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結局、僕は友達ができない。  作者: 悲しみのジョー
1/3

幼児期~児童期


 結局、僕は友達ができない。


 そんなことを思い始めたのはここ数年来のことだ。

 なぜそのようなことに至ったのか、軽く経緯を説明しようと思う。

 まず、僕のなかの一番古い記憶の自分は、おそらく三歳ぐらいで、気質は"やんちゃなシャイボーイ"だった。

 家が居酒屋やタイの輸入品などを扱うお店を営業していたり、近所の人と交流を図っていたりしている場面が記憶に残っていて、今分析してみれば、人間の多い環境下にあったかと思う。

 そして、幼稚園や保育園の頃の記憶にスライドするわけだが、このなかの自分もやはり、"やんちゃなシャイボーイ"の気質をキープしている。

 大声や奇声を上げて友達と一緒にキャッキャッと騒いでいたり、そうかと思えば、何かの発表会や催し物などとなると、急にしゅんと萎んでしまう。周りから注目を浴びていると感じていたからだろうか?

 また、お化け屋敷では人間が扮装したオバケや、室内の薄暗い雰囲気に飲まれ、大号泣した記憶がある。これに関してはしっかり顔面ドアップで写真が撮られていて、言い逃れできない事実である。

 そのようなチキンハートを持ちつつも、僕は小学生になり、新しい人生を歩み始める。

 僕が最初に入学した小学校は、この少子化のご時世には珍しく、十三組までクラスがあった。

 僕のクラスは三組だったが、その教室の人数は四十人くらいだった気がする。

 だから、単純計算で40×13は……(パッと出てこない。これが老いか)、520。一学年で520人ぐらいはいた学校だった。ちなみに田舎である。

 やはりそのなかでも"やんちゃなシャイボーイ"気質は健在で、いや、むしろこの頃からその気質は加速度的に鳴りを上げてきたのかもしれない。

 というのも、僕は改名を考えていた。

 "自分の名前を変えたい"と思ったからである。

 僕はその案をシャイボーイながら、担任の先生に幾度か相談してみた。

 そしたら、たぶん二回目ぐらいで先生にブチギレられたのである。それも、四十人ぐらいの児童がいる教室の中心で。

 役所の手続きが大変だ、とか言ってたような気がする。しっかり覚えていないが、おそらく僕は泣いていただろう。チキンハートだからね。

 ほかにも、ポケモンが好きだったので他人のポケモン柄のナフキンを盗んだり、遊戯王も好きだったので他人のデッキを盗んだりもした。

 しかし、子供だからやり方が甘いのか、その悪事はすべて見破られ、公開処刑に陥った。

 ある時、担任の先生に埴輪が大量に置いてある図工室に連行され、「君を警察に連れていく」と言われた。僕は終わったと思った。

 先生が僕の腕を掴み、大人の力で引っ張っていこうとするなかで、僕は子供の最大限の力を振り絞り、それに抵抗した。

 泣きながら謝罪の言葉を連呼していたことも働いたのだろう、先生はその握力を弱めてくれた。

 まぁ、こんな人間として最低なことをしていれば、"友達ができない"のも当然である。

 突然だが、僕は転校する。

 親が少し離れたところにマイホームを買ったからである。ちなみにバブル崩壊の影響を受けてか、居酒屋なども畳んでいた。

 小学二年生になった僕は入学早々、やらかす。

 入学式だったか、全校集会だったか、なんだったか覚えていないのだが、体育館に集まるアレである。

 僕はマイクを持たされ、転校生としての自己紹介を迫られた。急に言われたので、完全なるアドリブである。

 喋った内容は覚えていないが、チキンハートなシャイボーイは当然、気が狂っていたことだろう。

 そして、その精神状態が次の問題の引き金を引くこととなる。

 マイクでの自己紹介を終えた僕は、背の順だか、出席番号順だかに並んでいる自分のクラスの列に戻ろうとした。

 そしたら、クラスの皆が歓迎してくれていたのか、「うぇーい!」とばかりに手をかざしてきて、ハイタッチを求めてきた。

 (これを一クラス分、全員やるのか……)

と思いつつも、やらないわけにはいかなかったので、半ばやっつけでハイタッチし返していた。

 この怠惰な心情と、先の精神異常、そして生来の気質であるシャイな部分が出てしまったのだろう。僕は一人の男子だけ、ハイタッチし返せていなかったのである。

 この事件はたちまち教室中に広まり、僕は入学早々、イエローカードを出されたような状態に陥った。

 これが引き金になってか、僕はさっそく陰湿ないじめ(?)に遭う。

 ある日の算数の授業のときである。

 かけ算を一の段から九の段まで、すべて言い切るという時間があった。しかも、それを一人ひとり黒板の前に出てきて、皆に発表する形でおこなうのである。とんだスパルタである。

 頭が悪く、笑いのセンスもない、ましてや入学早々、悪い噂を流されている僕が教壇の前にいけば必然の状態になる。

 そう、皆、一斉に教科書を閉じ、睥睨した目つき及び表情にて、僕自身を痛めつけてくるのである。

 小学二年生なりに、(教科書を閉じたのは、答えを見られないためだろう……)、(あの嫌そうな顔は早くしろという合図だろう……)ということを、その一瞬の空気感で察していた。

 結局最後までは答えられず、タイムオーバーになった僕は顔を真っ赤にして自席へと戻ったが、その恥ずかしさ以上に虚しさがこみ上げてきていた。

 しかし、決定的に僕だけが悪いことも、僕はしていた。

 例えば、記憶に残っているものでは、まず掃除の時間である。

 体育館の床を雑巾で拭くとき、雑巾のうえに手を置いて、クラウチングスタートのようなフォームで床を上下に拭いていくアレのときだが(時折、レース形式になり、勝つとただ嬉しい)、僕の後方で拭いていた同級生を、僕は右足で思い切り蹴っていた。最低な野郎である。

 おそらくレース形式に発展していたのだろう、脚をばたばたさせるにかまけて、これぞとばかりに渾身の一撃をかましていたのである。

 当然、それからその同級生には一生嫌われていた。

 そして、別のエピソードもある。

 これは、またもや盗みである。

 当時、「任天堂64」というハードが流行っていて、こと『大乱闘スマッシュブラザーズ』や『マリオパーティー』などが流行っていた。

 僕は手当たり次第にそれらのカセットを盗んでいたのである。 

 今思えば、とんでもないサイコ野郎だと、自分でも思う。そりゃ、友達もできねえや。

 そんなこんなで僕の異名はみごと「泥棒」となった。

 ただ当時の僕は「泥棒」という響きがあまり好きじゃなかったので、「盗人(ぬすびと)と言ってくれ」と言っていたように思う。そして今だったらさらにカッコよく、「The infamous thief(悪名高き盗人)」かなぁ、と思う。※成人した現在では、無事更生しております。

 とりあえず、そんな感じで即行で嫌われ、僕は無事、不登校になった。

 普通にもう人生詰みである。

 優等生とか秀才とか、神童、エリート……、もうそんなものとは、おさらばである。

 もう僕はアウトローで生きていくしかない。

 別にそんなことは考えていなかった。

 え? だから、あれですよ。普通に当時、僕は『ロックマンエグゼ』にハマっていたので、それに熱中していたのです。

 ほかにも『ポケットモンスター サファイア』とか『ソニック』とか、カードだったら『デュエルモンスターズ』とか『遊戯王』とかね。

 不登校で枯れ果てた僕だったけど、そんな滅茶苦茶な僕を面白がってか、遊んでくれる友達が数人いた。

 皆が学校の間は、僕は一人でゲームを進めたり、デッキの構築を再考したりと、飽くなき探求心を追求していた。

 そして、彼らが義務を終え、帰還するとともに合流し、僕の研究結果を対戦や勝負といった形で見せつけ、唯一の自己肯定感に浸っていた。

 かけ算もろくにできなかったやつが、そのような局面になると頭の回転がスピーディーになるらしく、ライフポイントの計算や戦略の緻密さ、コントローラーを用いた複雑なキャラクター操作など、すべてにおいてパーフェクトヒューマンになっていた。

そして、そんなことを繰り返して、いつに間にか小学五年生である。

 三年間、学校に行ったり行かなかったりと、半不登校みたいな生活を送っていたわけだが、この小学五年生の時期に転機を迎える。

 走りが早いという理由で、人気者になったのである。

 意味不明である。今まで半不登校だった人間が、なぜいきなり人気者になれるのか。

 その正体は、"友達"である。

 半不登校だった時期に遊んでいた彼らそのものが、人気者だったからである。

 見事、その恩恵にあずかることができた結果として、たまたま自身も人気者に成り上がれたというわけである。

 どのように恩恵にあずかれたかといえば、まず人気者になれる友達はそもそも面白い。

 そういうやつと遊んでいく過程で、知らず知らずのうちに自分自身の感性も培われていったのだと思う。

 どのように培われていったのかといえば、まず気持ちが豊かになるから声も大きくなる。

 教室に入ったときの第一声の挨拶「おはよう!」。これが最高に気持ちいいやつだと思われていたに違いない。よって、人気者になる。

 また、正のスパイラルは止まることを知らず、部活にも積極的に参加するようになる。

 陸上部・ソフトボール部・駅伝部など、大して興味があるわけでもないスポーツでも、よくつるむ友達がその部活に入るとなれば、その友達とつるみたいがために、自分も部活に入る。

 そして、頭が悪かった代わりに運動面では一目置かれる存在だったため、どの部活でもそれなりにいい動きを見せられていた。ごめん、嘘。盛った。球技は苦手だったからソフトボール部では二軍だったし、駅伝とか寒い時期だったから外走りたくなくてよく無断で休んでた。んで、レギュラーだったのが補欠にドロップアウト。普通に微妙な感じでした。

 ただ、ゴーレム並みに単純な僕は、まっすぐ走るだけ&個人競技の短距離走は割と得意だった。

 それで陸上部ではリレーの第一走者に選ばれたりしていた。

 でも、大会とかに出ると全然ダメだったので、結局、校内止まり。校内でちょっと速いやつ的な。

 でも、本当に速いやつって二走とか四走を走るイメージだから、結局校内でも微妙なやつでしたw

 ただ、そのような活発な生活を送っていくなかで、なんか徐々に頭も良くなっていった。

 朝の部活に参加していたから、その影響でα波がチョチョり出てたのかもしれない。

 僕のポテンシャルは解放され、記憶力・集中力等、最大限に高まっている状態で授業を受けていたから、最高の吸収力を発揮していたのかもしれない。

 まぁ、算数とか理科とかは不登校の時期があったから、基盤が築かれていないという苦手意識で諦めていた。

 社会もなんかむさくるしいし、音楽とか楽器わけわからん。

 まぁ、だから国語・図工・体育ぐらいかな。人並になれたのが。感覚派。

 え? 頭良くなってないじゃんって? いやいや、元から比べたら成長したねって話ですよ。中の下。

 んで、そんな感じで小学五年生は皆勤賞。不登校からの皆勤賞は凄くない?

 小学六年もだいたいそんな感じなんだけど、徐々に思春期に入っていったこともあって、内向的な側面が前に出ていき始める。

 声も少し低くこもった感じになっていき、授業中の音読も流暢さが低下し、たまに噛んだりするようになった。自分から挙手して読んだのに、上手く読めなかったときの気まずさが今でも記憶に残っている。

 それでも小学五年の頃の勢いのままに、小学六年の時期も二、三回欠席した程度で通学できた。

 また、そのうちの一回は卒業式である。インフルエンザにかかり、悲しい結末を迎えた。


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