セシルさんの過保護に磨きがかかっている
「全く、ひどいと思いませんか!? セシルさん!」
「はあ」
マチルダさん、という女の人が、セシルさんに愚痴をぶつけている。
けれどもセシルさんは全く聞いていない。生返事だ。
僕の頬を、セシルさんの指先が撫でる。
今すぐこの場所から逃げ出したい! 僕の怪我を確認したがるセシルさんから逃げたい!!
「……あの、セシルさん」
「はい」
「……顔が、こわいです」
「今、にっこりできる余裕がありません」
美人の無表情ほど恐ろしいものはないのだと、僕は学習した。
手当ての済んだ顔の怪我を、セシルさんの指先が数えている。
その流れでシャツをめくろうとする手を、懸命に押さえた。
これ以上、美人から表情と温度を奪ってはいけない。地下室でだいぶん朦朧としていたけど、絶対お腹も背中も痣だらけだ。今のセシルさんに見せちゃいけないと、本能が叫んでいる。
「……アオイくん」
「嫌です。セクハラです」
「医療行為です」
「ルーカスさんに診てもらいました!」
「セシルさんってばあ!!」
僕とセシルさんの間に割り込んできたマチルダさんのおかげで、シャツからセシルさんの手が離れる。
こんなにも嫌そうに顔をしかめているセシルさん、はじめて見る……。
――まだほんの数時間しか経っていないけれど、あれからいろいろなことがあった。
僕たちは今、ルーカスさんの魔術師管理局にいる。
マチルダさんは、セシルさんの仕事仲間らしい。セシルさんの左耳のピアスは、マチルダさんへ通じるように設定されているそうだ。
試しにセシルさんのピアスに話しかけてみたら、マチルダさんの声で返事があった。すごい。どうなっているんだろう?
柄にもなくはしゃいだ。ひそひそとピアスに話しかけていたら、真っ赤になったセシルさんに咳払いされた。
慌てて身を引いた。……恥ずかしい。そっか、ピアスって、耳にあるもんね……。体勢的に内緒話だったもんな。……はずかしい。
マチルダさんはにやにやしていて、真顔のセシルさんから壁ドンされていた。「恐喝です~!」と言っていたから、やっぱりあれってそういう扱いなんだ?
僕を捕まえていたジネヴィラというおじさんは、マチルダさんたちが捕まえてくれたらしい。
いろいろと悪いことをしていたそうだ。
僕のような、他国の魔術師を誘拐する手引きとかもしていたとか。
このおじさんの話になると、セシルさんから表情が消えるので、あまり深入りしていない。知らない方が幸せなことって、世の中にいっぱいあると思う。
クランドは、僕の膝にしがみつきながら寝ている。
僕が壊してしまったお屋敷から出たとき、空に真白なドラゴンがいた。
驚いた。とても大きかった。
直感でクランドだとわかったけれど、鞄に入っていたときのもったり感がなくなって、大きなヘビみたいになっていた。
その子が僕の腕に落ちてきて、いつものクランドの大きさに戻ったのだから、とても驚いた。
ひしっと僕にしがみついた小さな身体に、無性に泣けてしまった。クランドはべそべそ泣きながらお腹を鳴らしていたので、花を編んで食べさせた。
泣きながら食べるだなんて、器用だと思う。
僕もしばらくべそべそしてしまった。
それからマチルダさんと、中央の騎士団の人たちがやってきて、みんな慌しく動いていた。
僕は保護されて、魔術師管理局に置かれている。
2階は埃っぽかったけど、1階の荒れ狂った部屋にいるよりかは心が休まるので、2階にいさせてもらっている。
シーツを取り替えた簡素なパイプベッドに寝かせられ、ルーカスさんから簡単な診察を受けた。
どうやら僕は、短時間で大量の魔力を消耗したらしい。身体に上手く力が入らないのは、その反動だと教えてもらった。
セシルさんの横抱きに抗って自力で立ってみたのだけど、膝が震えてちっとも歩けない。つらい。
コップもまともに持てなくて、セシルさんに介護された。
とんでもなく恥ずかしかった。泣かなかった自分を褒めようと思う。
のーもあ横抱き。セシルさんがさくっと華麗にルーカスさんのところへ行ってくれたのが、なによりの救いだった。
あとは、僕の目の色が、師匠みたいになったことだろうか。
ルーカスさんに指摘されて、とても驚いた。マチルダさんの手鏡で確認したけど、本当に金色になっていた。
これって、セシルさんが説明してくれた、『魔力の多い人は危険』のことなのかな?
ルーカスさんは抑制剤とやらを取りに行くといって、不在にしている。
今、魔術師管理局にいるのは、僕とクランドと、セシルさん、マチルダさんだけだ。
マチルダさんのふわふわした髪が、仕草に合わせて揺れる。
彼女は握った手をぶんぶん縦に振っていた。
「わたしが危険を冒して、ジネヴィラさんから通信機を取ったのに、『記録を調べるから、実物はあとで持ってこい』ですよ!? あんまりじゃないですか!」
「持っていけばどうでしょうか。局長の眉間の皺も減ることでしょう」
「わたしの頑張りが、真っ先に評価されないことを嘆いているんです~!!」
頬袋があるみたいにほっぺたをふくらませて、マチルダさんが拗ねている。
ため息をついたセシルさんが、彼女の肩を横へ押し退けた。そのままちらと、扉へ視線が向けられる。
「マチルダ、定期連絡です」
「ええー!! ……本当、セシルさんって真面目ですね。わかりましたよぉ」
とぼとぼと扉まで向かった小柄な女性が、くるっと半回転した。明るい笑顔だ。
「アオイくん! あとで恋バナしましょう!」
「こ、恋!?」
マチルダさんが、片目を閉じて星を飛ばす。軽やかに拳を作った彼女が、ぐっと両脇を締めた。
「ご安心ください! セシルさんのプレゼンも、しっかりしますよ! 心トキメク武勇伝をお話しましょう!!」
「マチルダ。ガブリエルの餌箱に頭を突っ込みますよ」
「ガブちゃんはやめてください!! 私、先行きますからね!」
セシルさんの温度の低い声に、マチルダさんが野ウサギのように逃げ出す。
ぱたんっ! 閉まる扉を見送り、セシルさんがため息をついた。
「ガブちゃん……?」
「移動用の大ワシの名前です。エサを食べる姿があまりに豪快なので、『ガブリエル』と」
「ガブリ……」
野生の偉大さと猛禽類の恐ろしさに触れた瞬間だった。
クランドの背を撫でながら、静かにぞっとする。人を軽々と運べる大ワシのエサって、具体的に何だろう?
ベッドの端に腰を下ろしたセシルさんが、僕へ手を伸ばす。咄嗟に反応できず、頬に指を添えられた。……セシルさんの手、ひんやりしてる。
セシルさんが僕の耳許にそっと顔を寄せた。びたり、静止してしまう。
息を吸う音までもが鮮明に、吐息ごと囁かれる。
「すぐに戻ります。ここで待っていてください」
「さっ、ささやく必要、……ありましたか……!?」
必死に搾り出した声で、精一杯訴える。絶対真っ赤だ。顔が熱い。
身を離したセシルさんは、いたずらっぽい笑顔で左耳を指差していた。……左、ピアス。……ああっ!!
「仕返しです」
「僕、そんな色気込めてません!!」
「ははは、よかった。きみに色気という概念があって」
「ばかにしてませんか!?」
「いいえ、まさか」
けらけらと失礼なことを宣ってくれたセシルさんが、唐突に真摯な顔をする。
伏せがちな僕の顎を指先で掬い上げ、彼女が赤い瞳を緩めた。ひんやりとした親指で、下唇を撫でられる。
「好きですよ」
僕、このままセシルさんに殺されるのかな?