正体
忸怩たる思いだ。自分が今どんな顔してるのか想像もつかない。
「こいつのこと、みえてるか! ……くふふ」
夕飯を食べながら俺はバカにされている。今日も飯は作ってくれた。顔なんて見れない。俺は食卓に並ぶ料理を凝視していた。
「そういう日もありますよ。誰しも勘違いはするものです」
何を言えば良いかもわからない。
「いい加減なんか喋ったらどうですか」
「うう」
「『うう』って。犬かなんかですか」
「はぁ」
「あ、犬で思い出しました。犬を連れてた人の正体は柴田さんでした」
「は」
「犬を見たのは窓からだったんですけど、そのとき見たのは間違いなくあの人です」
「え?」
「どうかしました?」
「でも実際にはあいつ犬なんか連れているわけがない」
「ああ、じゃあ、あの犬はあれかぁ」
「あれってまさか」
「そのまさかが何かは推し量りかねますが多分、……幽霊的ななにかです」
「え? お前見えんの? そういうの」
「はい。だって私幽霊ですもん」
また声が出なくなった。
しばらくして頭が落ち着いた。箸も動かせるようになった。
「お前が幽霊……? 俺にも柴田にも見えるし」
「まあ厳密に言うとちょっと違うっぽいんですけど」
「なんで俺に言わなかった?」
「いやいや、先輩が言わせてくれなかったんじゃないですか。買い物に行ったときに思い出したんですけど、帰ってきて先輩に報告しようと思ったらあれですよ。腕なんか掴まれちゃって」
「うう」
「運動っていうのはいいですね、頭に酸素が回って良く働きます」
「酸素って……お前死んでんじゃないの」
「そこなんですよ。私は死んではいません。ただ生きているかと言われると微妙なところですが」
この辺から平常心を取り戻し始めた。
「どういうことだよ」
「あの瞬間私は生まれたんです。この家のお風呂場で」
「は?」
「だからそれ以前の記憶なんてはなからなかったんです」
「ああ。ああ?」
「だから本当に”思い出すことなんてなかった”わけです」
「なんで? 目的はなに?」
「それはわかりません。生まれてきたばかりの赤ちゃんにその存在を問うているようなものです」
「え? で? 俺は、どうすればいいの?」
「それもわかりませんが、私もずっとここにいるというわけにはいかないでしょう」
「まあ、それはな……」
雲を掴むような話である。状況を整理しようにも、散らかりすぎている。話のエントロピーが最大化している。
かなり遅めの夕飯を食べ終えた。食器を洗うのはあきらめた。明日の朝洗う。今日はもう疲れた。自分で買った布団に初めて入った。
日曜日にしては珍しく午前中のうちに目が覚めた。傀奇も眠そうな顔だが目覚めている。俺は徐に立ち上がると昨日の食器を片付けながら考えた。
(幽霊っているんだ……夢じゃないだろうな……夢? あり得る!)
「なあ、お前って幽霊なんだっけ?」
「そうですよ」
夢ではなかった。
「昨日飽きるほど説明したじゃないですか」
『ピンポーン』
そのとき、呼び鈴が鳴った。
「はいはーい」傀奇が扉を開けた。と同時に叫び声が聞こえる。
「うわ!」
それは傀奇のものだった。
「どうした!?」
「あ、いや、犬が飛び込んできまして……あ、こら!」
犬なんていない。一人で走り回る傀奇の姿しか見えないのだ。
「フー……」
(!)
背後に獣のような気配を感じた。血眼の、今にも襲い掛かりそうな、そう、柴田だ。
「犬が……いる」
「ああ、いるっぽい」
「彼女、見えるのか」
「ああ、見えるっぽい」
「俺、引っ越すわ」
「ああ、それが良い」
「犬は任せた」
「え? おい!」
柴田はそそくさと家に戻った。
「いやー、先輩、犬ってかわいいもんですね」
「飼ったことないの」
「そりゃあ人生数日目ですから」
「ああ、そうか」
傀奇は少し考えたような顔をした後、見えないが多分犬と触れ合いこちらを見た。
「先輩、今までお世話になりました。私は犬と一緒にどこかへ行きます」
「え」
「いつまでもここにいるわけにはいきません」
「もう、行っちゃうのか?」
「え? 淋しいですか?」
「いや、べつに」
淋しいのかもしれないと思った。
「まあ、バイトでもして適当に暮らします。幸い、人には見えるみたいですし」
「そっか。まあ、がんばれ」
「はい!」
荷物という荷物もないが選別にいつも使っているリュックを遣った。
「では」
「おう」
『バタン』
相変わらずうるさいドアが閉まる。その音がかえって部屋の静けさを際立たせた。
と同時にまずいことに気づいた。”いつも使っているリュック”はいつも使っているわけだから、明日使う物がない。買い物に行こう。
外にはすでにどこから借りてきたのか軽トラが一台。柴田も行動力だけは素晴らしいものがある。
「お出かけか?」
「ああ、ちょっと買い物に」
「あの子は?」
「もう家に帰ったよ」
「そっかあ、挨拶くらいしたかったなぁ」
「もう物件決めたの?」
「そう。即決」
「そっか」
「お前も寂しくなるな、二人も一気にいなくなっちゃって」
「まあな。でもおまえはそんなに遠くに行くわけじゃないんだろ?」
「おう、すぐそこのギリギリ犬が付いて来なそうなとこ、まあいつでも遊びに来いよ」
「ん。じゃあ」
「おう」
いつもの百貨店に着いた。悩むのも面倒なので前使っていたのと全く同じものを手に取った。
「はあ」
傀奇との数日も意外と楽しかった。出会いこそ異常だが、いや存在も異常だ、それと関係性も異常だ。思い返せば全て異常だった。が、それが結構楽しかったりはした。目から、汗が……。
その日は柴田の新居で恐山と三人、食うや飲むやのどんちゃん騒ぎだ。明日は昼過ぎからの授業。今日は柴田の家に泊まることにしよう。家に帰っても誰もいないし。
次の日は意外と早く目が覚めた。授業の準備のためにどちらにしろ一度家に寄らないといけないため帰宅。
しかし、鍵を開けるのに手ごたえが無い。しまった、開けっ放しだった。
『ガチャ』
「あ、おかえりなさい」
「は?」
「いやいや、は? じゃないですよ。鍵開けっ放しでしたよ?」
「なぜ、いる」
「だから、鍵が開いてたから」
「一人暮らしするんじゃないの」
「しますよ」
「じゃあなぜここに」
「偶々前を通りかかったので」
「通りかかるって、ここは二階だぞ」
「ええ、だって隣ですから」
?
「だって丁度柴田さんがいなくなったでしょ?」
「まあ」
「それに、犬の霊が出たっていうんでいわくつきになったらしいんですよ」
なるほど。
「でもお前保証人とかいないじゃん? 幽霊だし」
「まあ、その辺は何とかしてくれました」
「誰が」
「大家」
大家は万能であった。
後日談だが、恐山の家のテレビはアンテナの故障だったらしく、本件とは全く関係なかった。
傀奇は学校などには行く気はないらしく、毎日犬と遊んでいる。全く見えないが。
柴田の体調も全快した。
あと完成した公園だが、その界隈ではかなり有名な心霊スポットになっているらしい。夜な夜な一人で遊んでいる女の子がいるとかいないとか。