強攻策ってよくないと思う
「ははっ、しんど……。頭ぐらぐらするわ。きもちわる……」
「大人しくベッドで休んでください!!」
「むりむりしぬしぬ。明日起きられねーかもしんないじゃん。やだよ俺、まだ死にたくない」
「師匠! 僕の師匠、薬に詳しいんです! だからっ、師匠のところへ行きましょう!?」
「ヴィントからアストロネシアまで何キロだよ。無理だわ。もたねぇ」
馬の駆ける速度が上がる。ジゼルさんの息は苦しそうで、このままだと本当に倒れてしまいそうだ。
どうにかして、止めなきゃ!
咄嗟に、目の前に伸びる手綱を両手で掴んだ。
以前セシルさんに教えられた通り、キルシュ姐さんに『止まれ』の合図を送る。
思いっきり手綱を引いた。高いいななきが響く。
「うわっ!?」
突然の乱暴な指示に、落ち着きなく蹄が足踏みする。
慌てたジゼルさんが僕から手を離し、馬を落ち着けるよう操縦した。――ごめんっ、キルシュ姐さん!
「あっ、こら! アオイ!!」
「くそう、やっぱり反射神経いいな、このきょうだい!」
この隙に逃げ出そうとした僕を抱え、体勢を崩したジゼルさんが馬から下りる。あだっ! そのまま座り込んだ。
荒っぽい荷物がなくなって、清々したのかも知れない。キルシュ姐さんはそのまま走り去ってしまった。呆然と、なびく尻尾を見送る。
「……やべえ。キルシュ野生化したら、どうしよう」
「セシルさん、絶対怒りますよ」
「あいつ、すでに怒ってるわ」
あーあ。ため息をついたジゼルさんが、僕を抱えたままその場で寝転がる。
いやっ、いい加減離してくれないかな!?
「……あー、どうせ腹に乗せるなら、グラマラスな姉ちゃん乗せて死にたかった……」
「お元気そうでなによりですッ!! さっさと手を離しましょうか!?」
「待て待て、窒息する。顔に花を落とすな」
仰向けのジゼルさんの顔に、ぽんぽん編んだ花を落としていく。
片手だけでいい。花を振り払うために腕を離してくれれば、その隙に離れてやるのに……!
「あれぇ? 遅い遅いと思って来てみれば、なにやってんのキミたち。そんな仲だったの?」
「ちっげぇわ悪趣味瓶底眼鏡。その眼鏡にしょうゆ塗りたくるぞ」
唐突に振って沸いた声に、びくりと身体が跳ねる。
声の方を向けば、ぼさぼさの茶髪に瓶底眼鏡の青年がこちらを見下ろしていた。にこにこ、上を向いた口角が、何だか不気味に見える。
「ルーカスさん……」
「待ち切れなくって、迎えにきちゃった! ねえジゼル、この子もらってくね」
「おい待て、薬!」
ジゼルさんが身を起こし、ルーカスさんを睨みつける。こてんと小首を傾げたルーカスさんが、無造作にこちらへ手を伸ばした。
僕の襟首を掴んだそれに、気道が圧迫される。目を見開いたジゼルさんがその手を払った。
「おい! ルーカス!!」
「それね。うんうん。そんな話あったね。ははっ、まだ信じてたの? やれやれ、本当ジゼルくんは脳みそが足りないなー」
「!」
「キミはここで用済みだよ、ジゼル。ふふっ、キミにぴったりの名前だよねぇ。亡霊って」
にやにや笑うルーカスさんが、再び僕へ腕を伸ばす。
本能的に逃げ出したい気持ちが込み上げてきた。跳ね起きたジゼルさんが僕を支え、ルーカスさんから距離を取る。
……こんなときだというのに、ちっとも力が入らない。
「ここで消えてしまうジゼルくんに、ひとつプレゼント! 魔力欠乏症ってね、ボクが作ったんだ」
「……は?」
「あれね、とりあえず魔力を集めようと思って、試験的に作ってみたんだ。そしたら勢い余って、せっかくの金のタマゴを産むガチョウの腹を割いちゃって。いやー、失敗したねー」
ぼりぼりと頭を掻き、ルーカスさんが白衣の袖を振っている。
……そんな、ひどい。それじゃあ、ジゼルさんが今こうして苦しんでいるのは、ルーカスさんのせい?
唖然としているジゼルさんは、震えをひどくしていた。
「特にジゼル、キミは扱いやすくて楽だったよ! 素直に投薬管理をさせてくれるから、ほんのちょっと狂わせてあげれば、ほら、この通り! あははっ! セシルとは大違いだね!」
「……ふざけんなッ」
「キミがどうしてセシルより苦しんでいるのか。簡単だよー? 元々セシルの魔力量は微々たるものだったけど、キミの魔力量は多かった。その差を埋めるために、そうやって他人から魔力を奪い続ける」
ルーカスさんに指差され、びくりっ、ジゼルさんの肩が震えた。怯えたような目がこちらへ寄越される。
白衣の諸手が挙げられた。ばんざーい! 嬉しそうな声が弾んでいる。
「リントヴルムとジゼルのおかげでアオイの回復は遅れるし、万々歳だよねー! ほらジゼル、早くアオイから手を離しなよ。そのままさわってると、その子死んじゃうよー? きゃーっ、ジゼルくんの人殺しー!!」
「うるせぇッ!!!」
「あー! まさかまさかさてはもしかして、すでに殺してるぅぅ? きゃー! ひとごろしー!! 騎士さん、この人でーす!」
「ッ、ジゼルさん! 僕なら平気です! 逃げましょう!!」
咄嗟にジゼルさんの手を引き、来た道を引き返すように脚を踏み出す。
よろめく身体を、肩に担がれた。お腹がぐえっとなる。そのまま走る振動に合わせて、視界が揺れた。
「ほんっと間抜け……ッ、あんなの信じた俺が馬鹿だった」
唸るような声だった。
顔を上げると、楽しげに笑うルーカスさんが見える。彼はぱちんと両手を合わせていた。
「えー、もしかして鬼ごっこぉ? それじゃあ鬼は多くなくっちゃねー!」
がさがさ葉擦れの音が響いた。木々の隙間から、真っ黒いなにかが垣間見える。
ぞっと走った悪寒。わらわらと現れ、こちらを追うのは、薄っぺらい影のような、人の形をした何かだった。
ジゼルさんが舌打ちする。彼の身体がよろめいた。
「気色わり……! ほん、っと、あく、しゅみ! ふざけんなし!!」
「ほらほら! 早くそのお荷物、ボクにちょーだいよー!」
「うるっせーわ! クズ!!!」
刀を抜いたジゼルさんが、回り込んできた影を切り伏せる。
けれども止まってしまったことにより、他の影が次々と襲い掛かってきた。
こちらへ伸ばされた黒い手が、僕の腕を掴む。ひたり、気持ちの悪い感覚だった。込み上げてくる恐怖感に、引きつった悲鳴が漏れる。闇雲に振り払った。
体勢を崩したジゼルさんが、焦った声を上げる。
「アオイ! 危ねーだろ、じっとしてろ!!」
「っいや、嫌だ、これ、嫌だ……!」
「アオイ!?」
悪夢に引き摺り込まれるような心地だ。高いところから突き飛ばされるような、強烈な不快感。まとわりつく影が、どんどん増える。
僕が暴れるせいで、ジゼルさんは刀を振るえない。
刀を手放した彼が、影から引き剥がすように僕を抱き寄せた。ジゼルさんが咳き込む。重たく苦しそうな咳だった。
「――ッ!!!」
影の手先が、身体の中に入っている。逆流する冷たさが駆ける。恐怖心が、一気に許容量を越えた。
僕の周りを走った茨が壁を作る。引き裂かれた影が僕から剥がれ、肩で息したまましばらく震えた。ひっ、呼吸がうまくできない。
身動ぎしたジゼルさんに、背中を擦られた。
「大丈夫だ、ゆっくり、息、しろ。……はー、セシル気づくか? これ……」
そういうジゼルさんこそ、喉がひゅーひゅー鳴ってる……。ぐったりと僕にもたれる彼は、ひどく苦しそうだ。
「じぜ、る、さ」
「はいはーい。お取り込み中のところ、失礼しっまーす!」
べりっ。片手で茨を掻き分けたルーカスさんが、にこにこと僕の腕を掴む。
愕然と目を見開いた。ルーカスさんには、傷ひとつない。どうして、茨、トゲまみれなのに……。
必死に暴れて、手にも爪を立てたのに、ルーカスさんの拘束は外れない。無理矢理引きずり出された。
力なんて入っていないように見えるのに!
ジゼルさんが小さく呻く。咳き込む音がひどくなった。
「丁度いいお墓ができてよかったねぇ、ジゼル。来世はもっと賢く生まれるんだよぉ?」
「……ッ、しね」
「キミがねー!」
けらけら! 笑ったルーカスさんの周りの景色が歪んだ。気持ち悪さが込み上げ、頭が痛くなる。
気がつけば白い床に僕は座り、ジゼルさんはいなくなっていた。ルーカスさんが僕の腕を引き摺る。
「ようこそ、そしておかえり! テラリウムへ!」