ルーカス先生の魔術講座
「いやー、驚いたね! あの子の花、ボクも欲しいな!」
ジネヴィラの突然の出動要請から解放されたルーカスが、事務所のソファに豪快に座る。
室内は相変わらず足の踏み場もないほど散らかっていたが、彼に頓着する気配はない。清々しい顔で、うんと腕を伸ばしていた。
にこにこと上を向いた口角は機嫌良さそうで、調査結果の資料を掲げている。
「ルーカス、アオイのあれは冤罪なんだろ?」
ルーカスの無神経な発言に、嫌悪感を滲ませた顔でジゼルが腰に手を当てる。
セシルに至っては表情がない。利き手が刀の柄に添えられている。いつでも抜刀できる体勢だ。
「うん。だけど、言っても誰も聞かないよ。みんな怒りの吐き出し口が欲しいだけだからね」
「だからってな!」
「ジネヴィラもノリノリだったよ。ボクの報告にでゅふでゅふ笑っててねー」
「関係ありません」
ぴしゃり、セシルが冷たい声で遮る。彼女がルーカスを見下ろした。
セシルが駆けつけたとき、既にアオイは捕縛されたあとだった。
何度彼女が保護していると訴えても、聞き入れてもらえない。
追い返すような仕草は不信感を煽り、ついにはジネヴィラがアオイの新たな『保護主』となった。
これが何を示しているのか。
ジネヴィラはアオイを冤罪で縛りつけ、飼うことにしたのだろう。ぎしり、セシルの手套が鳴る。
「つってもよ。いくら珍しいって言っても、所詮は花だろ?」
「はー、これだから脳筋のジゼルくんはー」
「なに、喧嘩売られてんの?」
大仰に両腕を広げたルーカスが、やれやれと首を横に振る。表情をむっとさせたジゼルが半眼を作った。
ルーカスの瓶底眼鏡から覗いた口許が、呆れたようにへの字に曲がる。
「魔術は基本的にね、一過性の、形に残らないものにしかならないんだよ」
「……どういうことだ?」
「だからー。例えばこうやってものを押すと、動くよねー? 普通の魔術は、動かしておしまい」
首を捻るジゼルに、ルーカスがテーブルの上のマグカップを押す。
雑多なテーブルにいつからあるのかわからないそれは、底に茶色の輪を作っていた。
人差し指によって前進させられたマグカップが、不意に止められる。
「あの子の魔術は、形に残る。つまり、あの花自体が魔力の塊なんだ。ずっと動かし続けているのと同じ」
次いでマグカップの中に指を入れ、縁に沿ってぐるぐる回す。
陶器の底がぐるんぐるん音を立て、ついには転がった。がちゃん、取っ手が騒々しい音を立てる。
おもむろに白衣のポケットから紫色の花びらを取り出し、ルーカスが室内灯に透かせた。
無造作に突っ込まれたためか、花びらは折れて皺になっている。けれども瑞々しいそれは、魔術で作られたとは思えないほど、本物そっくりな花に見えた。
「まあ、一個だけ失敬したんだけどね」
「手癖が悪いな」
にししと笑うルーカスに、ジゼルが半眼を作る。
しかし事務所の所長は興奮気味で、嬉々とした仕草で花びらを掲げていた。
「これね、ほとんど本物同然に再現されているんだ! 並大抵のことじゃない。このひとひらを維持するために、どれだけの魔力が込められているのか! その筋に売れば、かなりの金額になるよ~」
「胸くそわりぃ」
腕を組んだジゼルが吐き捨てる。
眉間に皺を寄せる彼へ、ルーカスが瓶底眼鏡を向けた。にやにや、彼の口角は上がっている。
「これがあれば、きみたちの《《魔力欠乏症》》も治せるかも知れないね」
「……まじか?」
「関係ないと言いました」
一層冷淡な目で、セシルが会話を遮る。
ルーカスの手から花びらを奪い取ったセシルは、大変気が立っていた。
おー、こわっ! ルーカスが自身の肩を抱き、震えた仕草を取る。もちろん演技だ。
「おい、セシル……」
「あの白い肉塊から、何としてでもアオイくんを奪取します」
「セシル? 言葉が過ぎないか?」
「知ってますか、ジゼル。豚の体脂肪率は、一般の人間のものより遥かに低いんですよ」
「今その豆知識、必要だったか?」
ジゼルの真顔を顧みることなく、セシルが玄関を目指す。
苛立つ足許が、散らばる紙類を踏みつけた。
「セシル、きみは顔はいいけど、頭はてんでダメだね。愚策が過ぎるよ」
「…………」
やれやれ。わざとらしくため息をつくルーカスに、セシルが殺気に満ちた目を向ける。
組んだ脚を土台に頬杖をつく瓶底眼鏡が、白衣の袖を揺らした。
「その花、ヒヤシンスだったっけ? 悲しいとかごめんなさいって意味だったよね」
「これは私の落ち度です。あの子をひとりにしてしまった。こうなることは、予想出来たことなんです」
「冷静になりなよ。今キミが行ったところで、その先は?
キミは反逆者として処刑されて終わり。運が悪ければジゼルも道連れで終わり。アオイは死ぬまで搾取され続けて、世界は平和になりましたとさ」
「ルーカス。私はあなたが嫌いです」
「ボクに生かされてるのは、どこの誰だっけ? いい加減受診することをオススメするよ。それとも今する? ほら、服脱ぎなよ」
セシルの赤い目が敵意に染まる。しね。形の良い唇が短く動かされた。
音の伴わないそれを、ルーカスが笑う。
「魔力欠乏症を甘くみないことだよ。元々あったものが足りない状態って、酸素が脳に回らない状態に近いんだから」
「傲慢にご高説垂れているところ申し訳ありませんが、今必要なのは、アオイくんを救出する方法です」
「やれやれ。キミの妹、相変わらず可愛くないよ? ジゼル」
「煽るからだろ。今のセシルに喧嘩を売るお前が、全面的に悪い」
「ひっど」
不貞腐れたように唇を尖らせたルーカスが、ソファの隙間から缶ジュースを引っ張り出す。
ぷしっ、マイペースに缶を開けた彼が、周りを気にせずぐびぐび飲んだ。
「今は待つことを推奨するよ。セシル、ついでにキミの上司に連絡を入れたらどうだい?」
「指図しないでください。何様のつもりですか」
「残念ながら、ここはキミの属している中央じゃないんだ。アクセロラの王様はジネヴィラだよ」
「……下衆がッ」
黒の手套をぎりりと鳴らし、セシルがドアノブへ手を伸ばす。
おっと、声を上げたルーカスが立ち上がった。彼が埃にまみれたラジオを起動させる。
『――今日、痛ましい事件が起こった。アクセロラにて無登録の魔術師のひとりが、シュヴァルツハントの巣を荒らした。これによりアクセロラは甚大な被害を受け、数多の死傷者を出した』
「すっかり忘れていたよ。ブランドン・モーガン氏の演説があったんだ」
流れてきた機械越しの音声に、セシルの顔が嫌悪に歪む。
扉を大きく開け、派手な音を立てて閉められた。
衝撃によって、テーブルから崩れ落ちた書類が雪崩を起こす。
「……お前、趣味わりぃーわ」
「あはは! ごめんねぇ? 面白くって、つい」
太い声の演説を背景に、辟易した顔でジゼルが悪態をつく。
愉快そうに笑ったルーカスが、ラジオの音量を上げた。
窓を開けようとする彼の頭を、ジゼルが投げた本が直撃する。いてっ、白衣が蹲った。
『魔術師諸君、聞いてくれ! 君たちが管理という体制に不安を感じていることは、重々承知している。だからこそ我々は君たちを保護し、手を取り合い、この国を豊かにしていきたいと思っている!
さあ、無用な争いは捨て、我々とともに光輝く未来を掴もうじゃないか!』