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結局、僕は友達ができない。  作者: 悲しみのジョー
2/3

青年期

 中学一年生。

 小学校時代の後半はいくらか巻き返せた感があったが、やはり不登校の痛手は大きい。

 心機一転、中学校から頑張ろうと思っていたかと思う。

 そして、クラス分け。

 僕は見事、当時、一番仲の良かった友達と同じ組になれ、安堵の気持ちになっていた。

 また、新しい友達もでき、またその友達と友達になるといったように、輪をかけて人生が上手くいっていた。

 勉強面ではやはり芳しくない傾向にあったが、部活もそれなりに楽しんでいたし、人生初の彼女ができたりもして、今思えば健全な中学一年生を送れていたように思う。

 しかし、すぐに問題は起こった。

 彼女に即行でフラれたのである。

 当時、初めてできた彼女だったため、どうすればいいか分からず、とりあえず彼女と遊ぶ約束をして、そこに自分の友達も連れていき、僕と彼女が遊ぶところを、友達には少し離れたところで監視してもらうという謎の奇行に走ったことが原因だったのだろうか。写生会で神宮を描いているときに、女子の二人組が寄ってきて別れの言葉を伝言されたのである。

 でも、この事件はそこまで引きずらなかったように思う。

 僕は、欠席日数が数日程度で無事、中学一年生を乗り切った。

 しかし、中学二年生。問題はここで起こった。

 二回目のクラス分け。気をつけなければいけないのが、三回目のクラス分けはないということ。つまり、このクラス分けでハズレを引けば、二年間ドボンというわけである。

 そこで僕はハズレを引きましたwww

 クラスのなかに仲の良い人がいないwww、皆、固定グループができちゃってるから、後からそこに入りづらいwww、担任の先生が短気で気性が荒く、すぐに怒鳴り散らかしたり、物に八つ当たりしたりする糞ゴリラwww、…………おわた。

 僕は即効で不登校に返り咲いた。

 「咲いた」というよりも、「散った」と表現したほうが適切な気もするが、とにかく担任の糞ゴリラは生真面目な性格で、僕のマイペースなスタンスが気に食わなかったらしい。すぐに目をつけられ、先生中の間で僕の存在は軽くブラックリスト扱いだった。とにかく僕に対して厳しく、冷たい。一年の頃には「お前すげーな!」と褒めてくれたあの先生も、糞ゴリラ側につき、たまに学校に来る僕に対し、「お前それでいいの?」と見下すように目をそらし、鼻で嘲う始末。

 良いか悪いかの判断くらい、いくらアホな僕でも分かっていた。

 でも、クラス分けという運ゲーに負けたこと。そして、先生中に疎まれてしまったこと。

 そして、友達が離れていってしまったこと。

 クラス分けによって物理的に離れていってしまったこともあるが、ほかにも、僕と一緒に行動することによって先生の怒りのトバッチリを受けてしまうらしい。

 それなりに勉強のできるやつは、高校受験のことを考えてか、内申点が下がることを気にしている。

 僕は、今まで仲が良いと思っていたやつらが、自分に対してなんか微妙な態度で接するようになったとき、その居心地が悪く、何も言わずに距離を置いた。しかし、今思えばそれでよかったのかもしれない。

 どこの高校を卒業したかという、いわば「学歴」は日本社会では無視しきれない。

 僕と無理につるむことによって、彼らの人生を狂わせかねなかったのならば、距離を置いたことは"友達として最善の選択"だったのではなかろうか。そう思う。

 僕は不登校のまま中学を卒業し、誰も進学しない定時制高校に進学した。

 定時制高校、通称「定時制」では、生徒の年齢層がさまざまだった。

 同学年でも自分と同世代の人は逆に少なく、二つ三つ上の人たち、いわば一度全日制高校に入学するもドロップアウトして定時制に流れ込んできた人たちが多い印象だった。

 ほかにも、定年後だろうか? 七十代のおじさんが同学年にいたりもした。

 とにかく、それぞれ共通するのは、「ワケあり」だということであろう。例にもれず、自分自身もそれに該当するわけだが。

 でも、そのようなちょっと奇妙な高校生活に、何かを期待する自分もたしかにいたのである。

 定時制には小・中の頃と同様に「給食」がある。

 午後五時ぐらいから始まる一限目を終えると給食の時間だった。

 中学からの友達もいなければ、高校での友達もできていない。むしろ作る気力を失っていた。結局、僕は友達ができないのだから。

 なんて、そのような感傷ムードでもなかったような気がする。あー、そうだ。思い出した。『デスノート』だ。その頃、僕は『デスノート』にハマっていて、「L」を通り越して「(ライト)」を好きになっていた。好きを通り越して自分が「(ライト)」だと思い込んでいた。とても痛い。

 それでボッチのくせに胸の内で、(僕は新世界の神になる……)とか思いながら意気揚々と食堂への道のりを歩んでいたのである。河合荘。

 記念すべき第一回目の献立は、その味や匂いとともに今でも記憶に残っている。ナポリタンだ。

 三次元の「(ライト)」になるべく、僕は勉強を頑張っていた。最初の定期テストでは学年三位だった。定時制なのでそれがどうなのか、よく分らんが。

 そのようなことから、給食は割とガッツリめに食べていたのである。

 ナポリタンのおかわりを取ってきて、席に着いたときのことである。

 さて、食うぞとばかりにナポリタンを巻いたフォークを口に運ぼうとしたその瞬間、見知らぬ男が僕に話しかけてきたのである。

「ナポリタン、おかわりしていいの?」

 質問の意味が分からなかった。いや、答えとしてはイエスなのだが、それをなぜ僕に直接言いにきたのか。

 しかし、その疑問はすぐに解決することになる。

「俺たち、今日から友達な。よろしく」

 僕に興味を持ったらしく、話しかけてきたのである。あとから聞いた話だが、「仲良くなれそうだったから」と本人は言っていた。

 加えて、ナポリタンのくだりは、周囲の人間から「おかわりOK」を伝えられ、笑い流していた。そして、その流れからこの言葉を発してきたのである。

「うん」

 とりあえず、僕はそう返事をした。

 そして、互いにふざけた笑みを浮かべながら握手をし、「うぇーい」と意味のない音声を発して、給食を後にした。

 この男とはそれなりに長い付き合いになった。

 話していて面白かったから、よく遊んでいたし、カラオケに連日で通ったり、真夜中に高校の前で謎の演技を熱演して通報されたり、とにかくいろんなことをした。

 また、この男を中心に、それなりに友達もできていった。そのなかには男もいるし、女もいるし、今思えば、定時制でもそれなりの青春は送れていたんじゃないかと思う。当時、ブームだったお笑いコンビ「はんにゃ」のボケ担当「金田」が好きで、その再現のあまり、周囲と喧嘩したこともあった。まさか相手の形相が般若になるとは思わなかった。まぁ、それも青春の1ピースである。

 しかし、その楽しい日々も、いつかは終わりを迎える。

 そもそもの始まりである、あのナポリタン男は中退した。

 そして、青春を謳歌しすぎた僕は留年している。

 また、僕は一人になった。

 しかし、僕は中退はしなかったよ。

 この頃、僕には今も付き合っている彼女ができていた。

 その彼女に言われたような気がする。「高校ぐらいは出て」って。

 今思えば、なんで学歴を気にしてくれたんだろうか。きっと、僕よりも先のことが分かっていたからだろうか。いや、どうだろ。分からんばい。

 そして、五年をかけてなんとか高校を卒業した。

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