セシルさんの出身地
「これでよし!」
小さな膝小僧にガーゼを貼って、手当てが終了する。
一連の様子を眺めていたセシルさんが、感嘆の声を上げた。
「驚きました。アオイくん、傷薬をお持ちだったんですね」
「最近しょっちゅう転ぶので、師匠の真似をして作りました」
「ああ、なるほど」
町から町への移動の最中、特に日暮れから夜にかけて、『人ならざる者』との強制鬼ごっこがよく開催される。
参加を辞退した瞬間に、僕の人生が終了してしまうので、毎回泣きそうになりながら逃げ惑っている。
セシルさんがキルシュ姐さんの手綱を握っている間は現れない。
セシルさんの暴走運転についてこられるほどタフなタイプは、道中にいないらしい。
……それか、『人ならざる者』から見ても、セシルさんの乗馬技術は危険な部類なのかも知れない。
つまり僕は、セシルさんの運転に耐えるか、『人ならざる者』との強制鬼ごっこに参加するかの二択を、毎回迫られているんだ。
結果、よく転ぶし、怪我とかいっぱいするし、寿命も確実に縮んでいる。
そんな中、比喩なく泣きながら花を編んで作ったのが、この傷薬だ。
師匠のレシピを思い出しながら作ったけど、そこそこの出来だと思う。自画自賛だ。
セシルさんがいなかったら、とっくに僕は死んでいる。
……そういった部分でも、恩義は深い。これで馬の運転がもっとなだらかだったら、完璧だったのに……。
気を取り直すように咳払いして、ミムちゃんの顔を覗き込んだ。
「ミムちゃんは、この街の子?」
「うん……」
「一緒にいたのは、お母さん?」
「おねえちゃん……」
お姉さんかー。
困惑のまま顔を上げる。セシルさんは荷物を抱えたまま、考え込むように顎に手を添えていた。
目が合った彼が、にこりと柔和な笑みを見せる。
「ミムちゃん。きみにはたくさんのきょうだいがいますか?」
「うんっ」
ミムちゃんが、こくりと大きく頷いた。
……その質問、どういう意味だろう? たくさんのきょうだい?
疑問でいっぱいの僕へ、腰を屈めたセシルさんが小さく耳打ちした。
「恐らく孤児院の子です」
「孤児院……?」
「馴染みがありませんか?」
「……すみません」
過疎地にそんな立派な施設はない。駐在さんですらいないんだ。
気まずく首を横に振ると、どこか曖昧に微笑んだセシルさんが、ミムちゃんへ向けて手を差し出した。
けれども彼女の小さな手は、僕のシャツから離れない。
むしろ、ますますしがみつかれている。
……とりあえず、頭撫でとこう。これで落ちついてくれるかな?
手を下げたセシルさんが、小さく笑った。
「すっかりアオイくんに懐いていますね」
「セシルさんの方が、圧倒的に頼り甲斐がありそうなのに……」
「……恐らく、この制服をこわがっているのかと」
「お巡りさんをですか?」
お巡りさんをこわがるなんて、どういう心境なんだろう?
ピンときていない僕に、セシルさんが苦く笑う。ぽすりと僕の頭を撫でた彼が、姿勢を正して荷物を抱え直した。
先導する彼に従って、ミムちゃんの手を引く。今度は大人しく、彼女は足を動かしてくれた。
ミムちゃんと雑談をかわしながら、歩みを進める。
セシルさんの案内で辿り着いた場所は、古い石造りの建物だった。
ぼろぼろの塀の内側で遊んでいた子どもたちが、蜘蛛の子を散らすように逃げ出す。唖然、その光景を見送った。
子どもたちに代わって現れたのは、エプロン姿の中年の女性だった。
彼女の姿を見た瞬間、それまでにこにこしていたミムちゃんが泣き出した。
僕の手を離して、エプロンの腹へ飛び込む。女性にしがみつきながら、わんわん泣いていた。
「この子を助けていただき、ありがとうございました。……申し訳ございませんが、もうお引取り願えませんでしょうか」
静々頭を下げた女性の言葉に、ますます困惑してしまう。
けれどもセシルさんが会釈して立ち去ったので、不可解だったけれど、彼のあとに続いた。
ちらりと振り返る。ミムちゃんは女性に抱きかかえられながら、建物の中へ入って行くところだった。
小さくて細い腕が、しかと女性の首に回っている。ミムちゃんの彼女を慕っている様子は、見て取れた。
だからこそ、なんだか釈然としない。
悶々としながら歩いていると、こちらを振り返ったセシルさんが淡く微笑んだ。
「アオイくん、耳を貸してください」
緩やかな歩調のまま、セシルさんが囁く。
宿屋さんへ向かう路地は人影もないのに、彼は内緒話のように、僕の耳許へ唇を寄せていた。ひそひそ、潜められた声量で彼が話す。
「この街は、あまり治安の良いところではありません。恐らくあの子どもたちは、常習的にスリを行っています」
「え!?」
驚愕から上がった大きな声を、セシルさんが人差し指を立てて封じる。
慌てて両手で口を塞ぐと、彼が話を続けた。
「露天商の店主が、やけにきみを警戒していたのは、覚えていますか?」
「はい。……もしかして僕、スリに間違われましたか?」
「アオイくんは、15歳程度にしか見えませんので」
「来年成人します」
思わず不貞腐れた声が出る。勝手に眉間にも皺が寄る。僕だって、年相応に見られたい!
僕の様子を小さく笑ったセシルさんが、言葉を繋げた。
苦さを含んだそれは、複雑そうな色をしている。
「孤児院の経営も苦しいのでしょう。窓が割れたままでした。騎士団の介入を拒んだのは、明かされたくない事実があるため。私はここに常駐しているわけではないので、これ以上ことを起こすことが出来ません」
「街の人が素っ気なく感じたのは……?」
「彼等にとって、この街は住みにくい場所でしょう。生きるための手段が、ますます彼等の首を絞めている」
はじめて聞く、セシルさんの遣る瀬ないといった声音に、居た堪れない心地になる。
僕の様子に気づいた彼が、やんわりと微笑んだ。
「私の名前、カーティスとは孤児院の名前なんです。……つまらない話を聞かせてしまいました。忘れてください」
歩幅を元へ戻したセシルさんに合わせて、足を踏み出す。
……セシルさん、孤児院出身の人だったんだ。
だから僕が孤児院に馴染みがないと答えたとき、あんなに複雑そうな顔をしていたのかな。
窺うように、セシルさんの顔を覗き込む。僕の問いかけは、戸惑いを存分に含んでいた。
「セシルさんの、いたところは?」
「ここではありませんよ。もっと寒い地域です」
「そうですか。……あの、セシルさん」
「はい?」
「……腰に手を回す必要、ありましたか?」
僕の腰にしっかりと回された、セシルさんの右手。
黒の手袋に包まれたそれはひんやりしていて、セシルさんは体温低めなんだなと思わせた。
……いや、そうじゃない。
内緒話が始まったときに引き寄せられて、今に至るまでがっちりホールドだ。
なにもここまでしなくていいだろう。ちょっと彼の行動が理解できない。パーソナルスペース狭めの人なのかな? セシルさんって。
もしもこれが女の子にするエスコートの類の行動なら、僕はしばらく彼と口を利かないからな。
きっと渋面だろう面持ちで、ぐぐぐと彼の腕を押し退ける。
にこり、目の前の麗人が、婦女子が見惚れるような笑みを浮かべた。
「そこにあったので」
「さいですか」
ぱっと離された彼の腕を掴んで手を握り、編んだ花をのせる。セシルさんが瞬いた。
……なんというか、気恥ずかしい。そっぽを向いてしまう。
ミムちゃんへ贈ったものと、色の異なるアキレアの花なのだけど、『慰める』とか、そういった意味があったと思うんだ。
「……まあ、なんですか。セシルさん、お若い頃から働いて、すごいですよね」
「ありがとう、ございます」
「ほらっ、戻ってごはん作りますよ! まずくても文句言わないでくださいね!!」
ああッ、がらじゃないことしたから、すごく恥ずかしい! 意味とか絶対言わないでおこう!
セシルさん、花に疎いって言ってたから、多分知らないと思うし! 教えないでおこう!!
早口でまくし立てて、熱い顔を伏せて、ずんずん路地を進む。
なのにセシルさんは立ち止まったままなのだから、堪らず振り返った。
「さっさと行きますよ、セシルさん!! セシルさんがいないと、厨房借りられないんです!」
「……ッ、必ず幸せにします」
「何を!?」
どうも彼と会話が噛み合わないときが、度々ある。
なにを幸せにするの、セシルさん……。
荷物を抱えたまま、花を持った手で顔を隠して俯いている彼が、どういう状態なのか、ちょっとわからない。
肩が震えているのはわかるけど……わ、笑ってる? 泣いてる?
とりあえず、セシルさんが復帰するまで待ってみよう!
その後出来上がった晩ごはんに喜んでくれたセシルさんが、「私のために毎日ごはんを作ってください!」と言っていたが、「毎日は宿的に無理です」と断った。
厨房、使わせてくれないところとかあるもん。
セシルさんは滅多にないくらい、すごく落ち込んでしまった。
……そんなに手料理が恋しかったのかな? そこまで気に入ってくれたのなら、また作ろう。うん。
……喜んでもらえて、よかった。