『何事も無い学園生活』
ーーーキーンコーンカーンコーン、と始業のチャイムが校内に鳴り響く。それはこのホールも例外ではなく、新入生達が入学式の為に集まり、映画館のような赤いシートに座っていた。
薄暗い空間の中でも、入試をくぐり抜けた生徒達は殆どが目を輝かせており、隣の生徒と和気あいあいと喋っていた。
ただ一人を除いて……
私は今、困っている。非常に困っている。
まず、エステルがどこかへ行ってしまった。探したが見付からず、結局ここに一人で来ることになった。それが一つ。
二つ目は……
「シンさん!! 僕を弟子にして下さい!!」
隣の席に座った、私と同じようにスカートではなくズボンを履いた亜妖精の少女がそんな事を突然言い出したのだ。
「……あの」
「実技試験の時の射撃!! 早撃ちもそうでしたけれど的確さにも目を見張る物がありました!! 1.5秒で六つの的を撃ち抜くなんて、とても常人には出来ない芸当です!!」
思い出した。そういえば実技試験の時に後ろで目を輝かせて見てた人がいたんだ。それが彼女だったのだろう。
あまり出来ても不自然だと思い、かといって中途半端に低くて不合格になってしまってもいけないので、ギリギリ満点が取れる程度の技量に抑えていたのだが……もう少し抑えておけばよかったと後悔する私を置き去りに、彼女は立て板に水を流すかの如く話し続ける。
「それも表情を全く変えずに!! そのクールな凛々しい顔のまま淡々とこなしていくあの姿!!」
「え、えっと」
「それに憧れました!! お願いします!! どうか僕を弟子にして下さい!!!」
必死に頼み込まれる。
何故、何故ロクにコミュニケーションもとってこなかった私にいきなりこんな難易度の高い試練が降り掛かってくるのか。エステルがいたら簡単に対応してくれたんだろうが……
「い、今の時代銃の扱いをそんなに上手くする必要はな……いと思うけど」
「とんでもない!! 相も変わらずあちこちにモンスターは蔓延っていますし、それに……」
キョロキョロと周りを見渡して、耳元で囁く。
「ここだけの話、先日エステルさんが誘拐されたそうなんです」
「……」
足をビクリとさせるだけで済んだ。ン"ッ、という声が喉まで来ていたが……偉い、私。
「敵はモンスターだけではないのです。自衛の為にもやはり戦闘力は必要なんです!!」
「そ、そうですか……」
「という訳で僕を弟子にして下さい!! 雑用でもいいので!!」
「えー……」
はっきり言って、面倒臭い。私はエステルと学校に通いに来たのであって、何も他人に戦闘技術を教えに来た訳ではないのだ。勉強や交流に専念したいし、そもそも私は教え方というのは全くと言っていい程知らない。
そんな訳で、露骨に嫌な顔をしてみる。だが、何もしなければ凛々しくも雄々しいであろうその顔を眩しい程に輝かせ、低い背を補うようにこちらに乗り出してくる彼女には効果が薄いようで、一向に引く気配は無かった。
「お願いします!! お願いします!!」
「うー……」
懸命に手を合わせてくるその姿に、心が揺らぎ始める。ここでいつまでも相手をしているのもまた面倒臭いし、とりあえず返事をしておこうか、という方向に歩き始める。
周囲に助けを求めようにも、エステルはどこにもおらず、他の生徒達は各々の仲間達と共に"自らの世界"に入ってしまっていて騒がしいホール内ではこちらに気づく者もいない。詰んだ。
よし、とりあえずここは簡単に返事をしておいて……
と、そこに救世主が現れた。
『全員静粛に!!!』
中に拡声器で拡大された声が響き渡る。それに生徒達は皆一斉に静かになる。無論、それは少女も例外ではなく、頼み込むのを渋々中止して前を向いた。助かった。
薄暗い中で一際目立つ、ライトが集中しているステージの端に、マイクを持った猫徴種の女が話している。配られたプログラムでは司会は教頭だと言っていたから恐らく彼女がそうなのだろう。
うるさい中に少し苛立っていたのか、ピンと立った頭の耳と尻尾が静かになるにつれて少しづつ垂れていく。
『これより、レマリア中央学院第413回入学式を行います。初めに、校長の挨拶です』
そう言うと、ステージ横から黒いスーツに身を包む吸血鬼の老いた男が歩いてくる。顎は長く白い髭に覆われ、教頭とは対照的な穏やかな顔は力無き老人のような印象を一見しただけの者には与える。
その反面、よく見ると分かる無駄の無い動きは一線で活躍し続ける戦士のようだ。公国最大の学校の校長というのは伊達ではないということだろう。
『儂がこの学院の校長、シャガード・グロリア・シャーロットじゃ。今年はいつにも増して優秀な生徒が多い。この老体を楽しませてくれる予感がしてとても楽しみじゃな。皆、文武両道で励むように』
『校長先生、ありがとうございます。全員、礼!!』
ぱちぱちと拍手が鳴り響く中、皆が座ったままで礼をする。
『続いて生徒代表による宣誓です。エステル・リーヴィハット! 前へ』
「……え?」
「エステルさん凄いなあ……僕もいつか……」
え、何、どういう事。えっと、つまりエステルは生徒代表だから居なかったと。
推薦とか言ってたけどそんなに凄い事だったのか……
そんな事を考えていると、横から今朝も見た制服姿のエステルが現れた。瞬間、
「「「キャーッ!!!」」」
と、生徒から叫びにも似た歓声が上がる。見ると、横の少女も上げていた。
それにエステルは、こちらを少し向く。目が合う。彼女の瞳に困惑している私の顔が映る。それに向かってウィンクをした。
それが私に向けられたのか、それとも生徒全員に向けられたのかは分からないが、ともかく会場内の興奮は更に高まり、歓声はとどまることを知らず、開始前の数倍は騒がしくなっていた。だが、
『…………』
教頭の目がつり上がり、耳がピンと立っている。魔法を使っている様子も無いというのに黒いモヤのような物が見える程のオーラ、もとい怒りを放っていた。
それにより気づいた生徒達が静まった。中にはステージの床とエステルの靴が鳴らすコツコツという音だけが響き、校長の前まで来るとそれも止んだ。
暗い中、彼女の凛々しく整った顔に黄金の絹の様な長い髪は光に照らされ、都市に輝く一番星の如き輝きを放っている。その背後に隠れている大きな純白の翼は彼女のそれを引き立てている。
美しい、最初の感想がそれだった。これでは周囲の人々が見とれるのも無理はない。ずっとそばに居た私ですら見とれてしまうのだから。
歌にも似た宣誓を聞き、次に全員の名前が読み上げられた。知らない名が並ぶ中、私も知っているような名家の家名もちらほらと混じっている。
『シンドバッド・リュートス』
「はい」
やがて、私の名前も呼ばれる。リュートスとは、いくつかある暗殺時に使う偽装した冒険者カード、その一つに記載されていた苗字だ。名前だけをシンドバッドに変えて今も使っている。
冒険者カードとは、自分の本名、生年月日、また筋力や体力、魔力など、そしてそれらの総評などを数値化した物がずらずらと記載されているカードである。総評の数値化であるレベルは、入試の時に怪しまれないように少し高めの36にしておいた。
元は遥か昔、冒険者ギルドで依頼を受ける際の効率化の為に発行されていたカードだったのだが、長い時の中で広まり、今や身分証明書の代名詞にまで出世した。
その理由はギルド、そして能力値出力魔法の高い信頼によるものなのだが……偽造カードを使っている身からすれば複雑だ。
ともかく、私の苗字はリュートス。リュートスなのだ。適当な選び方をしたがこれでいいのだ。
『リーグ・ショート・マーガトロイド』
「はい!」
隣の少女も呼ばれて立ち上がり返事をする。
所でマーガトロイドという苗字、どこかで……
「マーガトロイド……?」
「え、嘘、あの?」
「……じゃなかったっけ?」
「ちっちゃくて可愛い……」
付近からそんな小さな声が聞こえてくる。
それで思い出した。マーガトロイド、それはこの国の四中将、聖戦の時代には四天王とも呼ばれていた内の一人、エメラダ・ショート・マーガトロイドの苗字だ。
巨大な銃を手足のように操り、敵が気付けぬ遥か遠方から狙撃して殺す。"姿無き死神"などと呼ばれて恐れられている女。そして、ノースマフィアにも要注意人物として扱われている女だ。
なるほど、通りで彼女が射撃にこだわる訳だ。
「ふふ、驚いてますね」
「まあ……まさかあのマーガトロイドだったとは」
「僕の姉がそうなんです。でも、僕は全然上手くなくて……。
どうしても上手くなりたくて、でも姉は忙しい身ですし、講師を呼ぼうにも全員予約で満杯で……」
なるほど……
「でもそんな時、あなたを見つけたんです! あなたは今までに見たどの講師よりも射撃が上手かった! お願いします! どうか僕に射撃を教えて下さい!!」
「うー……」
静かに叫び、必死に頼み込む彼女の姿。流されやすい私の心はもうさらわれる直前だ。
「うーん……」
わくわくとした目でこちらをじっと見つめてくる。もういけた、そうたかを括っているのだろう。実際、かなり傾いている。
まあそれはともかく。
「やっぱりだめ」
「なんでぇ!!?」
「あ!! シーン!!」
入学式が終わり、ホールから出た所で私を呼ぶ声が聞こえた。緊張から解き放たれたばかりで騒がしい今でも一際目立つその美しい声、間違えるはずもない、その声の主は。
「……エステル……ッ!!」
混雑して到底足では辿り着けないので翼をはためかせて生徒達の頭上を飛び、両手を広げて私に突撃してくる。
彼女は素早い。これでは見切れずに横っ腹にぶつかり、二人共に酷い事になるだろうーーー常人ならば。
だが、対象はこの私。すぐさま体を彼女の方向へ向け、受け止める体勢を整える。
「うりゃーっ!!!」
勢いよくぶつかってくるが、上手く衝撃を逃がしてきっちりと受け止める。彼女の表情は笑顔のまま変わらない。元気な声を出して……恐らく分かってやったのだろう。
「えへへ……信じてたよ」
「もう……全く、無茶をする……」
「ごめーん」
胸元で二ヘラと笑う彼女の顔を見て、こちらも思わず表情が崩れかける。
だが、まずは言っておかなくてはならない事がある。
「何も言わずにどこかに行くのはやめて欲しいかな」
「……ごめーん」
「全く……心配させないで」
「ごめんなさい」
まあ、素直に謝るのは彼女の良い所だろう。
「シ、シンさんはエステルさんとお知り合いなんですか?」
「え、そ、そうだけど」
しょんぼりとついて来ていたリーグが驚いていた。そんな意外……みたいな顔をされても困る。知り合いなら何か不都合な事でもあるのか。
だが、そんな私の予想は全く外れており、彼女は私から正面をエステルへと移す。そして
「エステルさん!! あなたからもシンさんに僕に稽古をしてくれるよう頼んで下さい!! お願いします!!」
公衆の面前で、恥じることなく地面に額を擦り付ける彼女。気付けば生徒達がなんだなんだと周囲に集まってきていた。
「うーん……、どうしよっかな〜」
「エステル?」
だが、こんな状況を彼女は楽しんでいるようにも思える。私はあまり注目を浴びる事に慣れていないので恥ずかしいのだが、やはり登場しただけできゃあきゃあと騒がれる彼女はいる次元が違うのだろう。
腕を組み、ニヤけた顔で悩む。その状態が十秒程続き、やがて答えを出した。
「シン」
「ええ……」
「面白そうだし、やってあげたら?」
「それはエステルだけでしょう……」
ニヤニヤしながら言われては、動く心も動かないというものだ。エステル補正がかかってようやくタイヤが回り始める程度で。
ただ、元々かなり傾いていた事もあり、回り始めた心のタイヤは止まる事はなく、結果。
「……分かった」
「やったあ!!! エステルさんありがとうございます!!!」
飛び跳ねて喜ぶ。
「それはシンに言いなさい。あと、私がいる所でやってね? まあこれからはずっと一緒にいるつもりだけど。大鷲が離しちゃ駄目だもんね〜」
「大鷲? まあともかく、シンさんもありがとうございます!!! 僕、必ず一人前のガンマンになってみせます!!!」
「はあ……」
思わず承諾してしまったが、つくづく面倒な事になったものである。ただ、こうなってしまってはもうやれる事はただ一つだ。
「その代わり、私の訓練は厳しいからね」
本当は、教える側などやった事も無いので厳しいかどうかも予想がつかない。とどのつまりリーグから見て厳しかった時のための保険である。
こう言っておけば文句を言われた時も「初めに言った」と言い放てるというものだ。
「はい!!! よろしくお願いします!!!」
そんな私の思惑も知らずに元気な声を上げる彼女であった。
とりあえず、最初の内は私の受けた訓練の半分くらいの難易度の物をやらせてみよう。あの忌々しいマフィア時代の記憶を蘇らせて、それの通りに、少し難易度を下げてやってみよう。
そんな事を考えている私を、エステルはニヤニヤしながら見つめていたが……
「じゃ、私もついでに教えてもらおうかな。というかその為の条件だしね」
「まあいいけど……」
「じゃあ、リーグとは同じ師匠を持つ弟子同士となる訳だ。あ、リーグの方が先に頼んでたから私が妹弟子になるのかな? まあいっか」
「妹弟子……エステルさんが、妹弟子……」
そんなこんなで、公衆の面前での交渉は終わった。周囲の生徒達はなんだかザワザワとしていたが、エステルがまとめて適当に説明し納得していた。
私が心の奥底で立てていた、『何事も無い学園生活計画』は早くも崩壊に向かっていた。
猫(の特)徴(を持つ)種(族)です。元ネタは勿論すかすかです。
使いたかっただけ(ry