不信の芽
ルーカスの元を後にしたアオイは、途方に暮れていた。クランドの入った鞄を抱き締め、俯きながらぽつぽつ足を進める。
魔術師管理局の事務所は、高台にある。
高台の現在地は広場から離れており、騎士団アクセロラ支部の建物からも遠かった。
道なりに坂を下りながら、少年が重い胸中をぐるぐると掻き混ぜる。
――このまま、本当にセシルさんに従ってて、いいのかな……?
要約するとこの一点。アオイはセシルに不信を抱いていた。
セシルはアオイに親切にしてくれるが、その親切はあまりにも無償だった。
いくら騎士団の仕事とはいえ、何の見返りもなくここまで親身になれるだろうか?
そして周りは、アオイの魔術を『珍しい』と称する。
――花を編むことの、何がそんなに珍しいのだろう?
少年は首を傾げていた。彼にとって花を編むことは、何の役にも立たない娯楽と、同じようなものだった。
むしろ役に立たないからこそ、誰も見向きもせず、結果『珍しく』感じているだけではないだろうか?
少年はそう考えていた。
――そんなものより、もっと役立つ魔術が欲しかった。
『人ならざる者』に追われたときも、そもそも人攫いに遭ったときも、もっと攻撃性のある手段があれば、こんなことにはならなかった。
花が一体何の役に立つのだろう?
深みに嵌っていく胸中に、アオイがため息をつく。
……セシルさんに会いたくない。着地した結論はそこだった。
知らず、脚が止まる。抱き締めた鞄が、ごそりと音を立てた。クランドが隙間から鼻先を出す。
「退いて!!」
「うわっ」
突然、アオイを襲った衝撃。
前方不注意のまま走ってきた少女が、ぼんやりとしていたアオイにぶつかった。
勢いを殺すことも出来ず、転倒した彼等が鈍い音を立てる。
いてて、と腰を擦るアオイが、傍らに転がる布の塊を見つけた。
「……? ッ!?」
もぞもぞ、独りでにうごめくボロ布。
びくりと肩が跳ねさせたアオイが、咄嗟に少女へ目を向ける。
ハンチング帽を引き下げた少女が、瞬時にそれを回収した。隠すように腕に抱え、急いだ様子で走り去る。
唖然、見送った後姿が草木の向こうへ消えた。
「……今の、何だったんだろう?」
ぽつり、呟いた頭上で、大きな塊が旋廻した。
地面に描かれた影の形は特徴的で、恐る恐る、アオイが空を見上げる。
黒い腹が、翼を広げて旋回していた。
長い尻尾が鞭のようにしなり、鉤爪が鈍く光を反射する。
見れば遠くの空にも黒い翼は羽ばたいており、広場を埋め尽くすそれは大量だった。
表情をぞっとさせたアオイが、慌てて立ち上がる。
鞄からクランドが鼻先だけを覗かせ、ふんすふんす、においを嗅いでいた。
漂うきな臭さに、少年が袖で口許を塞ぐ。彼が辺りを見回した。風に乗って、微かに喧騒が耳に届く。
「ルーカスさん!!」
咄嗟に来た道を引き返し、彼が向かったのは、先程離れたばかりのルーカスの事務所だった。
何度も叩いた灰色の扉が、不審そうに開けられる。
隙間から顔を覗かせたルーカスが、瓶底眼鏡を指で支えて整えた。
「あれえ? どうしたの? 忘れもの?」
「空! ドラゴンが……!」
「ドラゴン……? げっ」
言葉をつっかえさせながら上空を指差すアオイに、事務所から出てきたルーカスが、影を作るように目許へ手を添える。
途端、口許を引きつらせた彼が、ばたばたと室内へ引っ込んだ。
バサバサ引っ張り出した分厚い本が他の本を道連れにし、雪崩を起こす。
騒々しい音を無視した彼が、パラパラ頁を捲りながら現れた。眼鏡をずり上げながら、書籍を抱える。
「あれはシュヴァルツハントっていう翼竜でね、肉食なんだけど、小型で温厚で比較的平和なドラゴンなんだよ」
「今、生態の説明、必要でしたか!?」
「この時期、子育ての時期だから、近くの森に巣を作ってるんだけど……タマゴや幼獣に手を出さない限り、人間を襲わないはずなんだけどなあ……」
不思議だとばかりに首を傾げ、ルーカスが眼鏡の位置を整える。
はっと顔を上げたアオイが、先程ぶつかった少女の抱えていたものを思い出した。
「あの女の子……、まさか!?」
「あ! アオイ!!」
ぱっと身をひるがえした少年が、少女を見失った地点を目指す。
取り残されたルーカスが、唖然とその後姿を見送った。