桜花弁の散る中で
入学式が終わった私達は、即授業……という訳ではなく、まずは学校についての詳しい説明を受ける事になった。
新入生達は各々のクラスの教室に入り、黒板に貼られていた座席表の通りに座る。私のクラスは1-1、席は外の窓側の後ろから二番目、エステルはその後ろだった。私の席は尻尾が通るように穴が空いているので分かりやすい。
因みにリーグはといえば、中央の前から二番目の席だった。
座るとチャイムが鳴り、まもなく担任が入ってくる。石眼人の女で、その特徴として頭には髪の代わりに生きた蛇が蠢き、他の肌とは違い書類を持つその両手は青銅の様に青い。
不意に、蛇の一匹と目が合う。それは合うと視線を外さない。ゴルゴンはその頭部の蛇一匹一匹の視界を全て得る事が出来るという。
今はもう数が少ないので実際に見たのは初めてだが、『ゴルゴンに死角無し』というのは本当らしい。マフィアに要注意種族と認識されるのも無理はない。
蛇の視線を見ると、それぞれが生徒達を向いている。私が特段警戒されているという訳ではなさそうだ。よかった。
さて、とりあえずは安心だ。まだ皆はわいわいと話しているし、私もエステルと……
「エステ……」
だが、後ろを向くとそこにいたのは机に突っ伏して眠りこけている彼女の姿があった。よく考えてみれば、昨日の夜は楽しみで眠れていなかった。そういえばあの後どうやって眠ったんだっけ……まあいいか。
一応、そうには見えなかったが前での宣誓は緊張していたのだろう。それが終わり、緊張がとけてしかも座れるとくれば、寝るしかない。
さて、私は彼女を起こすべきなのだろうか。常識的に考えれば、チャイムが鳴ったのだからするべきなのだろうが……
「……」
すやすやと眠る彼女の寝顔。指でつつけば溶けてしまいそうなマシュマロのような肌。長くも短くもない丁度良い長さのまつ毛が吐息で揺れている。
起きている時とはまた違う、可愛らしいその姿に、いつも見ている筈なのに思わず息を飲み込んでしまう。
だが、
「……っ!!?」
鋭い視線。それを感じた時には本能的に頭を横に避けていた。
何かが飛んできた。それを理解すると共にこのままでは私に当たるはずだった何かが寝ているエステルに当たってしまう。
とにかく何か、私はぱっと手を伸ばして掴んだそれを頭のあった場所にかざした。
瞬間、かざしたそれ……私の皮の筆箱に光線が命中し、灰色の石へと変わっていく。
そして、気付いた時には私の右手は光線が来た方向へと鉛筆を投げていた。
「……何のつもりですか、先生」
「…………」
私の投げた鉛筆は教壇に立つ彼女の頬の薄皮を裂き、黒板に浅く突きたっていた。
頬には一筋の赤い血が流れているが、彼女の視線は傷ではなく私に向いており、顔には薄い笑みを浮かべていた。
「いやいや、私が受け持つクラスに実技試験が満点の者がいると聞いてね。どんな奴か試したくなったんだ」
「当たったらどうするつもりだったんですか。私にも、エステルにも」
「戻すだけさ」
そう言うと、指をパチンと鳴らす。すると私の手にあった筆箱の石像が淡い光に包まれ、すぐに元に戻った。便利な力だ。
「まあその後ろの奴に当たった場合、始業したのにも関わらず寝ている不届き者が石像になるだけだ」
ぐうの音も出ない。そしてその場合起こさなかった私も同罪である。
「……ふわぁ、あ、先生おはようございます……」
そんな時に、彼女が目覚める。非常に間が悪いと言わざるを得ない。因みに、今の時刻は十時である。入学式は始まる時刻が遅いのだ。
「おはようエステル。鴎翼人の朝は随分と遅いようだな」
「そうなんですよ〜。不思議なことに昨日の夜は全然眠れなくて〜。あ、でも安心して下さい。私、心強いんで。今からは眠りませんよ、多分」
「ならばその持ち前の精神力で『多分』を『必ず』として欲しいものだな」
頬をヒクヒクとさせながらもキレるのを必死に耐える彼女に、エステルは飄々とした対応をとる。それが天然なのか、それとも煽っているのかどうかは分からないが、少なくとも彼女の怒りを増大させるのには十分だった。
ミチミチと、堪忍袋の緒が切れかける音が聞こえてくるようだ。
「でも、シンの子守歌って凄いんですよ。眠れないから歌ってって頼んだらやってくれて、気付いたらなんと最後まで聴いてたんですよ」
「そんな事を聞いては……ん?」
「先生、早く始めましょう」
「え、お、あ、そ、そうだな……」
私が無表情で言う。困惑していた彼女もそれで我に返り、手元の書類に目を移す。その顔はまだ理解しきれていないように見えたが、どうやらしない道を選んだらしい。うん、それでいい。
「ふふ、シンったら照れなくてもいいのに〜」
「照れてない」
「……♪」
ニヤニヤしながら頬をつついてくる。
私は今完全な無表情の筈だ。その顔からは『無』という感情しか感じられない程に。暗殺者の技の一つだが、まさかこんな所で使うとは思ってもいなかった。そして、こんなにもバレるとも思っていなかった。
私は彼女に隠したい感情の時はいつもこうするのだが、大抵バレるのだ。何故なのだろう。
「……と、とりあえず始めるぞ」
担任が黒板に何かを書き始める。『メルシィ・マドルーザ』、彼女の名前のようだった。
「皆は既に理解していると思うが、念の為言っておくぞ。この学院は誇り高きスカーレット公国に尽くす者達を育成する場で……」
と、話していく。正直つまらない。面白くしようとしている訳でもないので仕方の無いことなのだろうが、これでは寝てしまうのも頷ける。実際エステルはもう船を漕いでいた。心が強いとはなんだったのか。
しかし、前で話す彼女はこちらに気付かない。寧ろ見ないようにしているようにも見えてくる。
そういえば、何故かほんのり顔が赤いような……照れているのか、それとも恥ずかしがっているのか?
一体何を……まあいいか。見ないでいてくれるならばそれに越したことはない。
一年生には八個のクラスがある。一番上、入試の成績が最も良かった者達が集められたクラスが一組で、悪かった者達は八組だ。
そして一学期に二回ずつある定期考査の成績でクラス替えが行われる。ただし、移動するのはせいぜい二、三人程度らしいが。定期考査も入試と同じく実技と筆記の複合型試験だ。なので実技で稼げれば移動は無い……筈!
「……では、これでHRを終了とする。もう一度来るのでそれまでに帰る準備をしておけよ」
「「「はーい」」」
「シーンっ♪ 帰りにカフェ行こ♪」
終礼が終わってすぐ後、満面の笑みを浮かべたエステルが私の元へ来た。
カフェ、この世界一のオシャレシティ、レマリアには無数のカフェがあり、眉目秀麗な青年が、大変派手な衣装に身を包んだ厚化粧のマダムが、白い顎髭を生やしたダンディな老人が、上京して行き先が決まらないままとりあえず来た緊張した少女が、そしてーーー学校帰りの恋人同士が、各々がそれぞれの目的を持って、ドリンクやデザートを買い、食べていた。
因みに私達はいつもチーズケーキとロイヤルミルクティーを食べる。チーズケーキは問題無く分けられるが、ミルクティーは途中で諦めた。ストロー二本を使って一つの物を飲む、絵になるが実際やると互いが互いに遠慮して……というか、近すぎて恥ずかしくてまともに(私だけ)飲めなかった。
「うん」
まあ、それは別々の物を頼めばいいのだから全く問題ない。なので、私は今日も快諾する。
学校帰りに制服でカフェにいるというのはよく見る光景だ。私達も今日からそれの仲間入りを果たす。うん、良い。
「シンさん達カフェ行くんですか!? ぼ、僕もついて行ってもいいですかっ!?」
だが、そこに横槍が入る。隣に視線を移すとそこには目を輝かせたリーグが立っていた。
「えー……」
「いいよー」
私が露骨に嫌な顔をしている隣で、エステルが軽くそう答えた。
「あ、ありがとうございますっ!!」
「ふふ、シン、たまには三人も良いじゃない♪」
「うー、まあ、エステルがそう言うなら……」
その笑顔は輝いていた。
正直、ズルいと思った。
「ん〜〜、美味しい〜〜!」
「すごく甘いです!」
春の暖かい日差しがさしこみ、鮮やかな桜が咲き誇るメインストリートのカフェ、『アルゴート』。ここの、苺ののったチーズケーキは絶品で、頬がとろける程甘いのだ。
私達はいつもここに二人で来ていた。しかし、今日は一人多い。
パラソルの下の丸いテーブルで、私とエステルの間に座る背の低いエルフの少女が、長い耳をピクピクさせながら目を輝かせてチーズケーキに舌鼓を打っていた。
「……」
そんな中、私はずっとムスッとしている。不機嫌そうな顔のまま黙々とミルクティーを啜り、切り分けたケーキを食べ……
「ふふ、シンったら変な顔〜」
「……え?」
はっとして顔に意識をやると、自分の顔が気付かぬうちに緩んでしまっていることに気がついた。
「あ、もしかしてムスッとしてた?」
ぷーくすくすと笑うエステル、恥ずかしさに身を震わせて手に力を込める私、恐らくは私とは別の理由で顔を背けて身を震わせるリーグ。
彼女にとっては理不尽であろう怒りにも似た感情が間欠泉のように湧き上がる。しかし、私はこんな事では動じない。暗殺者としてのプライドにかけて、彼女に怒りはぶつけない。
「わー!! やめてくださいシンさん!!」
「ああ、ごめん」
「じゃあその振り上げた拳を収めてくださいよっ!!?」
「……」
「あははは、もー、機嫌直してよー、ぷぷぷ」
「うー……」
ケーキとミルクティーを食べ終わり、リーグと別れた私達はエステルの屋敷の部屋へと帰ってきていた。
リーヴィハット家は代々スカーレット公国で宰相を勤めている一族だ。その屋敷ともなれば当然大きい。高層ビルがひしめき合うここレマリア、リーヴィハット家の屋敷もその例に漏れず、他の建造物よりも頭一つ高いそのビルこそが、エステルや私、そして宰相本人も住まう屋敷であった。
その最上階の下の階、そこに私達の部屋はある。
「まあまあ、一旦落ち着いてご飯食べてお風呂入って寝れば忘れるって」
「……」
「……」
上着をクローゼットに掛けながらニマニマとこちらを見つめてくる。
彼女は苦手だ。その細められた眼に全てを見透かされているようでつい目を背けてしまう。その笑みにも、その息一つにも裏を感じられて、少し不気味で、でも少し安心出来て。
「とーう!!」
「え」
目を背けつつそんな事を考えていたら、彼女が突然飛びかかってくる。
さて、私が取るべき行動は何だろうか。後ろはベッドだ。彼女の勢いからすると……うん、避けよう。さっきの仕返しだ。
私は右に少しズレる。避けられるとは思っていなかったのか彼女の表情が少し変わり、すぐにどさりとベッドの上に着弾する。
「……」
「……」
沈黙が続く。しかし、すぐにガサガサと音を立てて彼女が寝たままこちらを向き、こちらを迎え入れるように両手を広げ、
「ほーら♪」
「……」
……やっぱり、彼女は苦手だ。
ーーーーーーーーーー
「……で、どうだったっすか? 彼女」
真夜中の教室に二人の女が立っている。その内の片方の少女が相手のゴルゴンの女にそう言った。
「正直、あれでレベル36? ありえないわね。この私の石化光線を避け、更に私が避けきれない程の速度で鉛筆を投げた? 絶対にありえない。なんと言っても私は」
「あの聖戦を生き抜いた戦士。はは、アンタただの下っ端だったんすよね?」
「お黙り。……ともかく、レベルを偽装しているのは確実ね」
「でも証拠が無い。カード本体は検査を潜り抜けているし、何よりも宰相の娘と仲が良い……にゃはは、これじゃあ捕まえるどころか指一本触れらんないっすね」
半ば諦めたように手を振る。
「おまけにリーグまで彼女にくっついてる。宰相に四天王に……こりゃ詰みっすね、詰み」
「アンタねぇ……誇り高きスカーレット公国の秘密情報局の一員がそんな弱腰でどうするの」
「流石の私達でも……ねえ?」
二人の間に重い空気が流れる。
ゴルゴンの女、エステル達の担任であるメルシィと話す彼女、頭と背に蝙蝠のような黒い翼を持つ悪魔族の彼女は公国秘密情報局の一人、ローシャー・リーフ・デルビートである。
そんな彼女は今、学院の生徒としてシンドバッドを監視するという極秘任務を与えられていた。シンドバッドはノースマフィア出身ということがあり、いくらリーヴィハット家の息女の友人だとしても情報局としては到底無視出来なかったのだ。
しかし、国王直属の組織である情報局ではあるが宰相相手ではそこまで無茶の出来る立場でもなく、更に四天王の子供とまで接触されてしまっている為に状況はどんどん悪化していた。
「……でもあの殺気、少し心当たりがあるっす」
「心当たり?」
「『死体祭り』、っすよ」