ジゼルさんとセシルさん
簡単に言っちまえば、俺とセシルの両親は、クズだったんだ。
酒と煙草とギャンブルに溺れて、いつも金に困っててな。まともに働けばいいものを、まだ小さかった俺とセシルに物乞いさせんの。
俺たちのいた地域ってな、ここよりもっと寒い、雪の深いところでさ。
当然俺もセシルも、防寒具なんて上等なもん持ってない。ふたりで身を寄せ合ってさ、死なねーように必死に金稼いだの。
でも、な。その金全部、親がくだんねーことに使うんだぜ?
食うもんにも困ってさ。
それに、俺もセシルも、この顔だろ? ははっ、自分で言うなってな。
……でも、特にセシルは女の子だったからな。ほんと、毎日「今日死ぬ」って思いながら生きてた。
ははっ、先に強くなったの、セシルの方なんだぜ?
あいつ、ほんと負けん気強くってよ。鉄パイプぶんぶん振り回して、大人追っ払うの。お兄ちゃんびっくりしたわ!
まあ、そんな生活もな、ある日転機を迎えるんだわ。
俺たちの親はどこまでもクズでな。
当時、新薬の研究とかいって、怪しげな薬飲ませるバイトが流行ってたんだよ。
それが、まー、金払いの良い。うちのクズも飛びついたよな、勿論。
当然被験者は、俺とセシル。
あいつら、金もらってどっか行きやがった。どこ行ったか知らねぇけど。
薬の内容がなあ、なーんか魔力を増幅させるとか、そんなんだったんだわ。
当時はこの国も、そこまで魔術師に対してあたりが強かったわけじゃねーんだぜ? いつからだったか忘れちまったけど……。
まあとにかく、俺等、『テラリウム』って施設で実験に付き合わされたんだよ。
この薬がさ、すっげー不味いの! 液体。コップになみなみ注がれてんの。地獄!
セシルが早々に嫌がってな。でも飲まねーと白衣の人たちに怒られんの。
もう、泣く泣く飲むわな。
俺等金もらってねーけど、親が金もらってるから。その代金分、何年コース組んだのか知んねーけど、毎日毎日くそまじぃ薬飲んだわ。
先におかしくなったのは、やっぱりセシルの方だった。
手がさ、異様に冷たいんだわ。ずっと震えて、「さむいさむい」って言っててよ。
でも衣食住の待遇は、考えられないくらいよかったんだよ。屋内だし、服だってほつれてない。
なのにセシルのやつ、真っ青な顔で震えてんの。
こんなの、原因なんて、毎日飲んでる薬以外に考えられないだろ?
明らかにセシルに異常が出てるのに、白衣のやつら、誰も止めてくれねーんだ。
このままだとセシルが死ぬって思ったら、こわくなってさ。俺、セシルの分まで薬飲んだの。くそまじぃの、吐きそうになりながら。毎日。
なあ、『魔力欠乏症』って知ってるか?
……知んねーよなあ。
元々魔力って、どんな人間にもあるんだとさ。魔術師とか関係なく、個体差があるだけで。
でさ、この薬、魔力を増やすとか言ってただろ?
どうも失敗作だったみたいでさ。俺もセシルも、他の被験者も、みんな魔力ゼロになっちまったんだわ。
魔力欠乏症って、人災なんだぜ。この薬の被験者、みーんなこのびょーき。
ははっ。そ、せーかい。俺の体温低いの、そのせい。
それも規定量無視して飲んじまったからな。しつこいくらい、症状出るんだ。
セシルが薬飲んでるとこ、見たことあるか? 白くてまるいやつ。抗なんじゃらかんじゃらって名前の薬。
ははっ、ないか。あいつ、ほんと昔っから薬嫌いだからなあー。
カーティス孤児院は、そんなガキどもを集めた孤児院だったんだ。
薬もタダでもらえるしな? それ飲んでねぇと、震えが止まんねーの。ははっ、わりぃな。今、すっげー寒いんだ。……さみぃ。
セシルから、俺が女とっかえひっかえしてるって、聞いたか?
……あいつ、ほんと……。いいけどな、別に。
それな、続かねえんだ。俺がさわると、相手の魔力吸っちまうみたいでさ。
セシルはどうか知らねぇよ? 俺がそれに気づいたの、大人のオツキアイとかしてからだしな。その頃には俺もセシルも、それぞれで色々やらかしてたし。
寒いから誰かに引っ付きたいのに、さわると冷たくなるんだ。んで別れる。その繰り返し。
氷のバケモンになったみてーだろ?
ほんと、嫌になるぜ。
はは、お前、あったかいよな。子ども体温? ずっとさわってんのに、ずっとあったかい。……いいな。
ずっと、……寒かった。
*
緩やかに蹄を鳴らしていたキルシュ姐さんが、ついに止められる。
後ろから僕を抱きすくめるジゼルさんは、言葉通り身体が冷たくて、震えが止まらなかった。
騎士団の支部ではじめて会った日、彼はこんなに震えていなかった。なにかが悪化しているのだろうか? 腰に回された腕に、両手を添える。
「ジゼルさん、具合悪くなったきっかけって、ありますか?」
「……うん」
「ジゼルさん?」
「……ははっ、わかんね。原因不明のお手上げだわ」
ますます腕に力を込められて、これ以上は苦しい。痣のところとかも痛い。
それでも振り払えないのは、ジゼルさんの語った内容が内容だからだろう。正直、どんな顔をすればいいのかもわからない。
胸が痛く感じるのは、彼が促した通り、同情からだろうか?
そこまで他人に深入りしたことがないから、比較する感情が足りない。
身を捩って辺りを見ると、景色は見慣れない林道へと変わっていた。薄暗い空気はどこか圧迫感がある。
ジゼルさんが、微かな声で囁いた。
「……なあ。このまま逃げないか?」
「僕、目的地がどこかもわからないんですけど……。それに、僕は国に帰りたいんです。あと、セシルさん置いてきてますし……」
「セシル絶対こえーもん」
「一緒にごめんなさいしましょう。僕も言いつけを破ったことを謝りますし」
セシルさんが怒ってるところ、はじめて見たなあ……。
ジゼルさんの目的がわからない。
どこへ向かっているのかもわからないし、そもそも僕を連れ出した理由もわからない。
『セシルさんのお兄さん』という立場が、一層僕から危機感を奪っているのだと思う。
このままぐるっと周遊して、再び元の場所まで戻してくれそうな気さえする。本当に散歩なのだと、砕けた軽口が言いそうだ。
「……ジゼルさん、戻りませんか?」
「無理」
「なんで……?」
「ごめん、俺、まだ死にたくない……ッ」
「そんなっ、さすがにセシルさんも、実のお兄さんを殺したりは……」
「しにたくない……ッ」
掠れた呟きが切実で、困惑してしまう。
頭にこつりと触れる感覚があった。吐息を間近に感じる。背中に感じる心音は、速い。
彼の呼吸は時折引きつり、歯の根が震える音がする。泣いているようにも感じるけれど、言葉通り凍えているのかも知れない。
こんなにもぎゅうぎゅうと抱き締められているのに、体温に触れているはずなのに、ジゼルさんの身体は冷たいままだ。……僕の体温が移ってもいいはずなのに。
今日の気温は、雨上がりのせいか、すこし肌寒い。
――雨?
昨日の夜、僕が暴れてから、雨と雷の音がしていた。……僕を助けにきてくれたセシルさんもずぶ濡れだったし、ジゼルさんも、雨に打たれたんじゃないのかな?
もしも一晩中雨に打たれたのだとすれば、体調が悪くなってもおかしくない。
身を捩って、ジゼルさんの額に手のひらを当てる。……冷たい。脂汗が滲んでいる。
「……ははっ。お前、男でよかったな。女だったら、今頃俺に襲われてた」
「情緒不安定すぎませんか、ジゼルさん。それ以上僕のプライドを傷つけるようでしたら、そのイケてるメンズのほっぺた引き伸ばしますよ」
「おー、こえー」
滲んだ汗を袖で拭う僕を抱え直し、ジゼルさんがキルシュ姐さんに出発の合図を送る。緩やかに進む景色が、またどこかを目指し始めた。
「……ジゼルさん、どこへ行くんですか?」
「ルーカスんところ」
「あ、それ嘘じゃないんですね」
「……嘘の方が、よかったけどな」
間近で聞こえる苦い声に、視線を向ける。ジゼルさんの表情は、窺えなかった。
「魔力欠乏症の話、しただろ? あれ、治るかもしんねーんだ」
「本当ですか!?」
「うん。お前を使ったら」
お腹に回された腕に、力を込められた。まるで逃がさないと言わんばかりに締めつけられる。
すっと血の気が引いた。背後の彼が、親しみやすいジゼルさんから、全くの別人に変わってしまったようだ。
「最低だろ? 自分が助かりたいからって、俺、お前のこと差し出すんだぜ。はは、あのクズと同じじゃねーか」
「ジゼルさん……っ、使うって、なに……?」
「ジネヴィラがお前のこと食いものにしてたのと、同じことすんの。せめて丁重に運んでやるよ。痛いのは嫌だろ?」
「まって、ジゼルさん!」
「このままだと、俺、死ぬんだわ」
ぴしゃりとした声だった。背中に体重がかかる。伝わる心音は、異様に速かった。
自嘲を滲ませた声が、耳のすぐ近くで聞こえる。
「衰弱してんの、わかんの。検査する度、数字悪くなってさ。もう、薬も効かねーの。時間ないんだ。悪いな」
「待ってください、ジゼルさんっ。よくわからない、ちゃんと説明してください!」
「死にたくねーんだ。しにたくない。俺、まだ23なのにッ。セシルだって、ピンピンしてんじゃん。なんで俺……ッ」
「ジゼルさん!」
自分の行く末も相当不安だったけど、ジゼルさんの様子のおかしさもこわかった。
切羽詰った声音で、うわ言のように何度も「死にたくない」と呟く。締められる力が強くて、背中が重い。
ジゼルさんの心音はとても速いのに、彼の身体はちっともあたたかくならない。握った手が冷たい。凍えて、震えている。