、ちょっと夫婦水入らずの時間を過ごしている、それだけのことで、たいしたことは何もないとのことだ。
使用人達は誰も口を割らないので別荘で本当はどう過ごしているかは謎だ。侯爵曰く「ちょっとガス抜きしたらエスカレートはしないから」。
過去にエスカレートしたことがあったかのような発言だ。
質問してさらに不安が増した。
本当に大丈夫なのか。
せめてマリベルに悪影響を与えないでほしい。
マリベルを心配して、隠れた問題を抱える侯爵家に居る時間が増えるにつれ、兄のことや、周囲の人間の評価なんてどうでもよくなっていった。
行状はどうあれ、侯爵は彼のことをちゃんと評価してくれるし、マリベルは可愛い上、素直に好意を伝えてくれる。
かつて子供だった彼は兄の影としてしか扱われない自分が嫌でたまらなかった。せめて両親くらいはラウルのことを見てほしかったが、それが叶うことはなく、長じるにつれて彼は諦めを覚えた。
でも、マリベルの隣にいれば諦めずにすむのだ。マリベルの愛は真っ直ぐで惜しみない。そして他に目移りすることがない。
ランベルト侯爵を盲目的に愛する夫人に似たのかもしれない。ラウルは夫人の行動にはドン引きしているが、マリベルが彼に同じようなことをするのは吝かではない。執着してほしいと言うより、それだけ愛情に飢えていたのだろう。
マリベルはラウルの期待に応えるようにたっぷり彼に愛情を注いだ。結果ラウルはもうマリベル無しではいられない身体にされてしまった。
むしろマリベル以外いらないな。
そんな考えが浮かんで、慌てて打ち消した。夫人の悪影響だ。絶対にああなってはいけない。
皮肉なことにマリベル以外に興味を失った途端に彼の評判は上がった。兄から離れたのがよかったらしい。
今後のために同性の知り合いが増えるのは嬉しかったが、秋波を送ってくる異性は煩わしかった。そういう女性の九割にかつて兄目当てで言い寄られたことがある。
その中にマリベルの妹が混じっているのだから、うんざりする。
ミルカは「いずれ貴方の義妹になるのですから、仲良くしてくださいませ」と言い、マリベルがいない隙を狙って近づいて来た。
当然やんわりと拒絶した。マリベルとラウルの婚約のきっかけはミルカがラウルをこき下ろしたからだ。それには感謝するが、ミルカ本人とは仲良くするつもりはない。会わないように避けていたのだが、敵はしつこかった。
面倒になったラウルはミルカが憧れているらしい兄に押しつけた。
マリベルは年頃を迎えて、幼く無垢な中身は変わらないまま、見た目だけは大人になった。本人は自分のことを地味だと思っているが、落ち着いた色彩をしているだけだ。男だったら見ずにいられない素晴らしいプロポーションの色っぽい美人に育った。いやらしい目で見る奴らの目を潰して回りたい。
そんな美人のマリベルは兄を歯牙にもかけていない。それが気に食わない兄がやたらマリベルに絡むようになったので、ミルカに引き受けてもらおうと思ったのだ。意外に二人は気が合ったらしく、それから絡んで来なくなった。
本当はミルカが求めているものが兄ではないとわかっている。
ミルカは、ごく単純に母に愛されたいのだ。
あの、問題しかない普通ではない母親に。
ランベルト侯爵夫人は夫しか愛していない。だが、夫によく似たマリベルはほんの少し特別らしい。侯爵がいない時は暇さえあればマリベルを見つめている。あまり瞬きもしないので、猛烈に怖い。
それがミルカからすると贔屓に映り、マリベルへの敵意になっていたのだろう。
ある意味彼女はろくでもない母親の犠牲者だ。でも同情はできない。だって長年マリベルを煩わせてきたのだから。
ラウルはマリベルと彼女の愛する小鳥達が幸せならそれでいいのだ。ミルカが満たされないことなんて頭の隅でも考えたくはない。
それから、あの可愛い小鳥達が寿命で亡くなって、マリベルが体の水分が全部なくなりそうな程泣いたりしたが、それ以外は特に波乱は無く、マリベルが十八になった年に二人は結婚した。
結婚後は二人もの子供に恵まれ、以前に小鳥をくれた侯爵の友人が新しい小鳥を譲ってくれて、とても円満だ。こんなに幸せな結婚ができるとは思っていなかったので、マリベルには本当に感謝している。
マリベルと出会ってから十年、侯爵から、そろそろ爵位を譲りたいという話が出ている。ラウルに異論は無いが、義両親にとっては本格的な監禁生活のスタートとなるんじゃないか。
侯爵はそれでいいんだろうか。
まぁ、隠居と監禁は同じようなものなのでいいんだろう。義両親のことは醜聞にさえならなければラウルはスルーすることにしている。
爵位についてはここ何年かで堅実に地盤を固められたので、継ぐことに不安はない。一番何か言ってきそうなミルカは現在隣国にいる。
何と彼女は兄を踏み台にして隣国の王子と知り合い、結婚までしてしまったのだ。大変驚いたが、ミルカと物理的に離れられたのでホッとした。
一方の踏み台にされた兄はプライドが傷ついたのか、当てつけのように我が国の王女殿下に求婚し、見事に射止めた。しかし、結婚後は王女殿下の束縛が強く、息苦しい思いをしているようだ。
何かしらのとばっちりを食らうのは嫌なので、冠婚葬祭以外は付き合わないように距離を取ってきたが、王女殿下のおかげでより距離が取れそうだ。
つい先日、二人の子供を産んでもなお美しい妻が「そういうことは言ってはいけないと言われましたが」と前置きして耳打ちしてきた。
「やっぱり、わたくし、ラウル様になら監禁されてもいいです」
マリベルには一度思い知ってもらわないといけない。
なのでラウルは目下真剣に人里離れた別荘を探している。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
ちなみにピィはサクラブンチョウ、ポゥはセキセイインコをイメージしています。