師匠と会話が2ターン以上続く奇跡
「師匠ー! 大変です! 見てください、師匠!!」
勢い良くアトリエの扉を開け広げて、師匠を呼ぶ。
大きなトカゲは頭の上だ。何だかおさまりがいいらしい。
一瞬だけこちらを向いてくれた師匠が、興味なさそうに切れ長の目を逸らせた。
何食わぬ顔でバラの棘を落とす姿に、苛立ちが募ってくる。もう! 地団駄を踏んだ。
「師匠! タマゴの中身が出てきたんですってば! この子一体何なんです!?」
頭から下ろしたトカゲを師匠の前へ掲げるも、琥珀色の目は一瞬すらこちらを向いてくれない。
だらりと垂れた爬虫類は、かぱりと口を開くのみで、鳴き声もなく静かだった。
「知らん。お前に任せると言った」
「ああっもう、師匠の放任! この辺の死蔵書、借りますからね!」
知ってた!! 師匠が放任なんて、ずっと前から知ってた!!
再び頭の上にトカゲを戻して、ずんずん本棚へ近付く。ええっと、生きもの図鑑、生きもの図鑑……。
いいや! 片っ端から持ってっちゃえ!!
苛立ちに任せて運んだ図鑑を、机の上にどすんと置く。ううっ、腕ががくがく震えてる……!
何度も師匠のところへ行き来したくなくて、欲張って分厚い図鑑ばかり選んだけど、あとでこれを戻さないといけないのかー……。
返すときは分割して運ぼう。僕の腕が死ぬ。
重たく溜まった息を吐き出して、頭の上のトカゲを下ろす。
ぷらん、垂れ下がった手足が、ぱあっと広げられた。
間抜けな顔がかぱりと口まで開けるのだから、苛立ちなんて忘れて笑ってしまう。かわいいじゃないか。
「大きなトカゲかー」
机にトカゲを置いて、濡れた服を着替える。
……結構派手に濡れていた。シャツとかどうやって濡れたんだろう? ……図鑑、大丈夫かな?
積み重ねた図鑑を側面から確認する。……よかった、大丈夫っぽい。
一番上のものを引き摺り下ろし、目録を捲った。
……爬虫類……トカゲ……とげとげの生えたトカゲ……羽のあるトカゲ……。
頁を捲るも、該当する生きものが見つからない。
ううん? もっと爬虫類に詳しい本がよかったのかな?
まじまじ、ひなたぼっこしているトカゲを見詰める。上体を反らせて、短い前足でふんばる姿には愛嬌があった。
ええと、色は白で、青い鱗も生えていて、とげとげは首の周りにあって、尻尾は長い。
うんうん唸りながら図鑑を閉じ、次の図鑑を手に取る。
気付けば日差しは位置を変え、トカゲもひなたの場所に合わせて、どっしりと日光を浴びていた。
「……そうだ。名前どうしよう」
ひとり呟き、背凭れに身を預ける。トカゲは瞼を閉じていて、のほほんとしていた。
もうタマゴじゃなくなったから、『タマゴ』と呼ぶのはおかしいし。シロ……なんて、師匠のネーミングセンスと同じじゃないか!
ううん、保留保留! もっとかっこいい名前を考えよう!
ゆるゆる首を振って、図鑑へ顔を戻す。
捲った頁に描かれたスケッチ画。その絵を見た瞬間、これだと閃いた。
隣に書かれた生態なども確認して、トカゲの両脇を抱え上げる。
ぷらんとぶら下がる肢体は、抵抗もなく大人しかった。
「きみの名前が見つかった!」
晴れやかな気持ちでトカゲの顔を見詰め、名前と種類を告げる。
のっぺりとした顔は相変わらずのそりとしていて、何だか微笑ましかった。
トカゲを抱えたまま階下を目指し、師匠のアトリエを開く。
「師匠!」
……呼んでも顔を上げてくれないのなんて、慣れっこだ。
「あんら、アオイちゃん。どうしたの?」
「ドーリーさん、聞いてください! この子が誰か、わかりました!」
「まあっ、本当に?」
代わりに相手してくれたドーリーさんへ笑顔を向け、安楽椅子に座る師匠の前まで歩み寄る。
俯いて本を読む師匠の真ん前に、トカゲをぷらんと垂らした。
「フトアゴヒゲトカゲです」
「……は?」
「ですから、フトアゴヒゲトカゲですって」
「…………」
師匠が唖然とした顔を上げた。久しぶりにこちらを向いた保護者に、嬉しくなる。
どうだ! 師匠へフトアゴヒゲトカゲを見せる。
琥珀色の目が、まじまじと白い生きものを見詰めた。次いで、頭痛に耐えるような顔をする。
……なんですか。その反応。
「何故そう思った?」
投げかけられた尋ねる声音に、ぱっと気持ちが華やぐ。師匠が断定的な物言い以外をするのって、すごく久しぶりだ!
「図鑑に載っていたのですが、フトアゴヒゲトカゲは大きめのトカゲで、首の周りにとげとげの突起物が生えていているんです。白色の種類もあるそうで、これしかないと!」
羽はあれだ。なんか誤差だ!
腕が疲れたのと、僕は次にやることがあるので、トカゲを師匠の膝の上へ下ろす。
まじまじとトカゲと見詰め合う師匠を置いて、踵を引いた。
「フトアゴヒゲトカゲ、葉っぱも食べるそうなんですけど、肉食なんですって。なのでこれからコオロギを捕まえてきます。師匠、その子のこと、しっかり見ていてくださいね!」
「……アオイ」
久々に呼ばれた名前に振り返る。
……師匠が僕の名前を忘れていないことに、ちょっとだけ安堵した。ほら、師匠は忘れっぽいから。
立ち上がった師匠がトカゲと本を安楽椅子の上に置き、プランターから一本茎を手折る。その先がこちらへ向けられた。
「花を編め」
「……珍しいですね。わかりました」
「あら! あたし久々に見るわ。アオイちゃんのお花!」
手のひらを合わせて喜ぶドーリーさんに、えへへと照れ笑いを浮かべる。
僕の特技は、花を編むことだ。何てことはない、言葉の通りだ。
町のご婦人方や小さな子どもに喜んでもらえたり、はたまた奥さんのプレゼントにしたいと、ご主人方からお願いされる特技だ。
「師匠、ご要望は?」
「青いバラ」
「……随分メルヘンな注文ですね。わかりました」
青いバラなんて、おとぎばなしでしか見たことがない。上手く編めるといいのだけど……。
師匠の差し出す茎を両手で包み、ゆっくりと開く。
零れた淡い光の粒子とともに、幾重にも折り重なった青バラが花開いた。……よし、成功。
「いつ見ても見事なものね~!」
「えへへ、ありがとうございます。ドーリーさんにも編みましょうか?」
「あんら! いいの!?」
「もちろんです」
うっとりとしていたドーリーさんの手へ、握った手を広げる。
零れ落ちた青バラは二回目とあってか、さっき編んだものよりも色鮮やかに生成できた。よかった!
「まあっ、素敵! アオイちゃんのお花、いつ見ても惚れ惚れするわ!」
「喜んでもらえて嬉しいです。……僕も師匠みたいに、花じゃなくて、火とか水とか出してみたいんですけどねー」
「アオイちゃんは、エレンみたいに物騒にならなくていいのよ」
ご満悦といった顔でドーリーさんに頭を撫でられるけれど、本当はこんな女の子っぽい特技じゃなくて、師匠みたいに自在に火とかを操ってみたい。憧れだ。
けれども師匠が教えてくれたのは、花の編み方だけだった。
以前に、水を操ってみようとこっそり練習したことがある。滅多にないくらいに師匠から怒られたので、やめたけど。
無茶苦茶な馬鹿力で腕を引かれて、思わず肩を脱臼しかけた。……それ以来、やっていない。
水が操れるようになったら、植物の水遣りとか、洗濯とか、楽になるんじゃないかなーって軽い気持ちだったのに……。
憧れなんだけどなー。胸中でもう一度呟いて、曖昧に笑う。別の言葉を口にのせた。
「それじゃあ僕、コオロギ捕まえてきますね」
「必要ない」
「そんな、タンパク源は必要ですよって、なにしてるんですか!? 師匠!!」
端的な声へ振り返り、驚いた。
師匠は先程僕が編んだ青バラをむしり、トカゲへ食べさせていた。
舞い落ちる花びらへ向けて、懸命に開かれるトカゲの口。慌てて抱き上げるも、大輪だったバラは小振りなバラにまで縮められていた。
「なんてものあげているんですか、師匠!! お腹壊したら、どうするんです!?」
「こいつの主食だ」
「そんなわけないでしょう!?」
「こいつも、不要なものは食わん」
無愛想な顔が突き出した残りのバラを、大口を開けたトカゲが、ばくん!! 食べてしまう。
口からはみ出た花びらがもしゃもしゃと飲み込まれ、満足気に空っぽになった口が開かれた。
そのまま僕の腕の中で、もぞもぞと丸くなって寝息を立て出す。すぴー、心地良さそうな鼻息に唖然とした。
「ええっ、ほ、本当にバラ食べるんですか……!?」
「青バラを一日に一輪与えろ」
「リンゴは……?」
「嗜好品だ」
「コオロギは……?」
「食わん」
淡々ともらえた返答に、はわわと震える。そんな、なんてメルヘンな食事なんだ……!
「そういえばアオイちゃん、その子の名前、どうするの?」
ドーリーさんに尋ねられて、はたと意識を切り替えた。ひんやりとした間抜け面を見下ろして、えへへと笑みを浮かべる。
「クランドって、どうでしょうか?」
「あら、かっこいいじゃない!」
「……蔵人より、殻人だろう」
「何で師匠、わかっちゃったんですか!?」
ぼそりと呟いた師匠の正答に、むむむ、と口を噤む。そんなに捻りがなかったのかな……?
師匠の死蔵書のどこかにあった単語から、意味は違うけれども拝借した。クランド、タマゴから出てこなかったから……。
眠ったクランドをドーリーさんの前へ差し出す。ひやひやと鱗を撫でた彼が、ぱっと瞳を輝かせた。
クランド、はやくドーリーさんにも慣れてほしいなあ。