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ワルプルギスの夜

 ジネヴィラの()屋敷は騒然としていた。

 土砂降りの雨の中に包囲網が敷かれるも、そもそも相手は空を泳ぐドラゴンだ。

 時折長い尾をひらめかせては、雷鳴のような咆哮を上げている。ビリビリと腹に響くそれに、セシルは呆然としていた。


「あの中に、アオイくんが……?」


 小高い丘に建つジネヴィラの屋敷は大樹によって引き裂かれ、元の豪奢な装いをなくしていた。

 稲光が夜を引き裂く度、豊かに伸びる梢がさざなみを立てる。浮かび上がる陰影は不気味な化け物のようで、見るものの不安を掻き立てた。


 ……まるで朽ち果てた廃墟だ。セシルの胸中が感想を述べる。


 痛いほどに叩きつける雨を片腕で防ぎながら、セシルが頭上を見上げる。

 大樹を守るように旋廻するドラゴンは、投擲にも弓矢にも臆することはなかった。捕縛用の銃にも、殺傷用の銃にも、大砲ですらも通じない。


 ドラゴンは一枚でも大樹の葉が掠れると、咆哮を上げ流星を降らした。

 ますます雨の勢いは増し、水路が濁流を溢れさせる。

 人間がか弱い攻撃を仕掛ける度、彼等を排除しようと雷を落とした。


 ドラゴンに人間の理屈は通じない。

 圧倒的な暴力を前に、騎士団員らの士気は低迷していた。

 屋敷から逃げ出した数多の使用人がすすり泣いている姿も、彼等の士気を下げる一因となっている。


「き、きッ、貴様等! この腑抜けがッ!!」


 屋敷の主人であるジネヴィラが、顔を真っ赤にさせて怒鳴る。怒りと屈辱のあまり震えたその声は唾を飛ばし、急遽張られたテントの下で地団駄を踏んでいた。

 激情に震える指を屋敷へ突きつけ、男が怒声を張り上げる。


「さっさとあのガキを殺せ!! ドラゴンを討伐しろ! 何をもたもたしている!?」


 豪雨に負けじと叫ぶ男が、控えていた部下のひとりを蹴り上げた。

 蹴られた騎士団員が慌てて宥めるも、ジネヴィラの怒りは止まらない。


「わしから受けた恩を仇で返しおって、あのクソガキ……ッ!!」


 ――何が恩だ。セシルの表情が消える。麗人の顔を叩く雨粒が筋を作り、余計に作りものめいた印象を与えた。

 セシルより遅れて到着した馬が、騒々しい人物を下ろす。


「あっはは! いやあ、あの子すごいね! これ全部あの子がやったんだ!!」


 濡れることをいとわず、ルーカスが諸手を挙げて飛び跳ねる。

 ますますセシルの放つ空気が硬化し、馬を繋ぐジゼルが苦渋に顔をしかめた。


「おい、ルーカス! やめろ!」

「いやはや、傑作だ! ボクだったら一秒だって我慢したくないけど、あの子は我慢強いんだね。おかげでここまで派手に暴走することになった! ははっ、一体どんな仕打ちを受けたのかなぁ!?」

「き、貴様! ルーカスッ!! わしを愚弄する気か!?」


 怒声を上げたジネヴィラが、ルーカスの胸倉を掴む。

 血走った目を向けられ、水滴を張りつけた瓶底眼鏡をかけたルーカスが、にんまりと口角を持ち上げた。


「まさかまさか! ボクは傾向と対策の話をしているだけですよ~」

「貴様も魔術師だ! やつの責任を取って、ここで土下座しろ! 生きていることを詫びるんだ!!」

「っ、くっ、はははは!!」


 ルーカスを引き倒そうと力を込めるジネヴィラに、白衣の彼が堪らないとばかりに笑い出す。

 雨水をふんだんに吸わせたぼさぼさの髪から雫を垂らし、ルーカスの唇が一層弧を描いた。

 気色ばむジネヴィラに構うことなく、彼が瓶底眼鏡を光らせる。


「迂闊なこと言うの、やめといた方がいいですよー? どこで誰が聞いているのか、わからないんですしぃ」

「わっ、わしを脅す気か!?」

「ははは! ほらほら、血圧上がりますよ~? 中性脂肪もガツガツなんですしぃ、血糖値だって、まあ大変! このくらいにしときましょ、ね!」

「きっ、貴様ああああッ!!!」


 首を絞める勢いで、ジネヴィラがルーカスの胸倉を締め上げる。白衣の男が高笑いを上げた。

 彼等の応酬から目を背け、セシルが屋敷へ近づく。雨水を跳ね上げ駆け寄ったジゼルが、彼女の肩を掴んだ。


「おい! セシル!!」

「……この隙に、アオイくんを救出します」

「救出って、この発端はアオイだろ!? あいつがいくら温厚つっても、ここまで暴走してたらっ」

「発端は、……わたしが目を離したことです」


 魔術が扱えないものにとって、魔術師は脅威だ。

 雨音に負けぬよう、ジゼルが声を張り上げる。探るようにさ迷わせていたセシルの視線が、定まった。


 ジゼルの手を払い、セシルが駆け出す。ドラゴンが咆哮を上げた。鼓膜が破れそうなほどの轟音が、落雷によく似た音を立てる。

 咄嗟に耳を塞いだジゼルが、屋敷へ向かうセシルの姿に顔色をなくした。

 追おうと脚を踏み出した途端、雨量が増す。

 最早目も開けていられないほどの降雨に、ジゼルは咳き込んだ。


 屋敷の正面玄関まで辿り着いたセシルが、びしょ濡れの髪を掻き上げ、数度噎せる。

 雨水を吸い切った制服は重たく、動作に制限を感じた彼女は上着を脱ぎ捨てた。びしゃり、割れたタイル張りの玄関に水たまりができる。

 地面を叩く雨は霧を生み、遠くの景色を不明瞭にさせていた。


「クランドくん……」


 旋廻する白いドラゴンの名前を呼び、セシルが神妙な顔をする。


 ――何故、クランドくんは私に攻撃をしなかったのだろう?

 私のことを認識しているのだろうか?

 アオイくんは、今、どうなっているのか――


 答えの出ない問いに首を横に振り、セシルが袖を捲くる。張りつく手套も脱ぎ捨て、彼女が開きっ放しの玄関を潜った。

 暗い玄関ホールは見通しが悪く、更には根や枝が縦横無尽に広がっている。

 ポーチから簡易術式の携帯照明を取り出し、セシルが腰まで伸びた草を掻き分けた。


 ――外観の大樹から想像していたが、中は一層植物に飲まれている。


 元の間取りも何も知らないセシルにとって、生い茂る緑は捜索を困難にさせた。

 彼女が脚を進める。

 崩れた階段は蔦によって絞められ、窓や壁を破った枝葉は雨に濡れている。悪趣味な赤い絨毯はぼこぼこと歪み、瓦礫には苔が生えていた。


「アオイくんは、どこに……」


 床をめくる大樹が、彼女の行く手を遮る。触れた幹はひやりとしており、手を引いたセシルが周囲を見回した。

 辛うじて残る壁越しに、豪雨の音が聞こえる。セシルが触れた草木が、ざわざわと音を立てた。


 ――大樹は下から伸びている。

 アオイくんが閉じ込められている場所は、地下だろうか?


 憶測を立てたセシルが、下へ降りるための手段を探す。

 本来の地下への入り口であろう階段は、あふれ返った緑にふさがれ、使えなくなっていた。焦燥に駆られた彼女が、懸命に思案する。


 ――道がないなら、作ればいい。


 もう一度大樹の傍まで戻り、彼女が足許を覗き込む。大樹と瓦礫の隙間は、細身のセシルなら通れそうに見えた。

 迷うことなく、彼女は暗闇へ飛び降りた。





「――以上、定期連絡です」


 時刻は少し巻き戻る。

 セシルはルーカスの事務所を離れ、ひとりでいた。

 無機的な声で、彼女が赤いピアスに話しかける。微かなノイズを走らせ、通信相手が声を響かせた。


『お疲れさまです。……セシルさん、大丈夫ですか?』

「私語に興じる気分ではありません」

『はあ、よっぽどですね。最近、アンダーソン局長もピリピリしているんですよ』


 機械越しに、軽やかな女性の声がため息をつく。腕を組んだセシルが、無表情で口を噤んだ。


『セシルさん、何か異変があれば、すぐに知らせてくださいね。こちらでも出来ることをしますので』

「了解」

『ほらもうっ、大丈夫ですって! 保護ということは、簡単には殺されないということです。必ず助けられますよ!』

「……わかっています」

『よしよし。ではまた、次の報告で。幸運を祈っています!』


 ぷつり、ノイズが途切れ、通信が終了する。深く息をついたセシルが、頭を抱えて壁にもたれた。


 セシルは後悔していた。


 ――何故、アオイくんをひとりにしてしまったのか。

 すぐに追いかけなかったのか。

 アクセロラではなく、もっと閑静な町ならよかった。

 宿で待たせていればよかった。

 私の判断が甘かった。


 この数日間、何度も同じ問いを繰り返している。

 そして何度も同じ答えにぶつかり、再び問いへ戻っている。


 セシルはアオイの自由を拘束している。

 セシルが監視という立場にいる以上、アオイはひとりになることができない。

 けれども、魔術師の捕縛現場を目の当たりにしたアオイは、セシルに怯えていた。……そのときの彼の目を思い出す度、彼女の足が竦む。


 アオイがセシルに懐いた仕草を見せていた分、彼女の心に痛みをもたらした。

 アオイの目に、セシルは味方として映らなかった。多少なりとも信頼関係を築けたはずだと思い込んでいた。

 アオイは、セシルを『騎士団』のひと括りに入れた。それが彼女の心情を荒らした。判断をためらわせた。


 ――何故、私はきみを心配している。

 こんなにも大切に思っているのに、どうして伝わらない?

 怯えないでほしい。どうか逃げないでくれ。


 ――少し距離を置き、お互いに冷静になる時間が必要だ。


 それは大人のセシルの判断であって、大人になりきれていないアオイのものではない。

 アオイの身に何が起こったのか、セシルは知らない。アオイが何を思っていたのか、彼女は知らない。

 意図しない方へものごとが転び、あっという間にアオイはセシルの手の届かないものへとなってしまった。


 ――あのとき、ああしていれば。


 何度過去を悔いようと、時間は進むばかり。

 セシルは後悔していた。何度も同じ問いを繰り返し、何度も同じ答えにたどり着く。


「あの動く肉塊、二度と呼吸できると思うなよ……ッ」


 セシル・カーティス。

 カーティス孤児院出身の22歳女性。

 普段丁寧な言葉遣いをしている彼女は、かなり矯正されたが、元々言葉遣いが荒かった。

 そして彼女が大体のものごとを物理的手段で解決することも、粗暴な性格が元にある。

 騎士団本部で日々売られた喧嘩を高値で買い、相手を泣かせてきた実力者だ。そうでもなければ、頭を痛めた上司から、単独任務など与えられたりしない。


 同じような環境下で育ったジゼルも、早々に特殊任務へ異動させられている。


 周囲は彼等の美青年的な見た目に、夢を見すぎている。

 彼等は決して王子様ではない。不良上がりの騎士だ。鉄パイプはマブダチだ。


 両手で顔を覆ったセシルが、「ダメだ。肉塊の手足をもぐ前に、アオイくんを助けないと……!」はじめの問いへ戻る。

 ジネヴィラはアオイがいなければ、とっくの昔に『動かない肉塊』になっていたのかも知れない。


 この5分後にセシルはジネヴィラから緊急出動要請を食らい、『生きたままミンチにしてやる』と『アオイくん、今行きます!』の思いを複雑に交差させていた。

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