表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
この作品には 〔ボーイズラブ要素〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

甘い珈琲と苦い男の話

作者:

「苦いものは苦手なんだ」


運ばれてきた珈琲(コーヒー)に、3つ目の角砂糖(かくざとう)を溶かしながら言った。


「頭痛が痛い的な?」


金髪の男が、こめかみを指差してブレスレットを揺らす。

(やわ)らかそうな髪が、金木犀(きんもくせい)彷彿(ほうふつ)とさせる。


「何の話だよ」


「冗談。続けて。」


「だから、苦いものが駄目って話だよ。粉薬なんてモノ、飲めたもんじゃないくらい。」


語気(ごき)を強めながら、苦味に対する憎悪(ぞうお)を込めて目の前のちょこれいと菓子にナイフをいれる。

求肥(ぎゅうひ)に溶かしたちょこれいとを包んである菓子ですから、中身がほとんど(こぼ)()てしまった。


「ああ、一口で食べてしまえば良かったのに。」


一瞬、金木犀(きんもくせい)の香りがした気がする。


「一口で食べてしまえば、求肥(ぎゅうひ)の味がよく分からないじゃないか。」


この求肥にも、ちょこれいとが()りこまれているんだぞ、と目の前の黒髪の男が不満気(ふまんげ)に言い返してくる。


「私なりのこだわりなんだ。」


「皿をひどく汚してまで(つらぬ)(とお)すこだわりかねえ。」


悪戯心(いたずらごころ)で飛ばした嫌味(いやみ)には、長い睫毛越(まつげご)しの(にら)みしか返ってこなかった。




__「世の中は本当に、苦い。」

黒髪の男は独り言を(つぶや)いた。

役者を夢見たこの男、生きていくことに精一杯であり、日々を消費しては焦燥(しょうそう)にかられる20(なか)ばの青年である。


「私はこの感受性を活かしたいと、役者を目指し上京した。しかし何のことはない。この感受性こそが邪魔なのだ。」


ただ生きているだけで心が疲れきるほどの、この強すぎる感受性こそが、男の才能であり受難(じゅなん)であった。

生活を(まかな)う金を(かせ)げば、休日に稽古(けいこ)をする気力など残らない。

しかし、生来頑固者(せいらいがんこもの)(ふし)があった(ゆえ)、これを憔悴(しょうすい)しきるまで繰り返したのである。

ならばどうなるかなど、考えなくともお分かりでしょう。

気力も体力も、都会の喧騒(けんそう)に吸い込まれた私は自覚したのです。役者になることなど不可能であると。

私は自覚した。 自覚してしまった!

とうの昔に気付いていたが、知らぬふりをしてきた事実に!

とうとう、その事実の(やわ)(まく)に、(みずか)らメスを入れ、(こぼ)れ出す苦味に息を乱した。


私は役者になれぬのだ!!


肩を激しく上下して、本能が死を悟ろうとするとき、いつの日か友人と食べたちょこれいと菓子を思い出していた。


あの菓子も、ナイフを入れたところから中身が溢れた。

綺麗な金髪の友人は目を細め、一口で食べてしまえば良かったんだと言った。

私は確か、こだわりなのだと意地を張った。


友人の言う通り、一口で食べてしまえたなら、私は妥協(だきょう)を覚えられただろうか。

苦い珈琲も、それもまた味であると思えたなら。

私はこの生きづらい世の中で、他者に認められる程の努力ができたであろうか。

味覚を馬鹿にして、一口で、苦味を飲み込んでしまえたなら、あるいは…。

それができなかった私には、もう明日が無いのだけれど。

無い方が、良いのだけれど。

逆さまに映った世界で、煉瓦道(れんがみち)が脳天に近付いた。

金木犀(きんもくせい)の香りがした。


____「苦いものが駄目なんだ。世の中は苦味で(あふ)れているのに、わざわざ食べることも無い。」

いつか聞いた、悲嘆(ひたん)に等しい彼の愚痴(ぐち)を、煙草(たばこ)の煙と一緒に肺に取り込む。

「苦いもんくらい、鼻つまんで飲み込めよな。」

黒く染めたかつての金髪を、耳に沿()って()き上げる。

吐き出した白を(くゆ)らせ、かつての彼のように、珈琲に角砂糖をみっつ、溶かした。

苦い、苦い、甘さの消えたこの世界を、部屋の窓越しに眺めた。

庭の金木犀が一瞬、強く香る。

僕がきっと(なげ)いた、君の逮夜(たいや)

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ