気のせい
朝だ。というか昼だ。
「ん?ああもう朝?」
柴田は”気持ちの良い朝日を浴びるような顔”をしている。しかし残念ながら昼なのである。
「んーよく寝た。ありがと。今日はちょっと除霊してみるわ」
除霊の前に試すことは山とある気がするが、おそらく気のせいだ。
「おう、がんばれ」
なにを頑張るのかはよくわからない。
「じゃ」
右手を挙げながら一瞥すると柴田は帰った。あるいは霊媒師のもとへと向かった。
目をこすりつつベッドに目を遣ると『まだ朝だ、寝かせろ』という顔の人物がいた。傀奇だった。しかも昼だった。
「もう昼だ。起きろ」
「んん」
「起きなさい」
「んんぇ? ふあーぁ」
何時間寝るつもりだ。こいつは柴田が来る前から寝ている。
「お き ろ」
やっとのことで体を起こしたもののまだ”起床”というにはほど遠い。
「昨日は早起きしてたじゃん」
「そりゃ初夜は気ぃ遣いますよ」
”初夜”という言い方をするな。初夜というのは初めての夜、という意味ではないのだから。いや、そういう意味だけど。少なくとも昨晩はこれに該当しない、ただの初日の夜だ。
「なんだ? もう気ぃ遣うのやめたのか」
「そういうわけではありません。先輩との心の距離を縮めようという後輩なりのアレです」
絶対にあくびをしながら言うセリフではない。
と、特に何をするわけでもなく日が赤くなってきた。
「なんか聞こえませんか」
突然傀奇はそう言った。
「なんか聞こえるな」
「歌、ですかね」
「歌にしては高低がない」
「お経、とか?」
違う、除霊だ。本当にやるとは思ってなかった。
「多分隣からだ」
「え?お隣さん……亡くなったんですか?」
「違う、ただの除霊だ」
「ああ、ただの」
「そう、ただの」
こいつは何に納得したのだろうか。いやにすっきりした顔をしている。
――「いや、ただの除霊なんてないだろ」
「ですよねぇ!」
勢いよく顔を乗り出してきた。
気づくといつの間にか声は止んでいた。
「ところでまだなにも思い出せないの」
「ああ、忘れてた」
「何を」
「思い出すのをですよ」
目は一切こちらを向いてない。俺の漫画に夢中だしかも口には当然のことのようにアイスが咥えられている。
「まあ、家に閉じこもらせといて何か思い出せ、という方が無理があると思います。思いません?」
挑発するように、人をムカつかせるのに最適な語り口でそう言った。
「じゃあ……ちょっと外出るか?夕飯の買い出しだ」
「一緒にいるとこ誰かに見られたらどうするんですか?」
間髪入れずにそういった。ひそめる眉は残っていなかった。
いずれにしろ買い物には行く予定であったが、気が変わった。こいつに行かせることにした。
「誰も二人でとは言ってない。お前ひとりで行ってくればいい」
「……はぁ」
――『ガチャ――バタン――』
なんだかんだ行くのがこいつの良いところではある。
――――『ドーン』
とんでもない音がした。音が止む気配はない。
どうやら工事みたいだ。そういえば昨日向かいで工事しているのをちらっと見た。以前から行っていたものが本格化してしまったようだ。
『バタン』
今度はまた違った音が聞こえた。玄関に立っていたのは昨日の化け物のような目をした男ではなく、柴田だった。
「勝った」
不敵な笑みを浮かべる。
「誰に」
「病気、いや”幽霊”に」
確かに体調はすこぶる良い様に見受けられる。
「原因はやっぱり霊的ななにかだったのか?」
「ああ、なんでも犬の霊だったらしい」
犬の……霊? こいつは幽霊にアレルギー反応を起こしていたのか……?
「俺は幽霊にアレルギー反応を起こしていたみたいだ」
あっけらかんとした態度のせいで本当に幽霊がいるような気がしてきた。
「その犬はどこから付いてきた、というか憑いてきたというか……」
「それが意外なところに原因があったんだよ」
「意外なところ?」
「そう、工事だ」
「あの向かいでやってる?」
「そうそう。あれ、公園を作ってるらしい」
「誰情報だよ」
「大家」
「大家何でも知ってるな」
「大家何でも知ってるんだよ」
「で、その公園と犬と何の関係があるんだよ」
「公園と犬は何の関係もないよ」
……俺は今まで何の話を聞かされていたんだ。
「関係があるのはその前だ」
「前?」
「そう。あそこ何があったか知ってるか?」
「何って、草ぼうぼうの土地だったろ」
「その前だよ」
「それは知らねえよ。お前知ってんのかよ」
「もちろん。あそこは古っるーーい墓だったんだ」
墓……心が少しざわついた
「見たような口ぶりだな」
「まあ見たことはないんだけどね」
「じゃあなんで知ってんだよ」
「え? 大家」
「全部大家じゃねえかよ」
「そう、全部大家なんだよ」
理由はわからないがしたり顔である。
「それでそこにいた犬の霊が出てきちゃったのか」
「どうもそうらしい」
「……本当かぁ?」
「大家とお坊さんが言ってたんだから間違いない」
柴田って、バカ……なのか? まあでも体調が戻った嬉しさで気分が高揚している部分はあるのか。プラシーボじゃないのか。そもそもあそこに墓があったなんて話は聞いたことがない。しかももし墓なら……
「うーん……墓って幽霊でないんじゃないの?」
「え? そうなの?」
「ちゃんと供養されて墓に入ったらもうこの世にはいなくなる、みたいな話は聞いたことあるぞ」
「まじかよぉ。じゃあ気のせいなのか?」
「さあ」
危ない、柴田に言いくるめられるところだった。
「まあ気のせいでも良いんだ、体調も良いし」
「それなら、まあ、良かった」
「おう、用はそれだけだ、じゃあな」
『バタン』
今度こそ正真正銘、一人の時間だ。やけに久しぶりな気がする。
「幽霊ねぇ……」
まあ犬の霊アレルギーっていうのも面白い話ではあるな。小噺としては使えるネタだ。墓の話は本当だろうか。まあ墓地……じゃない。草地だったんだ。てことは誰も管理していなかった……。供養なんてされてるはずない……無縁仏…………犬の? そもそも犬の墓なんてあるかよ、最近だとペット”葬”なんて話もあるけど、”古い墓”なんだろ?大家曰く。だったら犬なんて適当にその辺に埋め……。あれ? ろくに管理されていなかった犬の墓を、今工事……ってことは……掘り起こしたってことか?大家の話が本当なら『犬の霊アレルギー』も現実味を帯びてくるな…………ん? もう一人……傀奇? あいつがこの家の風呂場にいたのは一昨日だ。そして柴田が体調を崩したのは……次の日の朝……工事が始まったのもその辺だ。傀奇は鍵のかかったこの部屋になぜか入れた……。そういえば犬を見たって言ってたな。幽霊同士ならあるいは……。まさかそんな怪奇現象が……怪奇現象……恐山がなんか言ってた? テレビがどうとか……。そうだ、あの日は俺もテレビをつけたけどまるで頭に入ってこなかった、関係あるのか?
あ、昨日柴田が来たとき傀奇がベッドで寝ていたのに、なにも反応していなかった。あいつは犬が見えてなかったから霊感はない。じゃあ見えてなかったってことか……。
一人でいるのが心細くなってきた。静かな部屋に工事の音がこだまする。
その瞬間、ドアがゆっくりと音を立てて開いた。
「先輩……」
「傀奇!」
「え?」
気づいたら腕をつかんで部屋を出ていた。確かめなければならないと思ったのだ。
『ピンポーン、ピンポーン、ピンポーン』繰り返し呼び鈴を鳴らした。
「なんなんですか、急に。先輩? 様子がおかしいですよ?」
変な汗が出てきた。
『はい』
「柴田! 今すぐ出てこい!」
『どうしたの』
「良いから早く!」
「なんかあったんですか? ねえ!」
戸惑う傀奇。
まもなく柴田が現れた。
「はいはーい」
「おい!」
「なに」
「こいつのこと……みえてるか……?」
「え?」
変なものを見るような目で柴田は俺を見た。俺の心臓は人生で一番動いていた。
「こいつのこと見えるかって聞いてるんだ!」
「え?……うん」
――――――「え」
「あ、どうも」
「妹? なんていたっけ?」
「いえいえ”親戚の子”です」
「え」
言葉が出なかった。
「ああ」
これが限界だった。